月別アーカイブ: 2016年3月

3月

 3歳9ヶ月の息子は、きたる進級に強い想いをはせているようだ。「今度○○○組になる?」と連日聞いてくる。

 成長というのは、日々起こる。今日、保育園から帰るとき、バス停で「お家に帰ったら人を描く」と言い始めた。「人って誰?お父さんの絵を描いてくれるん?」と聞いてみると、うんと言う。嬉しくなってくる。帰宅するとちゃんと描いてくれた。シュールだ。でも、きっとこれが僕なのだろう。普段描いているバスの絵と本物のバスと、その違いを頭に入れながら見ると、やはりこれは僕だ。かつて息子が初めて寝返りをうてるようになった時、初めて足で立てた時、初めて言葉を発した時。そういう明確な成長の陰にある、成功には至らない成長。日々、彼は成長している。だがそういう日々の成長はあまりに緩やかで、自分自身でさえそこに成長があるということに気づくのは難しいのではないだろうか。そう思う。

 そういう中、卒業とか、資格取得とか、なんらかの看板が成長に気づくためのマイルストーンになるというのなら、その効用も認めざるを得ない。それは単なる一里塚に過ぎず、そこに至る一歩一歩に貴重な何かがあると知りつつも、一里塚に辿り着いた時にしか確認できない何かというものもある。息子が今いる●●組から○○○組に変わるということが、彼にとっての成長の印なのだろう。○○○組になったら、おクツを○○○組さんの靴箱に入れるのだと興奮して教えてくれる。その想いが自分の成長のガソリンになり、プライド的な何かになるのであれば、それも悪くないと思う。

 その保育園にお迎えに行く途中の道で、帰途に着いた先生とすれ違う。軽く会釈をする。さようなら、お疲れさまです。その先生は今朝息子を送っていった時に外での立ち番をやっていて、園から出ていく僕に「お父さん、足だいぶ自然になってきてはりますね」と声をかけてくれた。その先生は年明けに名前が変わったと掲示されていた。結婚されたのだ。その日の帰りに息子を玄関まで連れてきてくれた時に「おめでとうございます」と声をかけると、「あ、名前覚えてくれてはったんですか〜」と嬉しそうに返事されていた。息子の担任の先生ではないので、覚えていないとしても不思議は無い。だが、いつも僕らがお迎えに行くと、外で立ち番している先生はみんな親の顔を見るだけで「○○ちゃん、お迎えです」とヘッドセットマイクを通じて園内に知らせてくれる。全学年の園児の名前を覚えるだけでもひと苦労だと思う。それを、全園児の両親の顔と名前を覚えなければならないのだ。当たり前のようにさらりとやってくれているが、大変なことだと思う。だから先生の名前を覚えるくらいは父兄として、いや毎日のように顔を接する人間として、やっておくべきことなんじゃないだろうか。春先に先生たちの顔写真と名前が10日くらい掲示板に貼り出されていたので、それをスマホで撮影して、顔と名前を一致させる。オッサンには人の名前を覚えることはけっこう高いハードルなのだが、頑張った。名前が変わると掲示されていた先生にお祝いの挨拶をでき、ちょっとだけだけども先生との距離が縮まったのは、その頑張りが役に立ったなという瞬間だった。

 その先生も、今期をもって退職される。結婚を機のいわゆる寿退職ということだろう。結婚で仕事をやめることの是非とか、今話題の保育士の待遇問題とか、そういうことを考え始めると退職されることが良いことなのか良いことじゃないのかよくわからなくなってくるわけだが、しかし、僕は良いこととしてエールを送りたい。その先生だけではない。息子を昨年担任してくださった先生も2人お辞めになる。それ以外にも数人退職される。春は、出会いと別れの季節だ。それぞれにいろいろな事情があって道を決められているのだろう。日常が徐々に変わっていくものであっても、区切りというものはやはり必要で、先生たちひとりひとりの人生も、区切りをもって変わっていく。どうせ変わっていくのなら、新たな門出のその先に幸あれと願いたい。区切って、次に進むということは、とても大事なことなのだ。帰り道でのさようなら、お疲れさまでしたは、もしかするともう会うことも無いかもしれない先生への、この2年間の区切りでもあったような気がする。

 毎日のように顔を合わせるのが当たり前だった人が、もう会うことも無くなるのかもしれないというのは、それも日常とはいえ、切ないものだなとあらためて感じる、そんな3月終わりである。

エピソード

 来週一杯で終了するというスターウォーズEP7を観てきました。これで4回目。

 今回は奥さんと。激務が続いていた奥さんの仕事も一段落したとかで、じゃあ映画に行こうよと。夫婦割を使えば2人で2200円。50代になるというのもあながち悪いことではありませんね。ヨーロッパ映画やミニシアター系が好きな奥さんだから京都シネマあたりに行くのが普通なんだけれども、骨折している僕には四条烏丸まで歩くのはちとしんどいということもあって、「じゃあスターウォーズでいいよ。私もちょっと見たい」と。ちょっとかよ…。まあ、いいのです。一緒に観に行けるというのが、とてもありがたい。

 思えば最初のEP4〜EP6は故郷の福岡で少年として観に行った。子供心にとても楽しい映画だった。んでEP1〜EP3はもうすっかり大人。独身の僕は何を血迷ったか公開日が遅い日本で待つのが我慢できず、アメリカへ。当時アメリカで暮らしていた友人がいたので、何の迷いも無く渡米。だから、友人と観に行く、そういう映画という位置付けだった。

 スターウォーズはスカイウォーカー家の物語である。いわばファミリーストーリー。その映画を、EP7で初めて家族と一緒に観るという機会を得た。3歳の息子にはちょっと早いかなあと思ったけど、次のEP8が来る頃にはもう一緒に行けるだろう。EP9では完全に一緒に行けるだろう。その時は初日に一緒に行きたいと思う。

 こういう映画に10代で出会えたというのは本当に奇跡のような気がしている。スカイウォーカー家の物語は子の世代、孫の世代に引き継がれて展開している。少年だったルークが、生まれる前と、成長して挫折をしてから、どう展開していくのか。それは自分の人生と重ねられるような気がする。いや、そんなに波瀾万丈ではないですけども。

 奥さんによると、今回のエピソードが1番面白かったと。もう、それを聞けただけで、感無量でした、僕は。

イス

 僕が長年使っているイスがもうそろそろご臨終を迎えようとしている。思えば、結婚する前のずっと前の、2000年にもなる前の頃に友人からもらったイスだ。もらった!!その友人は結婚するのか、引越すのか、単にいいのに買い直すのか、4人掛けのダイニングテーブルとイス4脚が僕のところにやってきて、イスはひとつまたひとつと壊れていき、最後に残ったこの1脚も座面を覆っているビニールのカバーが破れてしまったので、生地屋で60cmほどの布を買ってきて張り直し、それも破れたから先日また布を張り直した、そういう年期モノだ。

 でも、もうイスの骨組みが外れてきている。何度も元に戻すのだけれど、もうダメだ。そろそろ新しいイスを1脚買う時期なのかもしれない。貰い物のイスを17年くらい使っているのだから、もう元はとっただろう。その時のダイニングテーブルは今も僕の家の食卓として活躍しているし。

 年を重ねるとダメになってくるのは人間も同じ。最近は弱ってきた知人の話が周囲にチラホラとしてきている。だが、知人たちの弱り方は単なる肉体的な弱りではない。経済的な何かだったり、諸々の要因で苦境に立たされ始めているのだ。

 日本の財政が良くないというのはもうずいぶん前から判っていたことで、年金が将来破綻するというのは、理屈ではわかっているものの具体的にどう破綻の日を迎えるのかについてはリアリティが無かった。でも、最近はなるほどそうかということがリアルに感じられる。

 社会が、疲弊していくのだ。

 国としての金回りが悪くなるというのは、結局どこかに皺寄せがいくのだが、それは徐々に徐々に社会を蝕んでいく。年金が破綻するといっても、ある日突然「ダメになりました〜」という宣言が発せられるのではないだろう。つまり、老後を生きる老人プレイヤーが参加する壮大なイス取りゲームが行われる。最初は数千万人が数千万個の割と立派なイスを用意されてて、イスは参加プレイヤーの数だけあるものだから、どれだけイス取りゲームが繰り返されても、負けて退場する人は出てこない。突発的な破綻というのは、ある日突然十分な数の立派なイスが一瞬で消え去ってしまうというもの。だが、実際はそんなことはありえない。立派なイスに音楽が止まるたびに座ってて、そりゃあ一部では小競り合いもあるだろうけれど、総数で足りているイスを前に大きなトラブルは起きやしない。だが、立っては座りを繰り返すうちに立派なイスもボロになる。すると「あれれ、さっきまで立派だと思ってたイスもずいぶんくたびれてきたなあ」と思うようになる。ボロなイスより立派なイスに座りたいのは誰しも同じで、そういう小競り合いはあちこちで起こるようになり、そのうちに本当にボロになってしまったイスが壊れて数がだんだん減っていく。財政が十分な社会であれば壊れた数だけまた立派なイスが補充されるのだが、財政が逼迫した社会では補充もままならない。だから、やがて良いイスとボロなイスでの小競り合いでは済まなくなる。そう、本当のイス取りゲームの敗者が現れてくる。補充できない社会としてはイスに座れなくなった人を助けることも出来ない。彼らはどこに行くのか。

 そのうちに立派なままのイスの割合が目に見えて減ってきて、ほとんどの人がボロのイスに座れれば御の字という気分になっていく。なぜなら、ボロのイスにさえ座れないで立ち尽くす人が大勢現れてくるからだ。ボロのイスでもいいじゃないか。そう思える人はまだいい。ああ、昔は立派なイスに座っていたのになあと懐古し、イスが減っていく現実の先にある未来に希望を見出せなくなっていく。そんな人が、今どんどん増えていっているのだろう。

 そういう状況の中で、人はいったいどのような思想に基づいて生きていけば良いのだろうか。いや、思想というより宗教なのかもしれない。どこかの神の使いという人が現れて、「あいつより自分はまだマシだろう」とか「地べたで座り込んで生きる方法を見出すべきだ」とか言ってくる。それらはすべてまやかしではないのだろうけど、彼らがその教えでメシを食っている以上、それは商材ツールと思った方がいい。

しかし、自分ひとりが地べたに這いつくばっているのなら悲嘆にも暮れようが、みんな地べたにいて、立派なイスに座ってる人がごく少数なのであれば、立派なイスの方が居心地が悪かろう。僕はそう思うよ。だからどうか、今は悲嘆に暮れている人も、そんなに絶望することなく、顔を上げて笑って欲しい。いやもちろん立派なイスに再び座れることを願っているけれども、立派なイスに座らなくても、人生はきっとなんとかなるんじゃないかなと、無責任なことを僕は言い続けるからさ。

それぞれの国の危険

 放射能は危険ですよと海外では言われているのにこの国では○○ミリシーベルトまでは平気とか言われちゃって、それの真偽についてはよくわからなくて、いやきっと本当はわかってるんだろうけれどもわかっちゃったらいろいろ都合悪くて、だからわからないことにしてるんだろうと思います。

 わかってるんだよ、だから危険なんだよとそれでも言いはる人が、危険だから国外に行っちゃうもんねと国境を越える。それはいいんだけれどじゃあ海外が受け入れてくれるのかというと、それはきっと別の話なのでしょう。そのことは、このところのシリアからの難民をヨーロッパ各国がどのように扱っているのかを見ればだいたいわかる。土地に、人間に、線を引いているのです。なぜなら、引かなければいろいろ都合が悪いから。

 先日のニュースでは、シリアへの空爆によって家族を亡くして自分も全身に大怪我をおった人が、一時非難的にトルコの病院に収容され、治療を受け、治ったからということでシリアに強制送還されたとのこと。ええっと思うけれども、受け入れる側も漠然と定員というものがあって、それを超える受け入れは難しい。人道的とかなんとかいいながらも、定員の概念は人道よりも上にあたるらしく、シリア国内は大怪我の人が一応退院できる(それさえ本当のことなのかはよく分からない)状態になったら強制帰国させても大丈夫な治安なのだという、そういう認識なのだろう。

 天安門事件の後の中国では自由を求める活動家は拘束弾圧を恐れて多くが政治亡命をするが、そういう人を強制帰国させたらどうなるのだろうか?普通に考えればその亡命活動家にとって死刑宣告にも等しい措置なのはすぐにわかるが、それでも様々な思惑によって強制帰国させられた人は少なくない。日本でもシリアからの難民申請がほとんど通らず、認められなかった人は強制帰国させられるとか。

 一応確認のために書いておくけど、ヨーロッパを目指して国外脱出を果たしたシリアの人は、それまで通過できていたはずの国境を通れなくなりつつある。国境を封鎖するのは単純に封鎖する側の国にとって多くの難民の流入が困るからです。自分たちの暮らしを守る、そのこと自体は決して否定しないけれども、ではその暮らしを守るためには、内戦下で空爆もしょっちゅう起きている地域のことを「帰国しても大丈夫な場所」と認定する、ということをとにかく肯定する。その是非はともかく、それが現実なのだということの明確な証拠なのでしょう。それから推測すれば、メルトダウンを起こした大規模原発事故の周囲であっても、様々な理由を与えることで「安全である」と認定する誰かが現れることは常識的に想定できる。それが真に科学的であるかどうかとは関係なく、自分のところに来られて社会がバランスを失うこと避けるために必要な判断、ということなのでしょう。

 空爆が日常的なシリアが日常生活で安全であるならば、放射性物質が其処彼処に存在しているエリアが日常生活で安全であると判断することはわけもない。世界で起きていることを冷静に見れば、そういう結論に至るのは当然です。

 僕が昔暮らしていた東京杉並では、まだ事件を起こす前のオウムの道場があった。事件後は地域住民によって立退き運動が起こる。立ち退け、何処かに行けという住民の気持ちはよくわかる。では、立ち退かせた場合、オウムの出家信者は何処に行くのか。それまでいた場所に居られないのなら、新しく受け入れるところはあるのだろうか。ないよなきっと。追い出せばいい。追い出せば自分たちの地域は安心できる。しかし、追い出すことイコールオウムの消滅ではなくて、だから問題はなにも解決していない。出家信者を一網打尽にして殺してしまうのならばともかく、そんなことは人道的にも法的にもできるはずもなく、できないのだけれど、近くにいて欲しくない。とても難しい問題ですね。あなたはマンションの隣にオウム信者が越してくるとわかった上で容認できるのか、すべきなのかという問いに、明確な答えは持ち合わせていない。誰もがきっとそうだろう。

 おいおい、放射性物質を危険視する人やシリア難民と、オウムを同列に扱うのかよという非難や罵声が聞こえてきそうです。そんなつもりはまったくないけども、ないけどもだ、人が人を拒絶する時、その拒絶の度合いが大きければ大きいほど、人道的や科学的な考え方は脇に追いやられる。そういう話です。

 そんなわけで、人は人道を尊重することを建前としつつも、自分の安心がやっぱり優先。その前には科学的合理性など後回しになるのも当然のこと。だって僕らは科学者じゃないんだもの。本当の本物の科学者ってこの世のどこにいるんでしょうかね?存在し得るんでしょうか?

 大病をして医者にかかると、科学的合理性からその医者はもう余命長くないと告知します。でもそんなの受け入れられないですよ。だから他の医師の診断も求めようとする。これがセカンドオピニオンというやつ。すべては自分が生き延びる理由と方法を獲得したいがため。もちろん世の中には悪徳医師もヤブ医者もいる。そもそも人体の機能がすべて解明されているわけではない。だから、自分を不治の病と言い放つ医者はなにか間違っていると思いたい。それでセカンドオピニオンを求めるのにどの医者もみんな口を揃えて不治の病と診断をくだす。それではということで、宗教に走る。それならまだイイが、香ばしい民間療法に、さらには心霊治療に向かってしまう。

 ま、科学的合理性で不治の病と診断されたのなら、余命1年が余命半年に縮まったとしても、その半年を希望に満ちて過ごせた方がなんぼかマシと考えるのも僕はアリかなとは思いますけどね。

 繰り返してみますが、多くの人にとって科学的合理性などよりも、自分の安心が大事。だから内戦中で空爆も普通に起こるシリアに強制帰国させるという判断がくだされる。今も放射性物質が放出されている可能性が指摘されるエリアに戻ってOKという判断がくだされる。昭和20年には大空襲のさなかに逃げていると憲兵に注意されて消火活動させられて死んだ人も多数。疎開しても食べ物分けてもらえなくて飢えるから疎開やめとこうとか、冷静に考えれば何故それをと思うことは枚挙に暇がありません。

 長々と書いちゃったし、これ書くのに三晩かかったし、布団の中でスマホで書いてるので、文章に貫かれた脈のようなものに欠けているとは思います。文体も統一されてないであろう(これはわざと)。なのでまあ結論もそこそこにこの辺で。

 あ、これに関連して、個人の自由を重要視するはずのリベラル的な人が団結を呼びかけ、国家主義を目指すはずの右的な人が団結を解体しようとすることの不思議についても言いたいことはあるのですが、それはまた別の機会に。覚えていれば、の話ですけど。

いろんなこと

生きているといろんなことがありますね。

朝から息子3歳8ヶ月が「ひつじのショーン」を立て続けに3回分見ています。もうすぐ1時間になります。よくできたクレイアニメだし、言葉による説明が無い分、大人も子供も同じ条件で楽しめるわけで、だから余計に言葉による説明が無い分だけ、子供にとっての満足度は高いのかもしれない。いや、そんなことが言いたいのではなくて、朝からアニメを子供と並んで見ているということが、今や当たり前なんだけど、10年前は想像もしてなかったわけで。10年経てば世界は変わる。うちも10年後は息子3歳8ヶ月も中学生になってるはずで、並んでアニメを見ていることは多分無いのでしょう。

その時、僕は何をしているのでしょうか。音楽レーベルの仕事が35周年まで続いてて、還暦を過ぎた社長が運営するということがアリなのか、それは考えにくいなあとは思うけど、何かやらないといけないとも思うので、まあきっと何かをやっているのでしょう。

 ほぼ1週間前の朝、骨を折りました。

 その時の状況についていろいろと病床(うちの布団)でスマホをいじりながらこのブログに書いていたけれども、疲れて途中になってました。足がダメなら手と頭はフル回転するであろうという予想は見事に外れ、普段からフル回転しないものが骨折した時にフル回転するはずはなかったのです。

 んで、一回消してまたチャレンジ。細かな状況はもう書くのやめました。覚えてないんだもの(いや、覚えとるけど書くの面倒なので)。ザーッと言うと、T字路の交差点で青信号を渡ろうとしたら、何を血迷ったのか赤信号で停止せずに信号無視で猛ダッシュしてくる1台の自転車に衝突されて転倒。警察呼んだあとに救急車で運ばれ、簡易ギプスを装着。松葉杖を与えられて骨折患者のいっちょ上がりです。

 簡易ギプスを装着すると靴が履けなくなります。なのでどうしたものかということで看護婦さんのアドバイスにより病院内にあるコンビニでサンダルを買うことに。ローソンに売ってたのは1600円する上履きのようなもの。そこまでは車椅子に乗せられて押してもらったので何の苦労もなかったんだけれども、途中スロープでバリアフリー的な感じで。でも、バリアフリーなんつーのは嘘ですね。車椅子を平地で押すのも結構腕力要るのに、上り坂を大きな車輪を両手で回して進むのはもっと体力が要ります。もちろん階段しかなければ絶望するしかないわけですけど、スロープが目の前に立ちはだかったら、そこを登っていくのはかなりの覚悟が必要です。あれはバリアフリーとはいいませんぞ。だれか介助してくれる人が押してくれる、そういう社会のことをバリアフリー社会というのであって、坂を設置したから十分だろう、ホレ自分で登っていけ、というのは、バリアフリーではありません。ただの設備。

 医大病院を出てバスに乗ったものの、席空いてなくて、気づいた大学生っぽいおにーちゃんが立って席を譲ってくれたんだけれども、慣れない松葉杖でもじょもじょしているうちに近くの女性がそこに座ってしまいました。ああ麗しいバリアフリー社会だな〜って感じでした。

 それはさておき、買ったサンダルが上履き的な感じのしょぼいもので、でもそこで買わなかったら裸足で帰ることになったので泣く泣く購入したものの、マジックテープで足の甲を止める部分が短くて、本当に指先に引っ掛かってる程度でしかないので歩いている途中で何度も脱げる。脱げるだけならいい(よくないけど)ものの、マジックテープが取れて、路上でフィッティングしないといけない。これね、ギプス状態ではかなり大変なんですよ。困ったね。しかも靴下はけないし、雪も降ろうかという寒い日に指先素足って、もうね、イヤですよ。

 そんなわけでギプスをしてもはけるサンダルはないかとググってみたら、ありました。意外と安い。Amazonで1480円。なのでクリック。届いてみたら、すごくぴったり。これで骨折患者の外出も楽しみが増します(増さんわっ!)。驚いたことに、これ左右揃って送られてくるんじゃないんですね。左右兼用のサンダルが1個。ペアじゃなくて、1個。どうりで安いはずです。2個ペアだったら2960円ということなのでしょう。それでも安いといえば安いのかもしれませんが。

 金曜日に搬送された医大病院で作ってもらった簡易ギプス(添え木のようなもの)から、今週月曜日に本格的なギプスに変えてもらって、なんとかやっております。松葉杖にも慣れてきました。ギプス周辺と中は洗えないので、外す時にはどんな異臭になってしまっているのでしょうか。真夏の骨折じゃなくてよかった〜。