アベノミクスの失敗について海外ではもはや歴史上の結論とでもいわんばかりの書かれようで、もちろん海外の論調には海外の思惑も含まれていて、それは日経新聞が日本の経済について書くのにそれなりの思惑があるのと同じで、どれもこれもにわかに信じるわけにはいきませんが、でもやはりこの件については海外の論調が正しいと思うのです。
それは福島での原発事故以来日本と海外の論調のあまりの乖離を目にして、ああ、いかに盲目的に生きてきたのかなと思わされるような衝撃があったのと同じことで。つまりは、あの地震で東京が麻痺した時に家族との連絡をさせてくれたのがdocomoの携帯ではなくTwitterだったということ、そして家族のもとに帰ることができたのはJRでも小田急線でもなく、自分の2本の足のおかげだったということと同じ。権威や看板はいかに脆く、そして個人を軽やかに捨て去るのかということを思い知らされ、今日の世界を見る大きな哲学として今も残っているのです。
安倍総理はNHKのニュースの時間に合わせて会見を行い、解散を宣言しました。同時に消費税増税を延期するということ、延期はするけど1年半後にはどうあろうと増税すること、選挙で自公が過半数を取れなかったら退陣をすることを明言したわけです。過半数を取れなかった時に退陣しないで済む方法があったら教えて欲しいのですけれど、まあそういう茶化しはTwitterの方でやるとして、一旦ここではそっとしておきます。
アベノミクスの失敗について、なんだ安倍の野郎、ヘマしやがってと言うのは簡単なことで、彼自身「他に対案が、具体的な対案があるなら出せと言っているのに野党からは全然出てこない」と頭に血を上らせて言っていたのですが、確かにそれはその通りで、現状の日本の財政を再建するというのは非常に困難な話で、おそらく誰がやっても見事な再建など出来ないでしょう。要するに借金を抱えてデフレになると借金の金額が借りたとき以上に重くなっていくので、インフレにすることで借り手の負担が楽になると、そういう高度成長期に起きたような夢よもう一度というのが本当に夢でしかないのですけれども、まあその夢にすがりたくて二度寝するような気持ちでやけのやんパチなのだから、何が黒田のバズーカだと揶揄したくなります。
いかんいかん、また揶揄モードになりそうだった。戻します。
要するに500万円の借金をして家を建てて35年ローンを組んでみたら、合計では1000万円を銀行に払うことになってしまうのだけれども35年後には500万円だった不動産の価値が5000万円になってしまってたから家をタダで貰えた上に4000万円のぼろ儲けだったと。今の親世代がやけに金持っているというのは主にそういう理由です。年金が今の若い世代に較べて手厚くて有利とか言っているけれど、基本的にはあの頃に家を買った人たちが裕福なだけであって、家を買っていない人たちは年金生活といってもけっして裕福ではありません。別で儲けた人は別ですけれども。
そうして人より先に家を買って、高度成長期に株もやった人はそれなりに財産を残してる。バブル期に欲をかいて突っ込んじゃった人は大損して中には首くくった人もいますが、あの頃だって地上げの被害に遭っているとかなんとか言いながらも都心の土地を不当に高く売り抜けて、無言で地方に移り住んだ人もたくさんいました。それは高度成長期の全体的な豊かさとはまた違った、損した人と得した人のバランスの問題に過ぎません。
黒田バズーカが成功しないのは、日銀がお金を刷って国債を買いまくっても、今は良くても結局は日本がいずれ利息を払わなきゃいけないという理由につきます。国と国民は違いますけど、国が払えなきゃ行政がストップし、結局国民が払うことになる。国民は、要するに今の幼児です。幼児が成長した時に「何でそんなに借金したの?」と言ってももはや手遅れで、払わなければ社会インフラが止まります。だから本当は肩代わりしなきゃいけない幼児が沢山いて、頭割りすりゃたいしたことないよねと言えればいいのだけれども、少子化はますます進んで、待機児童とかふざけた用語が当たり前に使われ、その上に保育園を作るとうるさいとか老人が駄々をこね、ベビーカーが乗ってくると迷惑だとかいうビジネスマンが現れる始末。ビジネスマンの年金はベビーが払ってくれるのですよ。馬鹿じゃないのかと思うけれども、この国は馬鹿が多いので仕方ありません。ゆとり教育のずっと前から、そんなに賢い国ではなかったのかもしれません。
で、悲観的なことばかり予想されるのですけれど、じゃあそんなにお先真っ暗なのかというと、そんなことも無いような気がするのです。
将来暮らしは苦しくなるばかりと言われるけれど、それは果たして本当なのだろうかと。子供の将来を考えた時に、一番気になるのは教育です。馬鹿ばっかりの世の中で上手く立ち振る舞うためには賢くなければならない。だから教育は必須なのだけれども、これがまたお金がかかる。親は子供の教育のために早くから教育ローンなど言うものを組む。組んだ結果親は節約節約、専業主婦を気取ってた人もパートに勤しむ。親が組めなければ子供が奨学金という名のサラ金ローンを組む。そうやって苦労して卒業してもまともな就職はほとんど無くて、毎月3万の奨学金サラ金ローンの返済を10年以上義務づけられる。
でも、それは今だけの現象のような気がするわけです。ITの進化はさまざまなサービスを無料で提供し始めている。誰が何故無料で提供するのかはよくわからないものの、無料のサービスはとても多い。無料じゃなくともネット上のサービスは驚く程安くなってきている。20年以上前に僕が買ったパソコンは、5メガのメモリと80メガ(ギガじゃないですよ)のHDD、白黒モニタに中古のレーザープリンタにDTPソフトで150万円。スペック的には今のガラケー以下だけれども、そうまでして買う意味があった。でも今やパソコンとプリンタで10万を超えることはあまりない。アプリも無料のものがほとんど。
教育にしても、サービスがどんどん安くなっていく。それが良いのか悪いのか、それで教育者に収益が残るのかという問題はもちろんあるけれども、現実的にはそうなっていかざるを得ない。僕の本業でもある音楽だって、そういう流れはやはりあって、どう抗うのかという問題はあるけれど、抗える方法など見つからない。ひとつの方法としては大人気の作品を生み出して提供するというものがあって、それは教育でもカリスマ教師的な人が誕生すればそのサービス提供は高価な有料になっていくのでしょう。けれどそれを必要とするのはごく一部の人であって、大多数の生徒にとっては、無料もしくは低価格の教育サービスで十分。卒業後返せるだけの仕事も得られない程度の教育のために20代をローンに縛られるような愚行は、する必要がないのです。
それでも多くの人が教育ローン奨学金サラ金ローンに陥るのは、学校というブランドに頭を染め上げられ、そのブランドの頂点にある東大と、そこから下に連なるヒエラルキーの外に出ることが怖いと思い込んでいるからでしょう。事実海外から見た時に日本の上位校に何のブランド価値も無い。それなのにみんなそれに憧れ、無理して入ろうとする。それはある意味ディズニーランドで毎日見られるアトラクションへの行列の光景にも似て、2時間並んだ末の15分の娯楽をありがたく感じることが、一歩離れてみたときにどう映るのかとは無縁の、なにか時間が止まった夢の国での異質な出来事だとは、その場にいたら誰も感じられないような、そんなことが実生活でも普通に行われているわけです。
でもそういうものは長くは続かない。TDLは30周年だとかなんとかで、まあそれは長いのか短いのかわかりませんが、宮沢政権が崩壊して自民が下野してからまだ21年しか経っていなくて、だったらもうちょっとこの政治的混乱は続くかなという気がしています。政治的混乱を他所に社会の意識は確実に変わっていくので、財政健全化が政治の混乱と無能によってますます悪化して、いよいよ破綻をしたとしても、人間が死ぬわけでもなく、死ぬ必要もなく、ただ日々の食い扶持をどうすればいいのかということだけ考えて飢え死にしなければ、なんとか生きてはいけるわけです。ギリシャの国民が全員生活が成り立たずに海に身投げをしたという話はいまだに聞きませんし。
話を元に(元があるなら)戻しますが、安倍自民党が政治集団としてどう評価されるべきなのかというと、結局嘘をつく人たちだということです。信を問うなどと言っているけれども、前の選挙の公約で言っていたいろいろなことを簡単に反故にしてしまいました。TPPなどはその最たるものでしょう。反古にして批判されても、その公約を掲げていた人は退陣しません。民主党もマニフェストを全然実行できなかった。でも、「最低でも県外へ」「トラストミー」の鳩山氏は退陣しました。どうせ財政再建をする能力の無い政党の中から選ぶなら、約束をまず反古にして居直る人たちよりは、約束をして頑張ってみても出来ずじまいに終わってしまう人たちの方が、僕は好きだし、腹も立ちません。
財政再建とは、無い金をどこかから持ってくるということに過ぎません。新しい価値を生み出すというのが理想です。新しい産業を興したり、石油を掘り当てたり。それが出来なければどこかから調達するしかありません。消費税も、結局は個人個人の財布に手を突っ込むようなものです。でも無いのなら仕方ないのです。お父さんが無能で借金をこさえてきた。小学校に入る前から貯めていた貯金を出せとある時に言われます。子供としては将来パソコンを買おうと大切に貯めてきた貯金を出せと言われるのは心外だけど、それしか手が無いのなら出すしかありません。でも、そういう時に嘘ばかりついてギャンブルで借金を作ってきた親に渡すのと、事業を頑張って来たのに不況の波で泣く泣く倒産させてしまった親に渡すのとでは意味が違うだろうと思うわけです。要領のいい兄がそんな親を見限って海外に移住して「オレは自分の金は出さんよ」と宣言して去って行った後、自分もそうしたくても未成年なので出来ないと、だからなけなしの貯金を親に渡す時に、じゃあどんな親なら納得もできるのかと、そういう選択なのではないかと、僕は思うのです。
何の話でしたかね。まあ仕事中なのでこの辺で。