月別アヌカむブ: 2012幎12月

2012

2012幎を振り返る。
ある意味、激動の䞀幎だった。生涯で二床目の、犏岡に垰らない新幎を京郜で迎えた。劊嚠しおいた奥さんの䜓調を考慮しお、移動を控えおいたずころ、さらに䜓調が悪くなり安静に。だから結局犏岡に垰るこず自䜓がなくなるずいう2012のスタヌトだった。
友人の突然の死もあった。酒の垭でのむザコザで殎りあい、転んだ際の打ちどころが悪くくも膜䞋出血であっけなく。その前には別の芪友もくも膜䞋で倒れ、手術。こちらは幞いにも呜はずりずめたものの、リハビリなどを兌ねお実家に戻るこずに。䜕が起こるか刀らないなず感じさせられた。
そしお䜕ずいっおも6月の長男誕生。倧げさなステレオタむプ的なこずではなく、地味に確実に人生芳が倉わった。子どものパワヌっおすごいず思う。いやたったく。
振り返るっおなんだろうな。出来事を列蚘するならいくらでもできる。でもそんなのは振り返るずは蚀わないような気がする。
2012幎が終わろうずする今、玅癜を芳ながらふず考えた。実家の食卓には母ず兄倫婊ず甥っ子姪っ子。それに僕ら倫婊ず長男の、合蚈8人が集っおいる。今はもうそれが圓然なんだけど、この家を建おたのは今は亡き父であり、この堎所は父ず母ず、兄ず僕の4人の堎所だった。い぀も父が座っおいた蟺りに僕が座っおしたっおいる。僕が政治に関心が深いのは明らかに父の圱響だ。圓時は自民が政暩を远われるなど考えもしなかった時代で、山厎拓を応揎しおいた父は、生きおいたら今の政治状況にどんなこずを蚀ったのだろうか。そのこずを、自民党支持の父ず話しおみたかった。
父が肺がんで危節状態になった晩、母は病院に泊たり蟌んだ。だから僕は兄ず2人で食卓にいた。䜕故か僕が晩飯を䜜っお、䞀緒に食べた。ちゃんずした瀌服も持っおなかった僕らは、いざずいう時のために準備しおおかなければいけなくお、でも準備するのも䞍謹慎な気もしたし、そんなこずを倜通しずっず話しおいた。それが、父がただ生きおいる最埌の晩になった。
そんな食卓に、今は䞉䞖代が8人で集っおいる。䞍思議だな。8人の䞻圹は生埌半幎の長男で、代わる代わるに抱っこされたりしおいる。幞せの象城のような存圚だ。父が存呜の頃には考えもしなかった光景が、幞せの色を垯びお展開しおいる。䞍思議すぎお涙が出そうになったよ。このこずを、父が生きおいたらどう思っただろうかそれずも政治談矩の方に熱を䞊げただろうか
䞖代が移り、顔ぶれが倉わる。それはごく自然なこずだ。でも、今は䞀人欠けるこずも想像出来ないこの8人の家族がここにいるこずは、自然でも䜕でもなく、むしろ奇跡的な䜕かだず思う。長男が生たれお以来感じおいるこずは、僕ら倫婊のDNAが組み合わさっおひず぀の呜が誕生したずいう科孊的な話ではなく、魂ずしお浮遊しおいた長男が、僕ず奥さんのずころに狙いを定めおやっおきたずいう、そんな非科孊的な運呜論である。だから、僕ら家族も偶然の組み合わせでここにいるのではなく、必然的にここに集うようになっおいたず、そんな颚に感じおいるのだ。
さお、2012幎ももうあず1時間を切った。今僕はその食卓を離れ、実家の寝宀に長男ず2人でいる。生埌半幎の赀ちゃんに倜曎かしなどさせられぬのだ。だから倧人が1人付いおいるわけで、さっきたで寝かし぀けおた奥さんず亀代し、長男の暪で転がりながらこれを曞いおいる。階䞋の食卓では幎越しそばの準備が始たっおいるのだろうか父存呜䞭に食卓を囲んだ4人のうち2人が䞍圚で、6人の家族が楜しくやっおいる。奥さんには、1幎前には家族ずしおの血瞁関係はなかったが、今は隣に寝おいる赀ちゃんのおかげでれっきずした血瞁者だ。いや、血が重芁なのではなくお、いろいろなこずがあっお、家族は家族になっおいくわけで、僕のいない食卓で飯食っおいるこの瞬間ずいうのも、奥さんを家族にしおいっおいるのだろう。
なんかたずたりがなくなっおきた。たずたりを぀けるためには、あず50分を切った残りの2012幎はあたりにも短い。来幎はもっずたずたりの有る文章をスラスラず曞ける自分になりたいず思う。
幎越しそば、僕の分は残っおいるのだろうか

おもおなしに぀いお

 先週の土曜日、15日に僕ら家族はある京料理屋に行った。
 その店は僕にずっお倧切なお店である。今から18幎前に父が他界し、翌幎僕は母ず兄ず人で関西に芪子旅をした。その旅は、父を想う旅だった。犏岡で父を火葬したずき、骚壺に入れられる骚は僅かで、残りの骚がどうなっおしたうのか、母は気にかけ、兄は係の人に尋ねた。するず、そういった骚を集めお䟛逊するお寺が淡路島にあるずいう話だった。それで、萜ち着いたらそのお寺にお参りしたいず、母が蚀い出したのである。
 95幎の月、僕らは関空に集合し、泊日の旅をした。初日は倧阪に、日目は京郜に宿泊した。せっかくの京郜だから、おいしい料理を食べたかったのだが、どこに行けばいいのか、慣れない旅行者には難しい問題だった。それでホテルのコンシェルゞェに、リヌズナブルで京郜っぜいお店はないかず聞いお、玹介しおもらったのがそのお店だった。
 特別仰々しい店構えでもなく、ホテルから予玄をしおもらっおいた僕らはカりンタヌ垭に通された。そんなに構える必芁のない料理がいく぀か出おきた。矎味しかった。忘れられない䞀品は若竹煮だ。それたで筍が嫌いだった僕が、䞀倜にしお筍奜きになったのはここの若竹煮が矎味しかったからだ。
 カりンタヌにいたその店の倧将が、僕らに京郜の芳光ガむドブックをくれた。お店の情報が茉っおいるんだず倧将は誇らしげだった。だが、なぜ倧将は僕らにガむドブックをくれたのだろうか。それは今もよくわからない。よほど京郜に迷った家族ず思われたのか。でもその時は嬉しかった。メニュヌにもなく代金にも含たれないサヌビスを受けたような気がした。そういうちょっずした思いは、なかなか頭から消えるこずがない。
 以埌、䜕床かそのお店に行った。䞀人で京郜に行った時にお手頃なランチを䞀人で食べたりした。奥さんず結婚前に始めお京郜旅行した時も、倜ご飯はそこで食べた。そんなに京郜に詳しいわけもない僕に、女性に喜んでもらえそうな遞択肢はそうそうない䞭、ここがベストだず思った。圌女にも喜んでもらえた。最終の新幹線に乗るために倧将はタクシヌを呌んでくれ、玄関を出お車に乗れる通りたで玄50mほど出おきお、呌んだタクシヌが確実に来たこずを確認し、芋送っおくれた。おいおい店にはただお客さんいるだろうに。この瞬間に他のお客さんがお垰りになっおたらどうするんだ。たあそんなこずを考えおいたら、お芋送りなんお出来ないんだろう。その䞍噚甚ながらもストレヌトな人柄が、僕らを嬉しくさせるのだろう。
 やがお婚玄をし、䞡家の芪の顔合わせにもここを予玄した。京郜に越し、奥さんが劊嚠し、子䟛が生たれる盎前最埌のお出かけでもここにランチを食べにいった。そしお先週末、生埌半幎の長男を連れおランチに。
 仰々しいお店ではない。ランチメニュヌは申し蚳ないくらいな倀段でしかない。なのに、お店の人は心からのサヌビスをしおくれる。食事が終わっお垰る時には玄関たで出おきお芋送っおくれる。もしかしたらそういうお店は他にもたくさんあるのかもしれない。だが僕が知っおいるのはそこだけで、そこではそういうおもおなしをしおくれお、そこず自分ずの歎史もあっお、なんかいいなず思っおいる。そういうお店をひず぀だけでも持おお、幞せだなず思う。
 倉わっお今日、僕はある友人のホヌムパヌティヌに家族で出かけた。
 圌ずはFacebookで偶然に知り合った。京郜に䜏む映画監督「R」で、スむス人だった。2009幎に圌が䜜る映画が東京のラむブハりスでも䞊映するず聞き、足を運んだ。その埌Facebook䞊でちょくちょくやりずりをし、僕が京郜に移䜏しお、盎接再䌚した。その圌が先月京郜の郊倖に匕越しお、今日は新居披露パヌティヌずいうこずだった。
 面識あるのは圌だけで、どんな人が集たるのかもわからない。パヌティヌずいうのはそういうものだろうが、䜕人集たるのかもわからず、料理などは持ち寄り制ずいうのに、どのくらいの量の食材を持っおいけば良いのかもよくわからず、たあずにかく行こうずいうこずで車を走らせた。䞀般道で玄1時間半。京郜垂内ずはかなり違う雰囲気の町に着き、家に䞊がった。
 楜しかった。たったく知らない人たちの茪の䞭に入れおもらったわけだが、圌らもたた「R」に招埅されおやっおきたわけで、きっず知らない人たちの䞭に入った状態だったのだろう。話をしお、食べお飲んで、ずおも和やかな時が過ぎた。
 和やかな時を過ごせたのは、きっず「R」の人柄なんだろうず思う。知らない人でも、みな圌の人柄に匕き寄せられた人たちだから、きっず話しやすい人だったんだろうず思う。みんなを圌ず奥さんがもおなし、堎が䜜られる。食べ物は各自が持ち寄ったが、僕らは圌にもおなされたず感じた。
 目的はお店に料理を食べにいく、あるいは友達のパヌティヌに参加する、ただそれだけだ。でも、料理が食べられたら満足なんだろうか。パヌティヌに顔を出せれば満足なんだろうか。満足ずはそういった目的の向こうにあるものだず思う。牛䞌屋で満足するこずもあれば、高玚レストランでむダな思いをするこずもある。それはきっず、メニュヌでも料金でもなく、人なんじゃないかず思うのだ。気持ちのいい人ず䞀緒に時間を過ごすこずが出来れば、それで嬉しい。
 僕は、おもおなしをしおくれる幟人かの人ず出䌚うこずができお幞せだず思う。僕が幞せである以䞊、盞手にもそういう気持ちになっおもらいたいず思う。そういうおもおなしが出来る人間なんだろうか、自分は。そんなこずを考えながら、家路の時間半、車を走らせた。

小さな声

 今回の遞挙は、いろいろな意味で興奮もしたし、譊戒もしたし、倱望もした。
 僕の䜏む京郜区からは、民䞻党逆颚の䞭で前原誠叞が圓遞を果たした。TwitterのTLでは「枝野や前原や野田を圓遞させる地域のダツらは䜕を考えおいるんだ」ずいう蚀葉も沢山目にした。そう。僕がその地域のダツらである。地域のダツらにもいろいろいる。だが、僕の小さな祚では前原誠叞を萜遞させるこずは出来なかった。前原誠叞が72170祚、自民が42017祚、共産が24633祚、瀟民が7416祚。䜍以䞋を党郚足せばかろうじお前原誠叞人の埗祚を䞊回る皋床ずいう圧勝状況。それでどうすればいいんだ日頃から街を歩けばそこら䞭に前原のどアップのポスタヌが貌られおいる。ここは前原が将軍さたの独裁囜家かず思うくらいの勢いで貌られおいる。そんな䞭で、囜民の祚なんお小さいなあず無力感を感じさせられた。
 自分の遞挙区の問題もさるこずながら、党䜓の政党の圓遞者数もずんでもない感じに終わった。遞挙前から「自民の圧勝」的な䞖論調査が繰り返され、それでマッチポンプ的な雰囲気が匷調されおいったずいう偎面もあるだろう。が、結局は反自民の勢力がたずたれなかったのが敗因だず思う。
 思えば、1993幎の政暩亀替以来、政治は結局自民察反自民の構図がずっず続いおきたず蚀える。最初の政暩亀替では䞭遞挙区制で勝ち抜いおきた党掟による連立政暩だった。それが自民党によるスキャンダル攻撃ず、村山富垂率いる瀟䌚党の離脱によっお政暩が再び自民に戻るこずになった。続く2009幎の政暩亀替は、旧民䞻党ず自由党の合䜵によっお生たれた民䞻党が倧きな反自民の察抗銬ずしお遞挙に勝利したのである。その埌小沢䞀郎ぞの叞法的な攻撃ず、マニフェストず真逆の政策を次々に進めた菅野田銖盞ぞの䞍信感が、民䞻党に逆颚を吹かせ、離党者を続出させおふたたび自民に政暩が戻るこずになった。
 別の党による遞挙埌の連立ずいう手法ず、反自民が぀の党になるずいう手法ずで、ずりあえず床の自民䞋野は実珟した。だがいずれも自民の巧みな攻撃によっお、反自民勢力は暩力を明け枡す時にはバラバラに厩されおしたう。そこから再び察抗銬になるたでに、実に15幎のサむクルが必芁だずいうこずになる。
 そうなるず、次のチャンスは2027幎だ。その時には小沢䞀郎も85歳。政治家ずしお第䞀線で勝負するずいうこずは難しいだろう。今回のように少数野党になっおも、それはか぀おの自由党のようなものであっお、だからこれで終わったずいう条件になるずは思わない。だが、埩掻するのに15幎かかったずしたら、それは政治生呜ずしおかなり難しい状況になるず蚀わざるを埗ないだろう。
 そうなるず、もう自民による政治に甘んじるずいう遞択か、もしくは小沢䞀郎に代わる新たな政暩亀代実行胜力を持った政治家が育぀こずに賭けるずいう遞択しかなくなっおくる。だがそれは䞡方ずも難しい。そもそも自民は今回の遞挙でも実質過半数の支持を埗おいるわけではない。それに甘んじお玍埗できる囜民ばかりのはずはない。
 たた、小沢䞀郎は垌有な才胜を持った政治家であり戊略家である。それず同等以䞊の政治家の成長は容易ではない。小沢䞀郎ず同等ではダメなのだ。それ以䞊でなければならない。それが15幎で出来るず考える方が胜倩気だ。䞀方で自民党は着々ず䞖代亀替を行なっおいる。期や期浪人を匷いられおも生掻には困らないずいう態勢で二䞖䞉䞖ずいう䞖襲政治家を登堎させ、なおか぀小泉進次郎ずいう才のある四䞖たでも登堎させおいる。それに勝぀ために、政党ずしおも野党集団ずしおも厩された䞭から新たな才を芋いだし育おなければならないのである。これはもう難事業䞭の難事業ず蚀わざるを埗ないだろう。
 普通なら、諊めるずころだ。でもそれではいけないず思う。じゃあどうするのかずいう具䜓的な工皋衚などはたったくない。次の参院遞でどう巻き返すのかさえ五里霧䞭だ。でも、諊めたりしおはいけない。䟋え今回の遞挙䞭に巷間噂されおいたように囜防軍ができ、城兵制が実斜され、戊争に突入したずしおも、諊めるなんおこずは蚱されない。原発が次々ず再皌働されたずころで原発事故が再び起こったずしおも、諊めたりしおはいけないのだず思う。
 ここたで曞いおきお、では䜕にそんなに察抗すべきなのかずいう疑問は圓然湧く。自民がそんなに悪の暩化なのかず。そうではない。55幎䜓制が始たっお以降93幎の政暩亀替たで、自民党は䞋野の心配がないから慢心しおきた。政治のプロではあっおも、慢心がそこにあるが故に瀟䌚が歪んだ。それを監芖チェックするこずが倧切なのだず思っおいる。そのためには、垞に䞋野の危険性を感じさせる必芁があるず思うのである。そうでなければ、政治は囜民の方を向かない。自分に関係のある業界や官僚や倖囜を向く。それで善政がされるならただいいが、そうだずしおも、それは民䞻䞻矩に非ず、単なる殿様による䞖襲政治である。䞖襲の支配局によるおこがれ善政に過ぎない。今の自民のように二䞖䞉䞖が跋扈する政党が政暩を長期間占めるならばなおさらだ。
 ああ、なんかここたで曞いおきお、そんな倧きな問題のこずたでじゃなくお、もっず卑近な矮小な぀たらない郚分での倱望だったんだず思う。それは、60%を切る投祚率だ。割以䞊の有暩者が、暩利など芁らないず行動で瀺しおいるのである。そんなずころに民䞻䞻矩も䜕もないだろう。311ずいう未曟有の灜害を経お、その埌の囜の察応の異垞さず䞍公平さを芋おきおなお、暩利など芁らないず投祚を棄暩しおいるのだ。遞挙制床がどうだずか、マスコミの情報操䜜ずか、二䞖䞉䞖の䞖襲ずか、そんな問題以前の、囜民の意識の䜎さが問題なのだ。民衆の意識が䜎いなら民䞻政治もたた䜎くならざるを埗ない。だったら、このたた谷底に真っ逆さた以倖に道はないのかもしれないず、そんな感じの倱望だったんだず、今は感じおいる。
 じいさんたちによる政党「立ち䞊がれ日本」は消滅したが、いたこそ立ち䞊がれ日本人なんだろうず思う。そうでなければ、この囜に明るい未来などはない。あるのは、ご䞻人様によっお生かされる奎隷の䞀生ではないのだろうか。

颚は吹いおいるか

 䜜業をしながらCDをたくさん聎いおいた。今日はCOVERSも聎いた。RCサクセションの1988幎のアルバムだ。
 このアルバムは圓時発売䞭止になったいわく぀きのアルバムだ。原発反察を歌っおいたから、原発メヌカヌである東芝の子䌚瀟東芝EMIが発売を䞭止にしたのだ。しかしその埌KITTYレコヌドから発売された。発売が決たらずお蔵入りかず思われおいた時期にはファンの間で非公匏のテヌプカセットが出回っおいるず噂だった。倏の野音のチケットを取るために日本攟送のプレむガむド圓時っぜいに培倜で䞊んでいた時も、先頭付近のファンたちはその話で持ち切りだった。
 た、それはずもかく。1988幎のこのアルバムをこの時期に聎いた。311以降は反原発の人たちが枅志郎がタむマヌズ名矩で出した曲のいく぀かず、このカバヌズの数曲を取り䞊げお自分たちの䞻匵に利甚した。僕個人は原発反察だが、だからずいっおそうやっお枅志郎の曲を䜿うこずはどうかず思っおいた。なんずいっおも枅志郎は故人だ。その䜿い方が枅志郎の意思に沿っおいるのかどうかわからない。そういう䜿い方は故人に倱瀌だ。
 で、今日のカバヌズだ。
 曲目は「明日なき䞖界」、バリヌ・マクガむアのEve of Destructionのカバヌ。「おたえは殺しの出来る幎霢でも遞挙暩もただ持たされちゃいねえ」ずくる。
 曲目は「颚に吹かれお」、ボブディランのblowin’ in the windのカバヌである。「どれだけ遠くたで歩けば 倧人になれるのどれだけ金を払えば 満足できるのどれだけミサむルが飛んだら 戊争が終わるのその答は颚のなかさ 颚が知っおるだけさ」だ。
 曲目は「バラバラ」、レむンボりズのBalla Ballaのカバヌ。「䞖界䞭バラバラ 人々はバラバラ考えがバラバラ やるこずもバラバラ」
 通しお聎いおいるず、枅志郎なりの譊告だったような気がする。圓時の僕は若くお、ずいうか幌くお、ガキで、䞖界は平和で、単にRCの曲が聎きたいずいうだけだった。発売が䞭止になった理由に瀟䌚的な問題があっお、そんなのどうでもいいから䜜った曲は聎かせろよず思っおいた。今聎いお、それはたったくバカだったなず思わずにいられない。それは、今の瀟䌚の状況がたさにこのカバヌズの譊告にピッタシだからだ。
 僕は曲目の「颚に吹かれお」の「その答は颚のなかさ 颚が知っおるだけさ」が劙に頭に残った。この単玔な蚀葉にはいろいろな意味があるだろうし、いろいろな解釈もされおいる。僕なんかが今さらだが、聎いおいお思った。颚ずは、瀟䌚の雰囲気なんじゃないかず。遞挙などではよく「颚が吹く」ずいわれる。郵政遞挙の時には「小泉旋颚」が吹き荒れた。぀たり、颚ずは、囜民の意思なんじゃないかず思ったのだ。そう考えるず、䞖の䞭にあるあらゆる問題は、囜民の意思によっおしか決たらないし、その意思が、ひず぀の方向に向けお匷たった時に颚は起きる。311以降初めおの総遞挙で、僕ら囜民の意思ずいうのはひず぀の颚ずなっお吹くのだろうかそのこずが問われるんだろうなあず思ったのだ。
 その盎埌に「䞖界䞭バラバラ 人々はバラバラ」ず来るものだから、頭が痛い。その曲の最埌の歌詞は「爆匟がバラバラ 身䜓たでバラバラ WOOバラバラ」である。そう簡単に、理想など珟実にはならない。そもそも人々がみんなバラバラのこずを考えおいおは、颚など吹かないのである。それが自由ずいうものの実䜓なのかもしれないし、それによるメリットも、デメリットも同時に存圚しおいるのかもしれない。
 いずれにせよ、もうすぐ遞挙だ。正しい方向に颚が吹かないず本圓にマズいずころに来おいるず僕は思う。老いも若きも、正しい日本の、そしお䞖界の圚り様を真剣に考えお、自分なりの颚を吹かせおいかなければいけない。

自分の意思を衚明するずいうこず

 2009幎の2月、むスラ゚ルの文孊賞である゚ルサレム賞を受賞した村䞊春暹はスピヌチでこう語った。「ここで、非垞に個人的なメッセヌゞをお話しするこずをお蚱しください。それは小説を曞いおいるずきにい぀も心に留めおいるこずなのです。玙に曞いお壁に貌ろうずたで思ったこずはないのですが、私の心の壁に刻たれおいるものなのです。それはこういうこずです。
 「高くお、固い壁があり、それにぶ぀かっお壊れる卵があるずしたら、私は垞に卵偎に立぀」ずいうこずです。
 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないずしおも、私は卵サむドに立ちたす。他の誰かが、䜕が正しく、正しくないかを決めるこずになるでしょう。おそらく時や歎史ずいうものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁偎に立っお䜜品を曞く小説家がいたら、その䜜品にいかなる䟡倀を芋い出せるのでしょうか」
 圓時はオバマ政暩誕生盎前で、政暩移行期の空癜期にむスラ゚ルがパレスチナ自治区ガザを空爆。倚数の死者も出おいた䞭の授賞匏に村䞊氏が出垭するこずぞの批刀も高たっおいた。スピヌチの䞭で村䞊氏自身が「出垭するな」ず蚀われたず明かしおいる。だが村䞊氏は敢えお出垭し、スピヌチで意思を衚明した。
 日本での総遞挙を来週に控え、僕はそんなこずを思い出したのだ。
 今回の遞挙は実に重芁だず感じおいる。僕らの遞択が囜の圚り様を倧きく巊右するずいう実感があるからだ。これたでの政治の圚り様、それにた぀わる利暩の存圚、それらに振り回される小さな人々。それが昚幎311の震灜ずそれに続く原発事故でより劂実に迫っおきおいる。なのに瀟䌚はそれを解決する方向には進たない。埩興ずいう蚀葉に察する理想型が囜民の䞭で䞀臎せずにむしろ察立しおいるようにも芋える。では心からの理想を埩興に投圱しおいるのかずいうず、そうではなく自らの利益のために埩興を利甚しおいる人たちの姿も透けお芋える。
 僕は、それが「高くお、固い壁」なのではないかず思うのだ。
 僕らは目の前に暪たわっおいる原発事故の収束ずいう倧きな課題を解決できずにいるのに、政治は別の呜題を衚に出しお行こうずしおいるようにも芋える。囜防軍問題や改憲問題を殊曎にこのタむミングで蚀う人がいる。城兵制を口にする人もいる。人暩を制限しようずする動きも芋える。
 第二次䞖界倧戊で日本は敗戊をした。同じ敗戊囜家であるドむツでは、囜を戊争に導いたナチスをタブヌずし、ナチス関係者の眪をけっしお蚱さず、芋぀けたら墓を暎いお断眪するほどだった。それは囜の平和に関するトラりマだったのだろう。絶察にナチスを蚱しおはならない。それがドむツの姿勢だった。日本ではどうだろうか。トラりマがあるずするならば、それは栞であり、軍囜䞻矩だったのだず僕は思う。だから非栞䞉原則を愚盎に堅持し、憲法第九条の戊争攟棄を金科玉条のように倧切にしおきた。
 それが、今別の颚向きに曝されようずしおいる。
 改憲論自䜓はあっおいいず思う。時代が倉わればルヌルも倉わる必芁がある。だが、倉われば必ず良くなるずは限らない。そしお今おこなわれおいる改憲論のベクトルは、日本を再び軍事倧囜ぞず向かわせようずしおいる。そしおそのベクトルを善しずしおいる人が増え぀぀あるこずも珟実で、空恐ろしい。
 䞖界的な䞍況の珟代である。䞍況は垞に需芁を欲する。䞍況によっお醞成された自暎自棄なムヌドず厭䞖芳が、戊争に寄っお生み出される軍需需芁を欲しやすくなるのは歎史が蚌明しおいる。八方手詰たりの政治がそこに向かう可胜性はけっしお吊定出来ない。だからこそ、珟圚の改憲ベクトルがずおも危険で、忌むべきものだず僕は思うのだ。
 
 48歳の僕は、非垞にいい時代を生きおきたず思っおいる。高床成長の䞭で䞡芪の仕事もそれなりに順調で、特に䞍自由なく育った。私立の倧孊にも通わせおもらった。卒業の頃はただバブルで就職も比范的簡単だった。それは芪の䞖代が戊争を䜓隓し、平和を倧切に思いながらこの囜を䜜っおきたからだず思う。政治家だけではなく、普通の人たちがかなり頑匵っお日本を豊かにし、僕らの䞖代は恩恵を受けおいるのだず思う。
 だからこそ、子䟛の䞖代にも平和で豊かな日本を受け継がせおいく責任が、僕ら䞖代にはあるのだず考えおいる。仮に豊かな日本が難しくなったずしおも、せめお平和な日本だけは死守しなければならないんだず匷く思う。
 埌玉に94歳の男性が無所属で立候補したずいう。「葬匏代ずしおためおいた幎金を遞挙資金に充おた」ず芚悟を口にする。「右傟化する安倍晋䞉・自民党総裁や石原慎倪郎・日本維新の䌚代衚から『軍』なんおいう蚀葉が普通に出る。橋䞋培・同党代衚代行もムチャクチャ。無条件降䌏したのに。日本はどうなっちゃったんだ、ずいう䞍安がありたした」「オレは戊争で死なず、散々いい思いをした。このたたじゃ死んでいった仲間に申し蚳ない」ず。この人が圓遞するかどうかは刀らないし、仮にこの人が人圓遞したずころで囜䌚を巊右できるずは思わない。だが、この人にずっおは居おも立っおもいられない想いが突き動かし、今回の立候補になったのだろうず思う。䞖代は違えどもそれは僕の䞭にもあるやりきれない想いだ。本圓なら僕も立候補したいくらいの気持ちがあるが、珟実がそれを蚱さない。そういう意味でこの94歳男性の行動はあっぱれだず思うし、ある意味、そうしたいけれども出来ずにいる人たちの代匁者であるように感じおいる。
 この人のように立候補たでしなくずも、僕らには祚を投じるずいう暩利はある。それは無料だ。20歳以䞊の日本人なら誰だっお出来るこずだ。だからそれをやればいいんだず思う。投祚を出来るずいうこずは、ずおも玠晎らしい暩利なのだ。
 村䞊春暹のスピヌチにあった「壁ず卵」の䟋えは、ガザ地区を包囲しおいる壁のこずを指しおいるこずは間違いないだろう。ガザ地区を包囲する高い壁はパレスチナ人をその䞀画に抌しずどめおいる。パレスチナにも蚀い分はあるだろう。むスラ゚ルにも蚀い分はあるだろう。だから問題は解決せずに今も囜際問題ずしおそこに暪たわっおいる。その珟実は壁によっお遮られ、パレスチナ人は自由を欲し、壁に挑む。人々はむスラ゚ル兵に投石を行ない、やがお火炎瓶を投げるずいう攻撃に぀ながっおいく。その投げ手は女性や子䟛を含んでいた。
 なぜかそういう手段しかないからである。合法的な方法など無く、だから石を投げるこずしかできない。自爆テロも行なわれた。それしか方法がないからである。
 村䞊氏は垞にぶ぀かっお壊れる卵の偎に立぀ず蚀った。僕はその姿勢は正しいず思う。だが、出来れば卵を投げお壊れおしたう前に行動を起こしたいずも思うのだ。
 それは今なら遞挙だ。卵を投げる前に祚を投じたい。そのくらいのこずを今しおおかなければ、子䟛の䞖代には本圓に卵を、石を、火炎瓶を投げなければいけないこずになっおしたうんじゃないかずいう匷い危惧を感じおいる。
 では遞挙でどういう祚を投じるべきなのだろうか。僕の䜏む京郜巊京区は、京郜府区ずいう遞挙区である。ここには䜐藀倧瀟民党、原 俊史共産党、前原誠叞民䞻党、䞊䞭 康叞自民党の氏が立候補をしおいる。これたでは、この䞭の特定の候補を萜遞させたいずいう思いがずおも匷かった。その人を萜遞させるために最倧の効果を発揮する投祚行動は、䜍䜍を争う察立候補に投祚するずいうこずがもっずも効果的だず蚀える。ではそのやり方で投祚したずしたらどうなるのだろうかそれは、改憲論を䞻匵する党銖を持぀政党の力になるずいうこずに他ならない。圓初の目的を達成するために最倧の努力を払うずいうこずは、結局はそういうこずになっおしたう。
 だが、それでいいのか。もし仮にこの囜が軍囜䞻矩に傟斜しおいったずしお、今回の投祚行動で改憲論を䞻匵する政党に祚を投じおいたずしたら、埌日子䟛に蚀い蚳できるのか。そう考えおいくず、やはり投祚ずいうのは単なる戊術などではなく、自分の意思の衚明以倖のなにものでもないずいうこずに突き圓たる。
 僕は思うのだ。民䞻䞻矩ずいうのは倚くの人たちの想いに基づいお意思衚明がなされる仕組みなのだず。小さな人たちの意思が祚ずいう圢で衚出し、この囜の未来を䜜っおいく。僕の想いは小さいが、同じように小さい想いが積み䞊げられお、倧きなベクトルずなっおいく。その小さな想いは、小賢しい戊略であっおはならない。玔粋に自分がこの囜が将来どうあっおほしいのかずいう意芋であるべきである。そう考えるず、嘘぀きの党の䞭心人物や、この囜を軍囜䞻矩ぞの第䞀歩に匕きずる可胜性のある党の候補には絶察に投祚など出来ないず思う。他人はどうか知らないが、僕個人はそう思う。だから、その想いに忠実に意思を衚明すればいいのだず思う。割ず単玔なこずだ。
 この京郜府区では、以前から応揎したいず思っおいる人の関係者が立候補しおくれおはいない。もしそういう人が立候補しおいれば簡単な遞択だったず思う。だがいろいろな事情があるのだろう。今回はそういう簡単な遞択が出来る状況ではない。しかし、そのこずでいろいろず考える機䌚になったわけで、ある意味良かったなずも思っおいる。投祚の結果どんな勢力分垃になっおいくのかが重芁なのではなく、自分がどういう人に政治を蚗したい、あるいはどういう人に政治を蚗したくないかずいう、そういう気持ちを倧切にしお、子䟛にも胞を匵っお自分の遞択を説明できるような、そんな祚を投じればいいのだ。少なくずも今はそう思っおいる。