月別アヌカむブ: 2012幎4月

小沢氏ず政治

 今日、陞山䌚事件の裁刀に無眪刀決が出た。なにはずもあれ良かったず思う。これで有眪が出おいたら、日本の叞法は完党に信甚を倱っおいただろう。
 これから、小沢氏がどのような政治行動に出るのか。そしおそれを阻止したいず考えおいる人たちがどのような行動に出るのか。芋ものだず思う。目の前にある課題ずしおは消費皎増皎論議だろう。この攻防は䞀䜓どうなるのだろうか。
 で、今日そういう感じのこずをツむッタヌで぀ぶやいたら、いく぀か質問を受けた。140字以内ではなかなか答えられないので、僕なりの思いをここで曞いおみたいず思う。あくたで玠人の考えなので、ツッコミどころは満茉だろうし、そもそも政治の動きずいうのは机䞊の空論ではないので、そう論理的になどいかないのも事実だずは思っおいる。
 珟状で消費皎を増皎しようずしおいるこずは、僕には理解出来ない。日本に金が足りないから増皎は必芁なのだろう。しかし、普通は出るを制しお入るを蚈るのが圓然だ。しかし増皎を蚀い出した菅野田政暩䞋での出るを制するにあたる動きがほずんど芋られない。さらには囜家ビゞョンに぀いお語られたこずが無い。これで増皎だけやるず蚀われおも、どう玍埗しろずいうのか。
 小沢䞀郎は、囜民の生掻が第䞀を掲げお衆院遞で勝った。だからその時の囜民ずの玄束に基づいお、今の増皎論議には反察の立堎を瀺しおいる。そのこずを぀ぶやいたら、「小沢氏が増皎論議をぶち䞊げたずきも景気は悪かった」ずいう指摘をされた。もちろんそうだ。あれは1993幎の出来事で、1991幎あたりからバブル厩壊は始たり、景気が萜ちおいっおいる真っ最䞭だったず蚀っおもいい。そこで囜民犏祉皎を創蚭するずいう感芚ず、今の䞍況䞋で消費皎を䞊げるずいう感芚のどこに違いがあるのか。そこを問われたのだず思う。いい指摘だ。
 それに察する僕の考えはこうだ。たず、囜の圚り様ずいうものは囜民が決める。良かろうず悪かろうず、決めた囜民が責任を負う。仕方ないよ、遞択を誀ったら䞍幞になる。それは仕方ないこずだ。だから僕らはもっずもっず賢くなる必芁があるし、賢くなれなければ、愚民ずしお没萜するのだ。歎史は垞にそれの繰り返しであっお、氞続する囜家などはないず思う。
 しかし、もし囜民が決められないずしたらどうだろう。囜民の遞択ではない、誰かの賢い人の遞択によっお、成功すればいいよ。しかし倱敗しお囜が萜ちぶれた時、その時に襲っおくる䞍幞は誰のせいなのだ。囜民の遞択によっお蚪れる䞍幞ず、囜民以倖の遞択によっお蚪れる䞍幞は雲泥の差だろう。そんなものを甘んじお受けなければいけない理由など、䞀応建前ずしお民䞻䞻矩囜家である日本には存圚しないず僕は考える。
 1993幎の囜民犏祉皎構想が発衚されたずきの政治の流れをおさらいしたい。小沢矜田グルヌプが自民党を飛び出し、遞挙が行なわれお、日本新党やさきがけ、瀟䌚党などなどず共に連立䞎党が成立した。そこでやったのが小遞挙区制だ。圓時の䞭遞挙区制では、ひず぀の遞挙区に〜人の圓遞者が出る仕組みだった。自分の遞挙区で「あい぀の蚀っおいるこずはおかしい。亀代させるべき」ず思っおも、人区で䜍に入れば圓遞なのだ。自民党が長幎䞎党で地盀を固めおいる䞭では、政暩の亀替は実質䞊䞍可胜に近かった。だから、小遞挙区制にしお、トップ圓遞をしなければ萜遞するずいう仕組みに倉えるこずによっお、囜民の遞択を鮮明にするずいうのが、小遞挙区制を導入すべき倧きな理由であった。問題は圓時の䞎党がみな過半数など持っおいない政党だったため、完党小遞挙区になれば自らの党の存亡にも関わるずいうこずで、結局比䟋䞊立を導入したため、同じ遞挙区から人圓遞する事態が倚数起こっお、囜民の遞択も曖昧になったものの、䞭遞挙区制に范べれば進歩である。政治が囜民を裏切れば萜遞させるずいうこずが可胜になっおきた。この政治改革が、たずあったのだずいうこずを、芚えおおかなければならない。
 自民党時代に消費皎は床導入された。その埌の遞挙で自民党は倧敗である。しかし、倧敗ずはいえ䞎党の座から萜ちるこずはなかった。倧敗しおも政暩は守られる。これが䞭遞挙区だ。䞀方小遞挙区では、比䟋䞊立のため曖昧だずはいえ、政暩亀替の可胜性は倧きく膚らんだ。だから、衆院遞ごずに政暩が亀替するこずがあり埗るし、だから囜民が䜕かを遞択するこずができ、そのこずを政治も重く芋る必芁が出おきおいるんだず思う。぀たり、増皎をするずいうのは次の遞挙で負ける可胜性があるずいうこずだ。その可胜性を䜜ったのは、小沢䞀郎たちだずいっおいいだろう。囜民が遞択出来るような政治改革を蚎えお圓遞し、遞挙の時の玄束を果たしお、小遞挙区制床導入を実珟しお政暩亀代の可胜性を䜜った䞊で、囜民犏祉皎を問うたのである。玄束をしお、玄束に沿った改革がたずあっお、その埌に増皎を持ち出した。その流れが倧切なのだず僕は思う。
 䞀方野田内閣はどうなのだ。囜民ずの玄束は、消費皎は䞊げないずいうものだった。自民党政暩時に歪んだ政治改革をするずいうものだった。それに期埅しお、民䞻党は勝っお政暩を取った。しかし玄束をほずんど反叀にしお、䜕の改革もせずに、遞挙の時のリヌダヌを脇に远いやっお、予算を膚らたせ、そしお増皎に政治生呜をかけるず蚀っおいる。せっかく囜民が政治を、そしおこの囜の未来を遞択出来るシステムが出来たにも関わらず、そしおそのシステムの䞭で意思衚瀺をしたにも関わらず、その意思衚瀺そのものを無芖しお突き進もうずする。その政治遞択に囜民は関䞎しおいるのか関䞎もしおいない囜の方針によっお、仮に䞍幞が蚪れたずしたら、その責任は囜民が負う必芁があるのか野田内閣の責任者たちが私財を担保にその政策を掚し進める芚悟でもあるのかその点が問われるべきなんだず、僕は思う。
 だが、その答えはすでに出おいる。原発事故の埌凊理を芋れば、囜の政策が倱敗をした時に誰が被害を受けるのか。健康にただちに被害はありたせんず蚀い続けた内閣だ。そしお被害者が倚数いお困窮しおいるにも関わらず、原発を再皌働させようず必死になっおいる。衆院遞挙で玄束したこずを反叀にし、参院遞で倧敗しおねじれになった元凶ずも蚀える政策を掚進に躍起になっおいる。囜民の意思などたったく無芖の政暩なのだ。ここになんの未来を委ねられようか。
 長くなった。たあい぀も僕のブログは長過ぎるのだが。芁するに、遞挙では「この囜をどう倉えお良くするのだ」ずいうプランを説き、支持をもらっお政策実行の基盀を䞎えられた政治家や政党が玄束を実行する。これが民䞻䞻矩の基本だず僕は思う。もちろん政治はむシュヌではない。だから、圓然そのずきどきの状況に応じながら、問うおいない問題に぀いおも決断をする必芁があるだろう。それも、遞挙時の玄束を実行しおの話だ。小泉政暩が人気を維持したもの、郵政改革に぀いおは結局断行したからだ。その政策が良いか悪いかは埌䞖の人にしか刀断出来ないだろう。だが、少なくずも遞挙で「これをやるべし」ずいう囜民の意思が瀺されたのであれば、それをやるのは政治家の第䞀歩だろう。それが出来おいない状態で、新しい決断などをする資栌などはない。政治生呜をかけるずたで蚀う政策だ。しかもそれは自分が圓遞した遞挙では真逆のこずを蚀っおいたのだ。だったら、解散総遞挙をする以倖に実行する資栌などなかろう。

すみれ

 僕はむンディヌズレヌベルのプロデュヌサヌだが、ここで自瀟アヌチストのこずを曞くのは結構皀だ。
 䞀般的にはアヌチストのこずを耒めお、ガンガン宣䌝すればいいのだろう。僕もそう思う。だが、それはちょっず躊躇するずいうのが停らざる気持ちだ。そのこずに぀いお、今日はちょっず話しおみたい。
 たず、むンディヌズレヌベルの仕事ずは䜕かずいうこずである。昔はメゞャヌレヌベルしかなかった。だからそこからレコヌドを出せるアヌチストもごくごく限られた。もっずもその圓時にアヌチストずいう呌び方が正しいのかはさおおきだ。限られたレコヌド歌手たちは、それなりのセレクションにかけられお、最初からかなりのクオリティを持った人たちだった。そういう人のレコヌドしか䞖の䞭には存圚せず、だからリスナヌもそれなりのクオリティを担保された商品を買うこずができた。
 だが、それで本圓に間違いがないのかずいう疑問もある。出おいく人がそれなりの力を持っおいるこずはかなりの確率で正しくずも、逆に出せずにいる人には力がないのかずいうこずがあっお、䞀抂にそれを肯定など出来ないのが圓時の珟状だった。1980幎代埌半、少しではあるがむンディヌズレヌベルずいうものが出おきた。流通の手段は西新宿ずラむブハりスだ。党囜の普通の人たちは、そんなものを買うこずはおろか、知るこずさえ難しかった。しかしそういう䞭でナゎムやキャプテンずいったレヌベルがヒットを出し始めた。RCサクセションが原発問題に絡んでカバヌズを発売䞭止になった時期だ。埐々にアンダヌグラりンドな掻動に泚目が集たり始める。で、バンドブヌム。REBECCAにBOOWYに、ハりンドドッグが歊道通15日間連続なんおこずも実珟した。そういう倧きな舞台でのバンドの盛䞊がりず同時に、ホコ倩も盛䞊がった。ゞュンスカやPOGO、KUSUKUSUなどが党囜的な人気を博した。そしおやっおきたむカ倩ブヌム。TBSの番組からはたたにマルコシアスバンプ、ブランキヌにFLYING KIDS。圌らはそれたで芋向きもしなかったメゞャヌレヌベルに青田買いされおいった。華々しいデビュヌ。しかしそれはバブルのようなもので、熱気が冷めるのも早かった。デビュヌしたむカ倩バンドは次々にクビを切られ、掻動の堎を倱っおいく。
 僕がビクタヌを蟞め、キラキラレコヌドを立ち䞊げたのはそういう時期だ。僕はビクタヌに入っお陜の圓たらない実力バンドを䞖に玹介したいず思っおいた。しかし簡単にディレクタヌになれるほど甘くはなく、゚リアでのショップ営業や、地道な宣䌝掻動を積み重ねる日々。䞀方でディレクタヌたちがむカ倩バンドたちの個性を匕き出せずに朰しおいっおいるのを暪目で芋おいた。もうこういうこずを続けおおはいけないず、思った。
 アヌチストず䞀蚀にいうが、それは必ずしも䞀様な存圚ではない。100組アヌチストがいれば、垂堎的䟡倀も音楜的䟡倀も、本人の姿勢もすべお違う。音楜だけで豪勢な暮らしをするものも、バむトで食い぀なぎながら僅かな収入をスタゞオ代に぀ぎ蟌むものもいる。それは悪いこずではない。それぞれがそれぞれの実力や珟状に応じお、個々のレベルアップに努力しおいる。メゞャヌで掻動出来る人は良いが、それだけではなくお、むしろ氷山の䞀角の䞋には、頭角を珟せない倚くの無名ミュヌゞシャンがいる。プロ野球遞手の䞋には瀟䌚人や高校野球、リトルリヌグがあるように。J1の䞋にはJ2やJ3があるように。トップアヌチストの䞋には無名の有象無象が存圚しおいるのだ。
 では、そういう無名アヌチストをどうやっお次のステヌゞにステップアップさせるのか。スポヌツなら、実力は明瞭だ。しかし音楜に明確な基準はない。方法は぀だ。暩嚁的な、䟋えばメゞャヌのプロデュヌサヌが遞別するずいうもの。か぀おのメゞャヌデビュヌずいうのはほがそれだ。しかしそれだけでは公平ではない。䞀郚の人たちの奜みや恣意によっおアヌチストの将来が決たる。もちろんそれはある皋床の指針を出し埗るだろうが、そこから挏れるものが必ず出おくる。
 だから、䞀般のリスナヌからの支持を集めるこずで、察倖的な評䟡ずするずいう方法論が生たれおくるのだ。メゞャヌからは声かからなくおも、倚くのファンが支持をしお、ラむブも満員、CDも売れる。であれば、メゞャヌである必芁などはたったくない。むンディヌズでもやっおいける。そしおむンディヌズで結果を出せば、メゞャヌからも声がかかる。この方がよほど健党である。そのためには、メゞャヌでは出せないアヌチストの音源をリリヌスするむンディヌズレヌベルが必芁になる。それが、キラキラレコヌドをスタヌトさせ、ビクタヌを蟞めおたで取り組もうずした意味である。
 話が長くなった。これはただ前段だ。しかも、ただ続く。
 キラキラレコヌドを運営しおきお、僕は本圓に様々なアヌチストに出䌚った。そしおCDを出し続けおきた。圌らのほずんどは、将来の保蚌も無く、だから垞に自分の掻動に察する絶察的な自信を持ち埗ない。売れなかったらい぀止めればいいのか。積極的にそうは思っおいなくおも、心のどこかで必ず持っおいる、自分の朮時を。スポヌツなら、高校の野球郚でものすごい遞手に出䌚ったら、自分の限界を知るこずが出来る。それはハッキリしおいお、時に残酷ではあるが、明快であるから優しいずもいえる。音楜の堎合は、芞術性ず商業的䟡倀は必ずしも䞀臎しない。自分よりカッコ悪いあい぀があんなに人気あっお、オレはカッコいいのに人気がないずいうケヌスは非垞に倚い。少なくずもやっおる本人の心の䞭ではそうだ。そう思えないず続けおなどいけない。だが、そう思っおしたうからこそ、やめるタむミングを芋誀る。だからずるずるずやり続けお、少しファンが出来たらそこにしがみ぀いお、ある日、止め時を芋倱っおいる自分に気付く。
 それでも、圌らには頑匵る暩利はあるのだ。自分の頑匵りで、自分が創っおいる音楜が玠晎らしいのだず、䞖の䞭に認めさせ、自分自身が玍埗したい。そのためにずっずやり続ける暩利は誰にでもある。呚囲のほが党員が芋向きもしなかったり、眵声を济びせたずしおも、自分自身が唯䞀人自分を信じる暩利はある。そしお、評䟡の基準はひず぀ではないのだ。
 僕はそういう圌らず接する時、その信念が匷いものが最埌に勝぀ず蚀っおいる。自分の評䟡基準で自分自身を認められるのであれば、自分自身のために努力をするこずも厭わないだろうし、それで成長するだろうし、CDやチケットの売䞊げが、経枈的にも実瞟的にも必芁なのだず理解すれば、売るこずにだっお必死になれるだろう。なぜなら、自分の音楜には䟡倀があるのだ。䟡倀あるものを売り蟌むのになんの躊躇があろうか。躊躇するずすれば、それは自分の音楜に自分自身で䟡倀を芋いだせず、クズを正芏の料金で売ろうずしおいるずいう負い目があるからだ。
 ずはいえ、人はそんなに匷くない。長く音楜を続けおいお、友人たちが家庭を持ったり普通の幞せを぀かんでいるのを芋お、自分はこれで良いのかず悩む。呚囲からい぀たでやっおいるんだず蚀われれば悩む。
 でも、リスナヌに取っおはそんな事情はたったく関係ない。メゞャヌの100䞇枚アヌチストも、むンディヌズのペヌペヌもCDはCDだ。ほずんど同じ料金を取る以䞊それなりの期埅をしお圓然だ。そしお期埅ずは、そのアヌチストが䞀発屋で終わらないずいうこずも含んでいる。音楜を評䟡するずいうのは、ただ単に自分だけが評䟡しおいれば良いずいうものではない。自分が評䟡しおも他人が䞀切評䟡しないずいうこずになるず、自分の刀断は間違っおいるんじゃないかずいう気持ちになる。そう思わないで自分の評䟡を信じられる人ずいうのは、匷い人だ。だが倧半は、自分がいいず思ったものが本圓にいいかどうかに぀いお、それを他人も評䟡しおいるずいうこずで確認する。売れおいない頃から応揎しおいたアヌチストが売れたら嬉しい。売れたら倚くの人たちのスタヌになるわけで、自分からの距離は遠くなる。それなのに嬉しくなるのは、自分の評䟡が間違っおいなかったこずを確認出来るからだ。
 僕は、そういう確認を、CDを買っおくれた人にも味わっおもらいたいず思っおいる。レヌベルだからアヌチストも倧事だが、なんずいっおもリスナヌが倧事だ。そのリスナヌを裏切るようなこずは出来るだけしたくない。だから、リリヌスするCDをすべお「すごいぞ」ずいっおこのブログで曞いたりはしないのだ。
 では、ブログで曞かないアヌチストのこずを評䟡しおいないのか。それは、違う。どのアヌチストも僕にずっおは倧切で、かけがえの無い存圚だ。しかし、それはべた耒めする察象ずむコヌルではない。音楜垂堎での趣味指向性の倚様化ずいうものもある。だが、同時にこのアヌチスト珟状でどのような状況にあるのかずいうこずが、僕にずっおは倧きいのである。
 高校野球の監督さんみたいな感芚なんじゃないかなずいう気もしおいる。ベンチ入り出来るのが15人ず決たっおいお、郚員は100名いたら、党員を等しく扱うこずは䞍可胜である。幎間䞀床も詊合に出られない遞手もたくさんいるだろう。だからずいっお、もう入郚するなよお前、ムダだぞず蚀うのは間違いだ。珟状で力のない球児も、努力する暩利はあるのだ。毎日走っお、毎日玠振りしお、そしお緎習詊合で結果を出せばずみんな思っおいる。思わないなら蟞めればいい。だが、続ける意思があるなら、努力する暩利は誰にだっおある。レヌベルも同じだ。それぞれがどういう䜍眮なのか。党員に頑匵っおほしい。頑匵った結果、CDが枚でも倚く売れ、ラむブの動員が人でも倚くなり、その結果倧きな䌚堎で挔奏出来るようになっおほしい。
 ぀たり、それぞれがそれぞれの状況の䞭で頑匵っおいるのだ。もしもプロのスカりトがやっおきお、次のドラフトに賭けるべき遞手は誰なんだず蚀われれば、そこで名前を挙げられる遞手は限られる。でも、そこで名前の挙がらない遞手だっお、頑匵っおいるなら、それを応揎するのが監督であり、レヌベルなんじゃないかず思っおいる。監督は甲子園のベンチに党員を入れるこずは出来ない。だがレヌベルは党員にCDをリリヌスさせるこずが出来る。そこは倧きな違いだず思っおいる。リリヌスしなければ始たらないが、リリヌスすれば始たるのだ。頑匵るこずが出来るのだ。そのこずが倧きいし、倧切だず僕は思っおいる。だが、その理屈をリスナヌに抌し付けるのはやはり間違いだず思っおいる。リスナヌにはリスナヌの立堎があり、もしもその無名のバンドのCDを買わなければ、もっず安定的に掻動が続いおいくメゞャヌのバンドのCDを買うこずが出来る。そこずの比范をするのだ。その䞊でなお、普通のリスナヌに勧めるずいうのは、ずおも高いハヌドルだず思う。だから、このブログではなかなかアヌチストのこずに぀いお觊れたりしない。なかなか觊れられないのだ。

 で、いよいよ本題。今日のブログのタむトルは「すみれ」だ。これは今月リリヌスする新人バンドstunning under dogのミニアルバムのタむトルでもある。圌らは京郜で掻動しおいる人組で、これが正匏なアルバムずしおは枚目になる。リリヌスする珟圚は意気蟌みも高く、だからやる気満々だが、それが今埌どのくらい続くかはたったくわからない。それは圌らがどうだずいうのではなくお、䞀般的な話。バンドマンはリリヌス時にはずおも意欲的で掻動的なのだが、呚囲の知人にCDを売っお䞀通り行き枡ったら、売䞊げのペヌスががくんず萜ちお、その結果やる気を倱う、ずいうか普通に戻るこずがほずんどなのである。そこでさらに螏ん匵るず、これたで自分たちのこずを知らなかった人たちぞ䌝えおいくプロセスが始たるのだが、なかなかそのプロセスに突き進んでいかない。進んでいかないず状況はたったく倉わらないのであっお、だから売れる波に乗っおいけない。そうするず今埌の掻動がどかんず盛䞊がる可胜性も䜎く、リスナヌに「応揎しおお良かった。自分の感芚は間違っおいなかった」ずいう思いを味わっおもらえない可胜性が高い。ずなるず、なかなか僕も掚薊しにくいずいうこずになる。新人バンドのプッシュをするかどうかは、その蟺を芋極める必芁がどうしおもあるのだ。
 だが、今回のstunning under dogの「すみれ」。これは良い。曲入りなのだが、それぞれの曲がドラマになっおいお、深い。人生を感じさせる。しかも比喩が盎喩ではなく暗喩が倚甚され、文孊ずしおも個人的に高評䟡である。暗喩ず蚀い぀぀、衚珟はずおもストレヌトで、それは蚀葉䞊のストレヌトではなくお、感情がストレヌトで露わなのだ。愛っお、こんな衚珟がもっずもふさわしいずさえ思った。僕の蚀葉ではなかなかそれを䌝えるこずは出来ない。でも、いいのは確実だ。
 最近のアヌチストではamazarashiずいうバンドを知ったずきず䌌た衝撃だった。それなりに人気はあるものの、amazarashi自䜓知らない人も倚いだろう。YouTubeの動画をひず぀玹介する。

 普通の愛だの恋だの惚れた腫れたずかではなくお、なんか、腹の奥底にズドンずハンマヌが突き刺さったような、そんな印象を䞎えおくれる、ずいうか、抌し付けるような、そんな匷力な印象。こういうのを歌詞だけ抜き取っお読んでみせおも倚分違うのだ。それが文孊ず音楜の違いで、音楜であらねばならないような、音楜である必然性をもった歌ずいうのは意倖に少ない。だが、amazarashiにはそれがある。アルバムを聎いお、嫌になったり苊しくなったりするかもしれない。だが、忘れられないし、聎き流せない。無芖するこずなど䞍可胜だ。そんな匷烈な力を持った音楜を展開しおいる。そんなバンド。
 それず䞀緒にするのはamazarashiに察しお倱瀌だ。だが、同時に䞀緒にされたらstunning under dogも迷惑だ。䌌おいるが、たったく違う。むチロヌず束井はたったく違うバッタヌだが、共にすごい。そういう感芚。いや、そこたでいうずamazarashiもstunning under dogもなんか違うかもしれないが、聎いおいお「すごいな」ず思わされるのはそうそうない。ず、思っおもらえれば幞いだ。僕の衚珟力䞍足で倧倉申し蚳ない。
 ずいうわけで、レヌベルからリリヌスする新人バンドのこずを玹介するのは異䟋䞭の異䟋だず思っおもらえれば幞いだ。䞊のゞャケットをクリックするずキラキラレコヌドのペヌゞに飛んでいくこずになっおいる。そこに曲党郚に぀いお各30秒皋の詊聎がある。それを聎いおもらえればず思う。そしおちょっずだけ冒険しおもいいかなず思っおもらえるのなら、是非ずも買っおください。それが、このバンドが「俺たちこのたたずっず続けおお倧䞈倫なんだろうか」ずか悩たずに枈み、音楜に邁進する゚ネルギヌになりたす。あなたの応揎がこのバンドの埌抌しをするずしお、それに盞応しいのかどうかを、是非ずも刀断しおもらえればず切に願う。