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けがズボン

土曜日に、息子と2人で比叡山に行く。自宅から叡電に乗り、そこからケーブルカー、ロープーウェイを乗り継げばもう比叡山。東京に暮らしてた頃に車で行ったなあと思うと、この近さ手軽さは一体なんだろうか。

とはいえ、息子にとっては大冒険。日頃ドアを開けたら見える比叡山。その頂上に行く。ケーブルカーもロープーウェイも生まれて初めて。嬉しかったのだろう、はしゃぐはしゃぐ。根本中堂という比叡山の中心的建物には「入らない」と固く拒否。恐いのだそうだ。まあ仕方ない。大人としてはここまで来て中に入らないって有り得ないのだが、仕方ない。そういえば昔奥さんと京都に旅行で訪れた時にも、事前に京都御所見学を予約していたにもかかわらず「頭痛がする」ということでキャンセルした記憶がある。いや、誤解されたくないのだが、楽しみにしていたことが体調不良などでキャンセルになることは時々ある。それは仕方ないことなのだ。息子が大きなお寺のお堂を恐がるのもわからないではない。またいずれ、恐くなくなった頃に再訪すればいい。

で、はしゃぐ息子は境内を駆け回る。持ってきていた一眼レフのカメラで、その走ってる様子を撮って欲しいという。だから、撮る。何度も何度も同じ場所を走る。で、転倒。慌てて駆け寄る。膝を擦りむいている。血が出てる。困ったな。絆創膏も何も持ってきてないぞ。とりあえずタオルを膝に撒いて、抱っこする。号泣する息子をぎゅっと抱きしめて「大丈夫、大丈夫」と声をかけるけど、びっくりした驚きなのか、それともケガの痛みなのか、泣きやまない。こういう時は周囲など気にせず泣けば良いと思っているので、とりあえず泣かせておく。で、少し落ち着いてきてから、下山のことを考えてみる。

根本中堂の境内からバス乗り場まで数分。バスに乗って比叡山山頂に着くとそこからロープーウェイ乗り場まで約10分。ロープーウェイからケーブルカーまでが約3分。ケーブルカーを降りたら叡電の駅まで約7分。これを全部抱っこしてい歩く。息子の体重約20kg。これはかなりしんどい。

自宅最寄りの駅まで到着して、奥さんにSOSメールを送る。ベビーカーを持って迎えにきてと。駅から自宅までの中間点くらいにある薬屋に寄って、消毒液と絆創膏を買う。そこに、奥さん合流。助かった。息子も、お母さんの顔を見ると、ちょっとは安心したみたい。

帰宅して、息子の傷を治療。治療といったって消毒して薬つけて絆創膏を貼るだけだけど、息子はそれが恐かったみたい。まあ仕方ないな。そのままにしておくわけにもいかないのだから。

息子には一応、これからも転ぶ、自転車の練習をするときも必ず転ぶ。転ばないように練習をするなんてことはまず無理で、練習をするというのは何度か転んで、転ばないようにするにはどうすればいいのかを覚えることだから、転ばないわけにはいかない。だから、転ぶのを恐れないでチャレンジするか、転ぶのを恐れて何にもチャレンジしないかだ。みたいなことを話した。そんなことを言われても5歳児にはよくわからないかもしれないけど、まあこういう機会に言うのが一番だろうと思うので、まあ言ってみた。何事にも慎重な息子だから、スッ転んだのもほぼ初めてで、この機会を逃すと、次はいつ言えるのか判らないので、とりあえず。

それにしても、ズボンの膝が破れるほどとは、また大胆で豪快な転び方だ。開いた穴の横に血が滲んでいる。これはこれで記念だなと、とりあえず写真を撮っておいた。実物を取っておくわけにもいかないし。

行かなくちゃ

訳あって古いHDDを整理していたら、旧い写真がたくさん出てきた。

古いHDDなのだから、出てくる写真も旧くてあたりまえ。旧いっていってもデジタルな写真だから30年も前の写真であるはずがないけれど、それでもその写真ファイルには2005年5月18日という日付が付いてて、だからもう12年も前の写真であることがわかる。12年。干支でいっても1周する昔。昔々あるところのお話は、僕が結婚もしてなくて、奥さんとも出会ってなくて、気ままなその日暮らしをしていた頃の写真であって、アメリカにスターウォーズを観るためだけに向かった、成田を飛び立ったばかりの飛行機の窓からの写真である。

その頃とは環境も経済も家族構成も変わったので、そんなに簡単にアメリカに行けるという訳もなくて、だからその気ままな日々の記憶が懐かしいようにも思う。が、それは単に懐かしいというだけの話であって、今の暮らしとそっくり交換してもいいかと悪魔にささやかれたら、脱兎の如く逃げ去らなきゃいけない。

そのくらい今の暮らしは僕にとって大切なものだけれども、じゃあいつまでも今の暮らしが続くのかというとそんなはずも無く。だいたい12年したら自分の息子は17歳で、想像できるもっとも平凡な未来としても彼は高校生で、大学受験などを考えて取り組んでいる。今のように保育園の送り迎えを父親にさせてくれるわけもなくて、いや、してくれと言われても僕の体力的にまあ無理だろうが、だから朝の時間を今ほど楽しげに過ごすことは難しいはずだ。

それでも僕を待ってくれる何かというものは多分あって、それが何なのかはまったくわからないけれども、12年前は僕などとまったく関係なかった奥さんが一緒に暮らしてて、存在さえしていなかった息子が保育園にお迎えにくるのを待っていることを考えれば、きっと12年後にも想像さえ出来ない何かが僕を待ってくれているのだろう。

楽観的に過ぎるだろうか。でも、保証など何も無い未来に向かって生きるには、楽観的であること以外に、有効な武器など存在しないであろうよ。

言論の自由について、考える

 webにこんな記事が載った。

【ハーバード大、10人の入学許可撤回 FBで差別的発言】

 一応リンクは貼ったけれども、ニュース記事なんていつまで在るかどうかわからないので、ざっと概要を記しておく。

「ハーバード大がfacebookでのやりとりを理由に、今秋入学予定だった生徒少なくとも10人の入学許可を取り消したサイト上で性的な内容を含む画像をやりとりしたり、人種差別的な発言をしたりしていたという」

 これをどう考えるのかは、思っているよりも難しいことだ。

 まず考えるべきは、大学は言論の自由を護らないのかという観点。言論の自由というものはやはりなかなかに難しい概念で、誰かが何かを発言する権利を社会がどう尊重して担保していくのかということは簡単ではない。言論の自由を認めるという場合、その言論の内容について制限を加えることができるのか。僕は、基本的にはそれはできないという立場。もし仮にできるのであれば、制限すべき内容と制限しなくてもいい内容の境界線をどこに決めるのか。また、誰が決めるのか。僕はそれを決めることは不可能だと思っている。社会が制限を加えるとするならば、制限を加えて処罰する権限を持っている、為政者が決めるしかないのだが、言論内容に制限を加えて違反した場合に処罰をする権限を為政者に与えたならば、為政者に都合の悪い言論を制限する可能性が十分にある。

 発言者が何を言ってもいいのか、社会はそれを許容すべきなのかという観点もある。ヘイトスピーチを言論の自由を理由に許容すべきなのかという問題だ。これに対しての僕の考えは、社会はそれを許容すべきではないというものだ。

 だったら最初の観点への意見と矛盾するじゃないかと言われそうだが、まったく矛盾しない。

 言論をする自由はある。だがその自由には責任も付いてまわる。他人を傷つける言論をするなら、それに対して反論や非難が帰ってくることは覚悟しておく必要がある。為政者の例を挙げれば、その為政者のことを罵倒したならば、それによって法的に処罰されるというまでの対応が為されることはなくとも、その為政者とお友達であり続けることは難しくなるだろう。
 ヘイトスピーチをしたなら、そのヘイトスピーチによって傷つけられる対象の人からはもちろん、ヘイトスピーチによって傷つけられる人のことを気遣う人たちからの非難は当然かえってくる。言葉による苦情だったり、怒りに震えた人が腕力で対抗してくることもある。無論暴力での反対はいけないことだしそれを容認してはいけないが、怒りに震える人は時として何をしでかすかわからない。腕力による暴力も、言葉による暴力も、いけないことだが、そういうものは時として衝突という形の反作用となって起こる可能性を否定できない。ヘイトスピーチを言論の自由だからといって行使する場合は、そういった反応が起きてくることも考慮しておかなければいけない。

 おいおい、そういった反応を考慮すればヘイトスピーチをしてもいいのか、という声が聞こえてきそうだ。では、その声を挙げる人は、どういった言葉がヘイトスピーチにあたるのか、言葉にも程度があるので、どの程度を超えればヘイトスピーチとして禁止すべきというのか。そこのところが、非常に難しい。

 傷つく人がひとりでもいればそれはヘイトスピーチであるという人もいる。だがそれは違うと思っている。世の中にはいろいろな立場の人がいて、価値観もいろいろだ。ある言葉が誰かには何の問題も無いけれど、別の誰かにはものすごく傷つく言葉だということはよくある。というかほとんどがそうではないか。だとしたら、誰かが傷つく言葉をすべてヘイトスピーチだと規定したら、ヘイトスピーチ以外の言葉を発することはほとんど不可能になる。ヘイトスピーチという用語を用いなくても「人が傷つくことを言うな」というだけで、それは言論を圧殺していく可能性を持つ。その出発点が善意であっても、その善意から出発する言論圧殺は起き得る。そういう気配に対しては、徹底して抵抗していく必要がある。

 第二次世界大戦下の日本では軍を批判することはすべて取り締まりの対象だったし、カタカナ言葉を使うことも取り締まりの対象だった。だがそこに厳密な線引きは無く、その場に居合わせた警察がどう感じるかだけで取り締まりになるかそうではないかが決まっていた。権力側が言論に対して制限を加えるという場合には、結局明確な線引きは(不可能だから)成されずに、気分や雰囲気による取り締まりにつながっていく。これが怖い。だから、僕は基本的にすべての言論を権力によって禁止するということはあってはならないと考えている。

 下世話な例えになるが、野球場に試合を観に行ったとしよう。巨人阪神戦だ。東京ドームではライトスタンドに巨人ファンが集まり、レフトスタンドに阪神ファンが集結する。レフトスタンドのタイガースユニフォームばかりの席に座って、オレンジのタオルを振り回して、巨人の応援をする。大声で声援を送る。さらには、「阪神なんて三振の山や〜!」と絶叫する。どうなるだろうか。権利問題でいえば、その行為をする権利は、誰にだってある。やったからといって警察に取り締まられることはない。だが、無事に帰宅することは出来るだろうか。いや阪神ファンも紳士ですからそのくらいで暴力沙汰にはなりませんよ。うん、ならないと僕も思う。でも、ふざけんなくらいのことは言われるだろうし、場合によってはプラスチックメガホンで小突かれるくらいのことはあるだろう。あってはいかんのだけれども、起こり得る。ライトスタンドで言えば周囲から「その通り!」と喝采を浴びる言葉でも、レフトスタンドでは罵声を浴びる言葉だったりする。そのくらいのことは誰だって理解しておくべきだと思う。

 だが、それでも、東京ドームのレフトスタンドで阪神を罵倒する権利はある。言論の自由とはそういうものだ。そこでその発言をすればどんなことになるかわからないようなことでも、発言する自由はある。発言によって気分を害した人がいれば民事告訴されて賠償請求されるかもしれないし、判決によって賠償しろと言われるかもしれない。それは覚悟しよう。そういうことはある。だが、民事だ。刑事告訴ではない。発言したからといって公権力によって取り締まられるなんてことはあってはならない。だが、その結果としての抵抗を受けることは発言者は覚悟して、腹を括って発言しなければならないということは、世の中にはある。

 先日、百田尚樹の一橋大学園祭での講演会が中止になった件で、「これは言論弾圧だ」という趣旨の本人のツイートがあった。だが、一橋での講演会の中止は言論弾圧ではない。なぜなら、何らかの発言によって公権力によって取り締まりを受けたわけではないからだ。また、公権力が介入して講演会を中止させたということでもないからだ。世論によって講演会を主催する予定だった団体が中止にしただけのこと。これは、友人同士で東京ドームに野球観戦に行くことにしてて、友人Aが「巨人を応援するぞ!」と息巻いていたという状況に似ている。一緒に行く友人BはAのその巨人応援ということには特に異論はなかったけれど、たまたま入手した席が外野レフトスタンドで、そこには阪神の応援団がずらりと並んでいた場合、「ここでAに巨人の応援をさせてはならない」と感じて、応援の声を挙げさせなかった。これを言論弾圧と呼ぶべきなのか。そうではないだろう。

 百田氏は、予定していた講演内容をどうしても言いたいのであれば、一橋大近くの歩道でハンドマイクを持って発言すればいい。その権利は(道路使用許可などの問題は別として)ある。それによってまた批判を受けるだろうが、それでもやればいいのだ。本当に信念を持って発言したいのであれば。彼の言う言論の自由を、彼の言う言論弾圧から護りたいのであれば。

 

 冒頭にリンクを貼ったハーバードでの一件。個々の大学でどのような入学試験があるのかはよく知らないが、面接などもあるのだろうか。その場では学生はけっして性的な話や人種差別的な話をすることは無いだろう。なぜなら、それはこの大学に入学する者として相応しいとは思われないと予測できるからだ。半ば公の場とも言えるSNSでそれを公然と投稿するということは、それがどういう反応を受けるのかということも予想できるはずであろう。SNSには、一旦友人となった相手の投稿にそういうものがあれば、ブロックできるという機能がある。facebookで差別的なことを投稿していたら、僕もブロックする。その学生も友人たちからブロックされたことくらいあるだろう。だとしたら、学校からもブロックされるという可能性は予想した方がいい。それを予想できないのならアホだというしかなくて、だからハーバードには相応しくないということになるだろう。一方、それを予想できる程度の知性があるのであれば、予想した上でそういった発言をする、自由はある。無論、SNSの運営側からもブロックされる可能性はあるし、予想すべきだ。それでも、発言する自由はあるのだ。そういう発言を嫌う人たちから徹底的に嫌われ、疎まれ、孤独に陥ったり、そういうヘイト思想の人たちとしか交流できなくなったとしても、それを覚悟するのであれば、言論の自由を保証されている国や社会では、発言する自由はある。

 何をもってヘイトスピーチと認定するのか、その境界線はどこにあるのか。その答えはその時々の人々ひとりひとりの心の中に漠然とした基準があるだけだ。だから制度化することはほぼ不可能に近い。しかし、個々人には基準があるのだから、ひとりひとりが考えて、付き合っていく相手を選んでいけばいいのだろうと思うし、個々人が非難すべきものについては非難していけばいい。それも、一種の言論の自由である。当然衝突は起こる。その危険性を覚悟しても、言うべきことは言わなければならない場合はある。それも、言論の自由なのだ。

 個々人が自分自身で考えて行動するというのは、とても面倒臭いことである。だからその面倒を放棄したい場合に、国家や社会によるルール作りを期待してしまう。だがこの言論の自由に関して言えば、国家によるルール作り、法制度化は極めて困難だし、失敗して本当の弾圧社会を生む危険性が高い。だからそれはあってはならないし、期待してもいけないのだ。面倒を放棄して国家権力に取り締まりを丸投げしてしまえばそうなってしまう。だから、面倒だけれども個々人が自由というものに付いて真剣に考え、自分の意見を持つ努力を不断にし続けていかなければならないのだろうと思うのだ。

ベーシックインカム

 社会の在り様について、いろいろな議論がされる中で、ベーシックインカムというものも話題に上がる。賛成の人は「これがあれば安心出来るし希望も持てていろいろな活動をやるポジティブさも生まれる」という。一方反対の人は「財源はどうするんだ!」という。どっちが正しいのかはよくわからないのだけれども、きっとどちらも正しいのだろう。

 ひとつ思うのは、累進課税というものがあって、稼いでる人はたくさん税金を払ってね、稼いでない人はあまり払わなくていいよ、というものだ。ざっくりいうと。で、マイナスの人もいて、それでも食っていかなきゃいけないのだから、生活保護という仕組みがある。生活保護を受けている人に対しては「お前ら何もしなくて金もらってるんだから、余計な稼ぎをするなよ、稼いだらその分保護から差し引くからな、という仕組みがあるらしい。

 ここで思い出してしまうのは、配偶者控除だ。詳しいことはよくわからないのだけれども、102万円だかなんだか(正確な数字は知りません)以上の所得が配偶者にあるのであれば、(主に)旦那の給料からの控除は無くすからねというもの。それだから、配偶者の人は102万円以上働かないようにしようと一生懸命になるとか。

 この、「これを受けている人はこれ以上の活動はしないようにね」というような圧力が、社会を発展から遠ざけるのではないかなあと思う。

 だから、生活保護も配偶者控除も累進課税も全部やめて、稼いだ分への税額は全部50%とか60%とかにすればイイじゃん、と最近は思う。それじゃあ貧しい人はどーすんだという声は当然予測されるよね。だから、そこにはベーシックインカムを、そこそこ暮らせる程度にちゃんと制度化していけば良くて。それ以上に働いて稼いだ人は、プラスの年収が100万の人も1億の人も税額は50%(いや他のパーセンテージでもいいですけど)にする。例えばベーシックインカムが月15万円の場合は年額180万円、その他に月給30万円の人は15万円が税金。まあ、インカムと税金が行ってこいなわけです。月給が50万円の人は25万円が税金、年収は(25+15)×12で480万円。月給が1000万円の人は500万円が税金、年収は(500+15)×12で6180万円。
 
 で、子供であってもベーシックインカムがあって、夫婦に子供3人の場合、世帯に対するベーシックインカムは15×5で75万円。これなら育児休暇でも問題ないし、教育費に金がかかってもそんなに問題ないでしょう。少子化対策としても確実に効果が出るはず。

 今の仕組みはどうしても「お前はこれやるな、あれもやるな」という圧力に満ちていて、とても窮屈。貧困家庭でも、これなら貧困のカテゴリーは無くなるし、その家庭に育ってたって、勉強頑張れば大学に行けるし、未来も開ける。奥さんもいやなパートに出たくないなら出ないで済むし。そしてベーシックインカムがあれば、最低賃金を引き上げる必要も無いわけで、ブラックなまま経営したいという企業家の人にとっても良い面はちょっとある(多分)。

 いや、いろいろ問題はありますよ。身体の問題で子供が出来ない方とかいるし、そういう人は損するんじゃないかという声も多分出てくる。それでも、社会はどんな風にやっていくにしても不満は必ず出てくるわけです。税額の適正値はどこなのかとか、ベーシックインカムの月額のベストはいくらなのかとか、問題はあるでしょう。僕が今言ってるのは例えばというざっくりとした話であって、適正値は今後考えれば良い話で。

 いずれにしてもやがて年金が破綻することは間違いないだろうし、その時に何の策もなく破綻したのでは国家としても破綻するでしょうから、こういう仕組みを考えることで、スマートに年金を廃止するための、代わりの仕組みを導入していくことが、必要になってくるんじゃないでしょうか。というか、その必要はもう目の前に迫っているのではないでしょうか。

最後に会ったのは

 1年前の今日、オフィスを今の場所に移転させた。たいして資金もなかったし距離的にそんなに遠くなかったので、業者に発注せずに自力で。といっても1人でできるわけもなし。なので京都市内に住む友人に手伝いを頼む。2人でもなんとかなるかなあと思いつつ、東京でくすぶっていた友人がちょっとだけ復調気味だったので「最近元気そうじゃない、気分転換にちょっと来る?」と言ってみたら「行く行く」と二つ返事。斯くして彼は2016年4月26日、午前9時半くらいに旧オフィスにやってきたのでした。

 始めてみたらとにかく大変。旧オフィスで荷物をまとめている時点で薄々感じてはいたけれど、やたらと荷物が多い。そして新しいところは3階建ての3階で、エレベーターがない。しかも割と狭い螺旋階段。そこを人力で運び上がる。いやあ、大変。2トントラックで3往復。もう死にそうな作業。もう日も暮れた頃に冷蔵庫を入れようと3人でトライしたが、螺旋階段を上手く上げることができず、断念。運び込めないのだから廃棄するしかないと決断をし、旧オフィスに運んで戻すことに。いやあ、辛かった。結果的に無駄な体力を使ってしまって…。

 夕方、一旦作業を終えてみんなで夕食を。当然おごります。といっても2トントラックを停められる駐車場があるところに限るので、郊外のラーメン屋にて。いや本当に美味しい。京都でも評判のお店の本店だし、美味いのは当たり前。しかし仕事が粗方終わったなあという達成感と疲労とが、ラーメンのような塩気の多い食事を数段高めていたのは多分事実だろう。

 京都在住の知人とはそこで別れ、わざわざ東京からやってきた友人をホテルに送って、「明日朝7時に迎えにくるから」と言って、僕は再び旧オフィスに行って比較的軽めの荷物を積んで、運んで、一旦帰宅。風呂に入ってまた旧オフィスに行って、2トントラックで運んでおかなきゃいけない大きめの(といってももうそんなに残っていない)荷物を積んで、仮眠。6時半に起きて、友人をホテルに迎えに行った。

 眠そうな友人がホテルから出てきて、僕が別れてからさらに荷物を運んでいたことに驚きつつ、一緒に最後の荷物を新オフィスに運び入れ、レンタカーを返して一旦終了。お茶兼ブランチみたいな感じで四条のカフェに行き、その後友人が行きたがっていた祗園のチョコレート屋に行き、別れた。

 その時、引越しで忙しかったのもあったし、彼が京都で引越しの手伝いをしているということをあまり知られない方がよかったという事情もあり、2ショットの写真はおろか彼の写真を1枚も撮っていなかったのがとても悔やまれる。なぜなら、それが彼と直接会った最後の機会になったから。

 その時のことは鮮明に覚えているし、多分ずっと忘れることはないだろうと思う。でも、それでも、写真の1枚くらい残っててもバチは当たらないのではないか。最後の機会だと知っていれば何枚も何枚も撮っただろうが、じゃあ何枚撮れば満足だったのかと考えてみると答えは無くて。だからやっぱり撮らなくても別によかったのかもしれないという気にもなる。

 さっき1年前の写真をざっと見てみたら、思わぬところに彼の姿が写っていた。引越しの際に電気のメーターを確認しておきたくて撮影した写真。肝心のメーターがすごくボケてしまって、この後に撮影をしなおしてようやく目的を達成。その最初のメーターがボケた1枚の隅に、それから約半年後に亡くなることになる友人の、僕にとっては最後となる姿が残っていた。iPhoneの写真でピントが合わないということは滅多に無いのだけれども、この時ばかりはiPhoneが気を利かせて、わざとボケた写真を撮影してくれたのかもしれません。

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東京へ。1泊2日の強行軍。15人の旧い友人と再会した。だが今回の上京の1番の目的だった旧友とは会えず仕舞い。何故なら、今回の旅はそいつの墓参だったからだ。

そいつが亡くなって、友人主催のお別れの会を開いた。共同の開催主催者の4人と一緒に墓参をしようという企画。みんな忙しい中スケジュールを調整し、僕は深夜高速バスに乗った。

墓参自体はせいぜい20分程度。そりゃそうだ。花を供えて水をかけて、手を合わせればもう他にすることはない。そんなことはわかっていたけど、実際にそこに行ってみると、墓参というのは実にあっけなく、何かを確認するセレモニーに過ぎんのだなと。やつが千の風になっているとはまったく思わないが、そこにはやっぱり居ないような気がした。

あっけない墓参を終え、5人で昼食を食べに行った。美味しかった。そしてなんてことない話が弾み、楽しかった。そうなんだ。別にしなくてもいいくだらない話が楽しいんだ。その楽しい話を笑いながら出来るのが友達なんだ。5人の親友なのにこの場に居られなくて、お前可哀想だな。だからやっぱり死んじゃダメだよ。残念なのは先立たれた僕らじゃなくて、会食に参加できないお前の方だ。長生きしてやろうと決意を新たにしたよまったく。

今回集まった旧友のうち、1人を除けば訃報以前では会うのは5年以上ぶりだったり、10年以上ぶりだったり。お互い別々の生活があるし、僕が京都で離れてたりだから、そうそう気軽に会えるわけではないんだけれど、この歳になると、誰かの死をきっかけに集まるということが増えていくのだろうし、それ以外で会う機会は、意識的に作ろうとしなければ得られないんじゃないかなあと思う。でも、死んだやつの墓に行って対面するより、お互いに生きててくだらない話をして笑いあう方が絶対にいい。それを今回の昼食で改めて感じた。このメンツならいて当然のやつが居ないランチの方が、やつがいるはずの墓石の前に立ち尽くしてるより楽しいのだ。当たり前だけど。

なので、みんなにはまた会いましょうと言って別れた。それが本当に実現する日が来る確信はあるわけではないんだけれど。

今回、せっかく行くので以前から「会いたいね」と言ってくれていた友人や元同僚ともたくさん会った。20年以上ぶりの人たちがほとんどだ。そういうの、いいなあと思った。これもやつの他界の副産物なんだけど。生きている者は生きている者同士で、どんどん会ってくだらない話をすればいいのだ。旧い友人と会うことが自分を過去に閉じ込める傾向があるのは知ってるし、それを避けるべく新しい友人も作っていきたいとは思うが、旧交を温めるくらいは誰かから文句を言われることではないよ。50年以上も生きているのだから、そのくらい別にいいじゃないか。

そんなわけです。皆さん観光がてら、是非京都に遊びに来てください。

体調を崩して良かった

昨晩急に喉が痛くなってかふんさ。折からの花粉症もあり、鼻は詰まってるし、苦しい。喉の痛みはどんどんと増す。昨日帰宅した時には、やはり体調を崩し気味だった息子のためにゆずはちみつドリンクを買ってきてと言われ、よし来たそれはお父さんの出番だよ待ってろ息子と勇んで外に飛び出したくらいに元気だったのに、いつの間にかグロッキー。もうね、喉が本当に痛いのです。

ずいぶん前に亡くなった父は肺癌だったのだけど、その兆候は声が出なくなったこと。そういう記憶があるから、突然喉が痛いのってヤバくね?とか思うけれども、一晩寝て、安静にしてたらすっかり楽になりました。明日からは仕事に行くようにします。

元来健康な方で、寝込むということはほとんどなくて、そういう人は他人の不調を理解しにくい。いやもちろんこれまでの人生で一度も体調を崩したことがないのかといえばそんなことはなくて、入院経験だってそりゃあありますとも。しかし人間というのは忘れっぽいもので、特に僕みたいな粗忽者はとにかく忘れる。おまけに50を過ぎたらまあ覚えない。そんなわけで3日も元気だと他人の痛みなんてどこ吹く風ってなもので。辛いとかしんどいとか言うてる人が周囲にいても「?」となる。阿保ですわ。

そんな僕だけど、喉が痛くなればただ事ではないと感知して寝込む。自分のリアルな痛みだから。幸いにして自分でやってる会社だから、誰に断るでもなく休みにする。しかし普通の会社員だったら休むためにいろいろな理由を会社に伝えて許可をもらわなきゃいけないんだろうし、場合によっては診断書を提出しなきゃいけないんだろうし、そのために病院に行って費用を支払ってとか面倒だから出社しとこうになるとか。阿呆くさいがそれが多分現状なんだろう。そうなる理由は、全体的にみんな健康だから。自分が体調を崩した経験をすっかり忘れている人たちばかりだからなんだろう、と思う。

まあそんなわけで、数日前の自分がどこかの会社の上司だったら、部下が「風邪で〜」といえば「ハア?風邪?診断書な」と言ってたかもしれない阿呆のままだったと思う。そういう意味で、「人はあるとき瞬時に体調を崩す」ということに気付けて良かったです。いや、今のところ診断書を提出させるべき部下なんていないからどっちでもいいのかもしれないですけどね。

自由についての一考察

教育勅語について「「憲法や教育基本法等に反しないような形」で教材として使うことを認める」とした閣議決定の話。これは実に入り組んだ話で、「ふざけるな! 教育勅語を使うなんて許さないぞ!」のオンパレードとなっている様相。

だが、これにはちょっと疑問を持つのだ。そんなに排除一辺倒でいいのだろうかと。

もしも、「教育勅語を教育の場で使うことは一切認めない」ということを閣議決定したとする。だとするとそれはOKなのだろうか。うーん。なんか違うと思うぞ。

違うと思う理由。それは、教育勅語の仕様を禁じるとしたら、それは誰が禁じるのだろうか。その「教育勅語」を禁じる権限を持つ誰かが存在するとすれば、その人は他の何かについても禁じる権限を持つのだろうか。その権限によって、教育勅語に反対している人たちが大切に考えている何かを「禁じ」られたら、それはそれでいいのだろうか。

そこのところは、ちゃんと考えておかなければ、ある日突然、教育勅語を禁じることに拍手喝采をした自分たちの足元の何かが、禁じられるし、禁じられた時に論理的に対抗する術を今失うことになる。

では、教育勅語を教育現場で、森友学園のようなやり方で使うべきと考えているのかというと、そんなことはない。アレは、ダメだ。判断力の無い幼児に暗唱させるなどもっての他だろう。でも、じゃあ教育勅語というものをまったく存在しなかったかのようにするのが良いのかというとそれもダメで、歴史教育の中で、教育勅語がどのような形で戦前の日本を軍国主義化していくのに使われたのかということを学ぶべきだと思う。その場合には教育勅語を存在しなかったものであるような形で処するのでは問題がある。存在を認め、その意味合いをちゃんと伝えることは必要だ。それがどの段階、小学校なのか中学校なのか高校なのか大学なのかは、また別途検討されるべきだろうが。

しかし、現在の風潮というか教育について起こっていることとしては、愛国主義的な教育が推進されつつあり、そういう教科書も作られようとしている。そういう中で教育勅語がどう用いられるのかというと、過去の軍国主義的な日本を繰り返さないという流れの中でではなく、教育勅語の中にある「仲良く」的な部分を推奨することから始まる、ねじれた刷り込みの道具として使われる。稲田朋美が国会答弁で示した教育勅語に対する認識に代表されるような、浅薄なダークサイドへの道が開かれようとしているということである。

そんな中だから、教育勅語に対してどうあるべきなのかというと、やはりそれが忍び込む芽は潰しておくべきということになろう。だが、そのことが自らの、そして公の中での自由についての自縄自縛に陥る原因にもなりかねないということは理解しておいた方がいい。

たとえていうならば、石原慎太郎が尖閣諸島の国有化論をぶちあげたことが起こした害悪を思い出したい。それまで日中は尖閣諸島についてはお互いに触れないということで問題を先送りし続けてきた。問題をグレイのままにしておくことで衝突を避けるという知恵である。しかし石原慎太郎が「国が買わないのなら東京都で買いますよ」と言ったものだから、同程度に間抜けな野田佳彦が慌てて国有地化してしまった。そのため中国世論を刺激して、ワアワアということになる。アレと似た感じのことが、教育勅語についても現在起こっているような印象だ。そもそもは民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書への答弁書であり、初鹿議員もなぜ寝た子を起こすような質問主意書を出したのかと不思議でしょうがない。閣議決定の中身をよく読めば、完全禁止などするわけにはいかないという程度の当たり障りのない内容になっている。だが、それは「関係書類はルールに基づき適切に廃棄した」という答弁と同じようなもので、二重性を仕込んだ形に結果的になっている。いってみれば、初鹿議員が安易にイージーパスを相手側に出してしまったという感じではなかろうか。

国民が全員自由というものについて冷静に考えられて、その上で答弁書をきちんとチェックして、なおかつ戦後平和教育の重要性を認識して全ての行動を取れるのであれば、あの答弁書と閣議決定で何の問題もない。しかし、現実には見出しだけで猛反発するだけで、それが結果的に自分たちの自由を縛る可能性をもった反発になりかねないなどとは思いもしてないわけで。そういう性質をまた愛国主義的な自由制限論者が逆利用しかねないということを考えると、このイージーパスは本当にボーンヘッドだったなあとガッカリしてしまう。

成長

帰宅していろいろと忙しい息子4歳9ヶ月。このところはレゴで遊ぶのに夢中。

しかしながら、片付けるのはいつもお父さんの仕事。何故片付けさせないのかというと、息子の遊び場に僕の布団を敷かなければならないからです。ネジが切れるまで遊びたい息子に遊びと片付けを任せていたのではいつ寝られるのかわからないし、そのままにしておけば僕の布団の下にレゴが残ってしまい、痛くて安眠できません。仕方なく、ブーブー言いながら僕が片付ける。その繰り返し。

今日の夜「今日はお父さんは片付けないからね」と宣言して待ってみたところ、何故かせっせと片付け始めた。遠巻きに眺めてたら本当に全部箱に仕舞ってた。そしてニコニコして「片付けきったやろ〜」と得意げにしてる。

子供って成長するものだなあと感心します。そういえばこの2週間ほどはお父さんの片付け方をじっと見ていたような覚えがある。やり方を学んで真似たのだ。門前の小僧習わぬ経を誦む的な。こうやって、親も気付かないようなところでいろいろなことを習得していってるんだろう。感心する。感心する以前に気付きさえ出来ないところで彼は成長し続けるのだろう。

子育ては驚きに満ちている。ありがたいことだ。僕も負けないように何かで成長したい。

信じたいものを盲信しない

 なんかおかしいな〜という気持ちがどうしても拭いきれない。

 話題の森友学園の話です。ネット上ではずっとおかしな幼稚園として知られていた塚本幼稚園が、突如として政治問題として浮上して、安倍政権のアキレス腱となるのか、野党の総攻撃のネタとして使われ、政権は防戦一方の姿勢となる。新設予定だった小学校は当初安倍晋三記念小学院になる予定だったと報じられた。実際に名誉校長を努めていた安倍晋三の妻安倍昭恵は速攻で名誉校長を辞任し、HPからは挨拶と写真が削除。政治家は揃って籠池理事長との関係性を否定し始めるが、諸々の証拠を突きつけられ、稲田朋美防衛大臣が矢面に立ち、関係性を否定しきれない状況に追い込まれている。

 この森友の小学校はというと、建設予定地を国有地から破格の異常な安値で払い下げられていて、その異常さが政治家の介入があったのではという指摘につながり、国会の中心は今まさにこれ一色。開校間近という段階で学校設置の認可が最終的に下りないのではないかという観測が流れる中、森友側から認可申請が取り下げられる。小学校の開校の可能性は閉ざされた。

 そしてこの数日の流れとしては、森友の理事長だった籠池氏が与党政治家から忌避され、所属していたとする日本会議からももはや会員ではないとされ、急速に孤立していく中で、超保守愛国団体日本会議について取材していたフリージャーナリストが籠池氏に急接近し、単独インタビューに成功。公の席で会見をするといわれていた籠池氏はその会見をキャンセルしつつも、上京し件のフリージャーナリストを訪れ、フリージャーナリストが会見を行う。

 この流れ、かなり怪しい。僕はそう思っている。

 腑に落ちない点は一体どこなのか。具体的に納得できない点はたくさんあるのだけれど、端的に言えば「この間まで一切信用していなかった個人のことを、なぜ一転全面的に信用する形になってしまっているのか」ということである。籠池氏の言っていたことを全面的に否定していたのが、野党であり、反安倍の市民である。ところが今や籠池氏の動向や言動を「支持すべきもの」という感じで受け容れているし、国会質問での根拠として使われている。

 なんか、おかしい。

 人は信じたいものを信じる傾向がある。このところ起こっている出来事に対して、自分が支持したり信じたりしているのは一体なんなのかを、僕は考えたいと思うのだ。それは単に「そう信じたい」から信じたり支持しているのではないのだろうかということ。論理的にそれはアリなのかということをちゃんと考えないと、熱心であればあるほど流されてしまう。様々な論には、真っ正面から主張してくるものもあるが、騙そうとするものもある。周到に準備された詭弁に抗するのはなかなかに難しいことだ。特に自分が「そう思いたい」という気持ちを強く持っている場合には、その気持ちを利用した詭弁が使われるとひとたまりもない。遠回りになるが、「そう思いたい」という恣意を自分の中から排除し、冷静になって考えることが必要だと思っている。それは籠池氏の言うことを頭から否定するべきということではなく、同時に頭から信じるべきということでもなく。ひとつひとつを検証しつつ、今目の前で行なわれていること、言われていることは正しいのかそうではないのかを、ちゃんと判断して見ていかないとダメだなあと心したい。

 今読んでいる本『思想の落し穴』(鶴見俊輔)に、こういう一節がある。
「大勢がきまったら、その大勢のきまった方向にあわせて生きる道をえらぶか。そして大勢がまたかわった時に、また元気でこれまでの大勢をひっぱたく運動にくわわることにするか。指導者の責任だけをようしゃなく、その時に問いつめることにするか。
 そういう型をくりかえすことは、すでに六五年生きた私としては、むなしいように感じられる。」
 これは「「君が代」強制に反対するいくつかの立場」という6ページほどのコラムの中にある一節である。戦前に君が代が支配者のすることに無条件に賛成する姿勢を助長したことへの反省から、戦後には君が代を公教育の中で強制することは躊躇われたが、その後社会が安定する中で、大勢は変わり、強制することを躊躇なく示してきた。だがこれに対して思考なく反対することは、戦前に思考することなく賛成・賞揚したことと基本的には同じなのではないかと、鶴見は問うている。だから反対するなといっているのではなく、反対する理由を、個々が各々考えて、自分としての理由を持って反対したり賛成することが大切なのだと。鶴見は自分が世代的に君が代に対して懐かしさを感じるというその感情は否定しない。だが自分が懐かしさを感じるという感情と、公教育で強制をするということには区別があるべきだと説く。

 聞きたいことを聞き、信じたいことを信じるというのは、この「懐かしいと思う歌を無批判に支持する、その結果それが強制されることにも抵抗を感じない」ということに近いのではないだろうか。それゆえに、現在展開されていることに対しては、評価に慎重であるべきではないかと、個人として自分に対してのみ、そう強いたいと思っている。

 僕は個人的に安倍政権には早期退陣してもらいたい、そうあるべきだと考えている。だが、それが目の前にあることへの判断に対して歪みを生じさせるのは如何なることかという慎重さは持ちたい。例えば僕は小沢一郎の政治姿勢に対して支持をしているが、彼のこれまでの政治活動の中で、国民福祉税構想の時に社会党を蚊帳の外にして連立離脱のきっかけを作ったこと、新進党を解党したこと、民主党政権から離脱したことの3つについては、政治的な判断としてどうなのかと疑問を持っている。その動きがいずれも自民党の追風になったからである。しかし、木を見て森を見ずはダメだが、じゃあ森ばかりを見て木を見ないのはどうなのかというと、それもけっしてよろしくない。木を見ない行動は、それが積み重なることによって信頼を失うからである。そう考えると、疑問を持っている小沢一郎の過去の3つの行動について、信念に基づき堂々と行動したという判断も出来る。

 いや、何の話なのかよくわからなくなってきたし、そろそろ朝の準備をしなければならない時間になったのでこの辺で終わりにするが、このところの森友学園騒動は、悪者だったものが正義の味方に立場逆転したり、それは見方を変えれば正義だったものが悪の権化になったとも言えるのだが、そういう変化がめまぐるしく、自分が世界をどうみているのかということを客観的に自己判断するにはとてもいいリトマス試験紙のような感じになってきている。だからこそ、慎重にものごとの推移を見ていきたいと思っている。