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2018

 福岡で年を越して、元旦に三重県に移動。三重の奥さん実家3日目。でも1度しか外出してません。伊勢神宮まで50kmほど。昨日も今日も初詣に行ければと思ってたのだけれど、いろいろあって行けず。でもまあ、予定は未定というのは正月に限らず人生全般にいえることなので、別にどうってことはありません。なんとなく、明日は行けるかなという気もするけれども、4日は例年総理大臣がやって来るとかなので、安倍晋三と同じ空気を吸うのかと思うと、行けなくてもいいかなという気分でもある。

 奥さんの実家に初めて挨拶でやってきてから、もう10年が経過し、今年の3月にはなんと結婚10周年。同級生たちの中には結婚30年という猛者も少なからずいるのでまだまだ結婚歴業界ではペーペーなんだけど、それでも自分の中では結婚10周年ってすごいことだなと。まだ3ヶ月ほどあるから絶対に10周年を迎えられると決まった訳ではないけど、よほどのアクシデントさえなければきっと大丈夫でしょう。そうであってほしい。

 このブログも、ただただ書きなぐるようであっても良いからコンスタントに書き続けて、書き続けることで自分の文章力を維持したいとか思ってやっているのだけれども、どうもそのコンスタントが難しい。こんな雑な文章を書きなぐっている中でも、リズムとか文体とか理想の文章を意識しながらやっているのだけれど、それが実現しているとはとても思えないし、ますます自分の文章が衰えていっているのではないかとか哀しい気持ちになってきたりする。

 まあ、そんな2018年の幕開けです。ちゃんと文章を書くための時間を確保したいと切に願う。それが一番難関だということはわかっているんだけれども。

 今年もよろしくお願いいたします。

(写真は、福岡から三重に移動する途中の地下鉄新大阪駅のホーム。本当は福岡から京都まで新幹線、そこから近鉄に乗り換えて三重と思ってたんですけど、息子5歳6ヶ月が「新大阪で乗り換えたい!」と駄々をこねるので、仕方なく新大阪下車、地下鉄で難波まで移動、そこで近鉄に乗り、2駅目の上本町で乗り換え、ということになりました。難波から伊勢方面の直通は出ていないということを知り、ちょっとだけ鉄道に詳しくなったのが唯一の収穫でした。あー疲れた)

寝床

息子5歳5ヶ月は、この数ヶ月僕の布団で隣で寝てる。今もそうだ。午前1時13分。昔は小ちゃかったのに、今やかなりデカい。もちろん5歳5ヶ月にしてはという意味でまだまだ子供なのだが、それでもデカい。おかげで僕は布団の隅ではみ出しそうにして寝てる。

こういうのが成長なのだろう。小さい人がちょっとずつ毎日大きくなって、大きな人はやがて居場所を失っていく。それが正常なことだ。やがて居場所を完全に失ってしまって、この世から退場していく。早かれ遅かれ、だ。あまり早いのも困りものだが、逆にあまり遅いのも困りものなはずで、大きな人は、いつかはこの布団を完全に取り上げられることを覚悟しておかなければいけないのだと思う。

まあ、今のところはスヤスヤと隣で寝ていてくれてて、時々顔をこすってる様が赤ちゃんパンダのようなのだが。いずれは、いずれ。

エイリアン

 思いもかけず、エイリアンズという曲のレビューが回ってきた。キリンジの歌うエイリアンズ。僕自身はキリンジについてはあまり知らないのだが、曲が流れれば、それは知っている。知っていた。曲は、そうとは知らずに僕らの心に届いていたりする。好きで聴いたはずの曲を忘れてしまっているかと思うと、聴いたことすら意識しなかったはずの曲に懐かしさを覚える。曲とは、やはり不思議なものだ。

 エイリアンという言葉は、シガーニーウィーバーの主演するSF映画で初めて見知った。だから、エイリアンというと凶暴な宇宙人の化物を想起する。そんな僕のエイリアン像を変えたのは、これもお馴染み、STINGの『Englishman In New York』だ。

 この曲で、NYCを歩く英国人が自分のことをエイリアンだと繰り返す。なるほど、エイリアンとは化物のことではないのだなと初めて知る。当時故郷を離れて東京に独り暮らしをする僕にはしっくりときた。1人見知らぬ街を歩く。この孤独感。それがエイリアンのエイリアンたる所以だ。当時の僕には東京の大学でたくさんの友人がいた。でも、携帯もスマホも無い。メールアドレスのひとつも持たない。電話はあるが、友人で電話の無い下宿に暮らすやつも少なからずいた。まだ、東京をひとり歩く時につながっていない感はたくさんあった。

 だが、それは同時に、つながっていないだけのことで、孤独というものとはまた違うようにも思う。それは、大勢が行き交うニューヨークの雑踏で人にまみれて歩くという、そのエイリアン感とも呼応する。

 僕はその後東京でずいぶんと長いこと暮らし、奥さんと出会い、そして夫婦で京都に引越してきた。友人が特にいるわけでもない見知らぬ街でも、今ならネットで友人たちとつながっている感を持ちながら生きることができる。それは一体どういうことなんだろうか。つながっている感と、つながっているは、厳密には違う。でもその感によって誤摩化されることで孤独が薄れるのなら、それはそれで誤摩化されることも悪くない。遠くに暮らす友人たちの日常を垣間見て、また自分の日常も垣間見せて、それが半年に一度ほど会って外食をすることと、どちらがつながりなのだろうか。

 SNSはオッサンになってからでも友人を作るということを可能にした。40代になってから知り合いになった人も多い。そんな中の1人と、昨日実際に会うことができた。Twitterを始めた頃につながった彼が、泉涌寺でイベントをプロデュースしているという。これは行かねばと、紅葉狩りついでに立ち寄った。会うのは初めてなのに、初めての感じがしない。つながってる感は決して誤摩化しではないという実感がある。だが、やはり初めてなのであり、お会いできて良かったと双方が口にする。面白い瞬間だ。彼とは東京にいる頃に知り合って、今僕は京都に移住して、彼の生まれ育ったエリアの近くに暮らしている。興味深い偶然だ。偶然なのか、必然なのか。よくわからないけれども、とにかく興味深い。

 その彼がプロデュースしたイベントというのが、チベット仏教のカルマパ17世のことを伝えるアートイベント。カルマパという人のことはほとんど知らなかったが、チベット仏教にはいくつかの宗派があり、そのひとつの派の最高指導者だそう。チベット仏教といえばダライラマだが、今のダライラマはもう高齢で、いずれ亡くなると、幼いダライラマが跡を継ぐ。だが現在のようにチベット仏教が苦境の時代に、幼い幼児のようなダライラマ本人がすぐに指導できるわけもなく、なので、このカルマパのような人が摂政のような形で支えていくと、まあ受け売りなので今の数行が正しいかどうかは保証できないけれども、なるほどなあと思った。

 そのイベント中で上映される40分ほどの映画があって、その中でカルマパ17世もまた、故郷を離れざるを得ない状況の中で故郷を想うシーンがある。ああ、この人もまたエイリアンなのだ。帰ろうと思えば帰ることができる人と、帰ろうと思っても帰ることができない人とを同じエイリアンと断じて良いのかよくわからないけれども、さらには高貴な人とさほど高貴ではない(いやまったく高貴ではない)人とを比較していいのかもわからないけれども、そういう人が個人の望郷の念を持ちながらもなお、自らの置かれた立場の中で信仰を求め、活動を広めようとする、そのお手伝いをするというのはえらいことだなと思った。道田さん、グッジョブでした。

正しくないこととの距離の取り方

やっぱり、それはダメなのです。

日馬富士が後輩を殴って怪我をさせ、それがしばらく経って発覚し、九州場所を途中休場。そしてついに警察による事情聴取。メディアは連日これを報道。ワイドショーがやるならまだいい。だが夜の看板報道番組で連日トップ扱いでというのはいくらなんでもおかしいだろう。

で、多くの関係者、評論家が、日馬富士は悪くない的なことを言っている。殴ったのはビール瓶ではなかったとか、貴の岩の態度が悪すぎたとか、MRIで線が見えたので骨折の疑いと書かねばならないが過去の激しい稽古の中での骨折かもしれないとか、まあいろいろ。

こういうの、どこかで見たなと思う。そう、数年前の野球賭博事件である。あの時、各球団の反応は鈍かった。野球賭博の怪しい人を通じて賭けていた数人の選手を解雇した。だがその後発覚した、チーム内で毎試合金を出し合ってなんらかのルールによって勝った人の総取りという賭け事をやっていた件については結局なんの処分も下らなかった。

それで、僕は巨人ファンであることを5年間辞めた。同時に、野球を観ることを辞めた。

そうしたら、賭博で解雇された選手とまた契約すると。なので5年間のファン休止を10年に延長した。10年も経てば選手はほぼ入れ替えになるだろう。そうなれば全く知らないチームである。それを、また以前と変わらずに応援できるかというと、多分無理だろう。

それでも、正しくないことをやって反省のないチームや競技を応援するわけにはいかないのだ。だってそうだろう。競技というのはルールに基づくものなのだ。ちょっとした誤審は激しく責める。抗議する。納得のいかない判定に監督も選手もファンも激昂する。危険球を投じたらエースもその場で降板させられる。それがルールだ。

それなのに、野球賭博では曖昧な態度をとる。それでルールに厳格な競技をやる資格はない。あの時、巨人は次のシーズンへの参加を中止するくらいの反省を見せるべきだった。もちろん興行的に大きな損失だろう。だが、やるべきだった。紳士たれと自称してきた球団だろう。誰が言わなくても、自らで1番重い処分を下すべきだった。それをせずになあなあで済ませようとした。それで、一般の人たちも、良いのだと受け取った。その曖昧でなあなあな判断は、社会全体のモラルを棄損したと思う。やってはならないことだった。

そして今回の日馬富士。横綱がいなくなるのは相撲協会にとっても痛手だろう。横綱に多くのファンがいて、なんとか庇いたいという人がいるのも理解できる。だが、暴力だ。「手を上げざるを得ない態度だった」と日馬富士の友人が言ったと報道された。だが、手を上げていい態度など存在しない。親だって子供に手を上げていい理由など存在しない。それが許されれば、すべての暴力に理由が出てくる。そして暴力を断じることはできなくなる。ましてや、親でもなく、同じ部屋の師匠でもない。同業の先輩であり地位が上の人だ。それが酔った勢いで殴る。許されることではない。ビール瓶で殴らなければいいのか? いやいや、力士の腕力はそれ自体武器だ。ボクサーが試合以外でパンチを使えば武器として扱われる。力士の腕力も同じだろう。それを、立場的に反抗できない者に対して振るう。それはしつけか、指導か。いや、単なる暴力である。

それが許されるのであれば、すべての暴力が「理由があれは許される」ことになる。ことは日馬富士個人の去就でもなければ、相撲協会の経済的損失でもない。今回の件を見ている日本人のモラルを崩壊させるという話である。これが許されれば、すべての暴力を断じることはできなくなる。ただでさえ暴行の存在を明確にすることは難しい。それが暴行が発覚してもああだこうだと言い張れば問題を問われないとなれば、事実上暴力を止めることは難しいし、断罪されないと知った暴力予備軍は簡単に実行していくだろう。こういう件での事なかれ主義は、必ず世間のモラルハザードを引き起こす。

そうでなくとも、この数年のモラルハザードは酷いものがある。議員会館で口利きをした業者から金を受け取っても辞職に至らず。違法の証拠を保存してると見られたパソコンのHDDをドリルで穴を開けて破棄しても咎められず、不当な国有地値下げが行われても資料が無いと言い張り咎められず、長年の親友の事業が優遇されているのに「知らなかった」と言い張れば責任を咎められず、被害者が実名で告発しているにもかかわらず逮捕寸前まで行ったレイプ事件が咎められず。それで国民のモラルがおかしくならないと考える方がどうかしている。

日馬富士の件がどのようになるのか。ワイドショーネタでしかないし報道番組でトップ扱いする件ではないということを再度確認した上で、今後も注視していきたい。そしてもし、日馬富士が今後も土俵に上がることがあれば、僕は相撲を観ることは無くなるだろう。それは、礼節を重んじる本来の相撲が無くなったことに他ならないからだ。立場上位の者による暴行が許される競技など、存在する価値はないし、正しい社会は、正しい社会を希求する者は、それを許してはならないのだ。

今回の選挙について

 今回の突然の選挙。いろいろと揺れた。揺らされた。選挙の公示前から選挙期間に至るまでの間、言いたいことはたくさんあったし、ちょっとは滲み出たかもしれないが、基本的にはガマンしていた。なぜなら、思いの丈をそのまま言うのは、結果的に自公を利すると感じたからである。無名な一個人ではあるし、影響力などさほどないのは判っているが、それでも、控えた。

 というわけで、発言は選挙後に。とはいっても結果が本当に出てからでは今(選挙期間中)の気持ちは表現できないので、20日にまとめて、予約投稿を。23日に入った瞬間くらいに公開されるようにセッティングした投稿です、コレ。

 ざっくりとした流れを言えば、安倍総理が解散を決めて、召集された臨時国会の冒頭で一切の議論もせずに解散。次に民進党の前原代表が民進党からの公認は出さず、小池百合子の希望の党から公認を受けるということを両院議員総会にかけ、了承される。その後、民進党公認予定者は全員希望の党から公認されるのかが問題となり、公認されないだろうという人たちと、希望の党の政策に賛同出来ないという人たちが立憲民主党を旗揚げする。共産党を含む4党の選挙協力体制は崩れ、多くの選挙区で野党候補が乱立することに。

 その後の流れの中で、もともと民進党を支持していたと思われる人たちの中で意見が2分し、互いに口撃しあう。そりゃそうだ、選挙区でぶつかることが予想されるからだ。だが、ちょっと待てよといいたい。そうやって野党の支持者同士が罵倒し合うことで喜ぶのは誰なのか。与党だろう。この選挙で安倍政治を終わらせる、というのが野党支持者の悲願だったのではないのか。

 しかしどんどんと野党同士の罵倒はエスカレートしていく。特に、立憲民主党を支持すると思われる人たちによる希望の党への罵倒が激しかった。有名知識人から無名の人に至るまで、みんな希望の党を罵倒していた。途中から、思い出したように安倍晋三攻撃に戻る人たちもいたが、多くの人たちは20日に至るまで、希望の党のダメなところを発言することに必死だった。

 これは本当にダメだなと思う。左系の人たちに特有の内ゲバ状態だった。個人的に思っているのは、右派の人たちが利権やしがらみを重要とするのに対し、左派の人たちは理想を重要とする。だから右派の人たちは少しずつの分け前さえ確保出来ればまとまるのだが、左派の人たちは個々が抱えている理想を持っていて、でも全員の理想が同じというわけもなく、だが個々が自分の理想をあまりに重要視するあまり、同じ左派なのに若干の違いのある理想を掲げている近しい人を攻撃し始め、割れていく。

 理想は高く持っているべきである。しかしながらその理想の故に孤立するようでは理想はいつまでも妄想のままにすぎない。理想の中にあるいくつかの柱に優先順位をつけ、いちばん優先の柱によってまとまることが出来れば右派に勝てる可能性も出てくるが、まとまれなければ可能性はゼロだ。利権を柱に簡単にまとまる右派に対して、まとまることさえ難儀する左派。これでは勝負にならないのは自明だし、そのことは多少考えることが出来る人なら知っているはずなのに、やはりまとまれない。これが、巷間自民公明の2/3という予測のベースなのだと思う。

 世間では、希望の党に合流するという話を切り出した前原誠司が悪者で、それに組せず立憲民主党を立ち上げた枝野幸男が正義の味方という雰囲気が生まれた。だが、本当にそうなのか。僕はそうではないと思う。前原誠司と枝野幸男は9月の民進党代表選挙で争った。そして前原誠司が勝って代表になった。代表の立場で迎えた解散にどうやって対峙するのか。彼なりに考えた奇策を、両院議員総会にかけ、満場一致で支持された。つまり、手順を踏んで進めている策だった。枝野幸男は民進党内での多数派を形成することができず、両院議員総会でも反対をせず、その後一度賛意を示した方針に反対して離党し、新党を立ち上げた。

 2人が代表選で出馬した時の会見やその後の各地での討論会をリアルタイムで聞いていると、前原誠司の具体性と枝野幸男の漠然とした感じがとても対比的だった。オールフォーオールの考え方も井出栄策氏との2年に渡る勉強会の末に辿り着いたもので、弱者にどう寄り添うのかということが国の未来を生むという、非常にリベラルなものだった。それらを聞いて、枝野幸男が勝ったらマズいなと思っていた。

 今回の戦術、前原のやり方は多くの批判を浴びるリスクをかなり内包していた。そして最初から前原自身は民進党代表なのでひとりだけ無所属で闘うという姿勢だった。一方枝野のやり方は、本来の主張を通すために新党を立ち上げるということから、批判よりも喝采を浴びる可能性の方が高かったし、実際にそうなった。無所属で闘うよりも政党なので、比例などを考えれば勝ちやすい策でもあった。
 そして前原の策はとにかく政権交代の可能性を探った結果であり、枝野の策は政権交替の可能性を葬るものだったと言える。もし、枝野が政権交替を目指すのならば、希望の党に行くことを決めた民進党の仲間たちを強引に引き抜いてでも200程度立てるべきだった。なのに60程度。今回の選挙は3極の争いと言われている。共産党社民党の姿勢は、希望の党はむしろ自民の側であるというもので、であれば、選挙後に立憲民主党と組むことはあっても、希望の党と組むことは有り得なくなる。であれば、立憲で60程度の候補者擁立なのであれば、共産社民立憲での政権交替はまず不可能ということになる。
 そんなにリベラルなのであれば、社民党に合流すれば良かったのにと思う。だがそれはしない。僕は、立憲民主党の人たちは正論を吐く野党というポジションを目指していたのではないかと考える。それは55年体制下の、中選挙区制での社会党のような立場で、ひとつの選挙区で5人が当選という場合に、自民が3人、社会党が1人、残りを共産党や民社党等などが分け合う。永遠に野党なので、正論を吐けるし、安定的に議席を得ることが出来る。しかしそれでは政権交替など夢のまた夢でしかない。

 それはかつての民主党が政権を取っていた2010年の参議院選挙の時にも垣間見られた政治行動だ。当時民主党が衆院で多数を取ったために政権についたが、参院ではけっして多数ではなく国会がねじれていた。これを打破するために小沢幹事長のもと攻撃的な戦略で臨もうとした。2人区に2人擁立して、2議席を取りにいくというものだ。当然、民主党の票は割れる。共倒れのリスクがある。それでもそのリスクを犯さなければねじれ状態の解消は難しい。だから困難な戦略を取ろうとしたのだった。そんな中で鳩山政権が行き詰まり、鳩山由紀夫が小沢一郎幹事長と一緒に辞すことになった。当然選挙の責任者も変わる。安住純一郎は2人区に立てた2人の候補のうち1人を切ることにした。今回参議院議員なのに民進党を離党した福山哲郎も、2人区の京都で闘っていたうちのひとりで、あからさまにもうひとりの候補への選挙支援体制を切ることによって議席を楽に確保することになった議員である。選挙によってねじれを解消するという大義よりも、自分たちの保身を優先させたのだと、僕は今でも思っている。事実その時の参院選では、直前の菅直人による消費税発言などもあって、ねじれ状態は解消せず、その後の議会運営で民主党はフリーハンドを得ることがでなくなった。野田内閣の解散につながった重要な戦略ミスだった。

 今回の立憲民主党は、そういう勢力なのではないかと思う。確かに正論を言っている。その意見や政策に心を寄せるのは気持ちがいい。しかし、それでは永遠に政権交替などできない。結果的に安倍政権の延命に手を貸したといえる。本当に安倍政治にノーだと思っているのか。そのために身を切る努力をしたのか。そうではなく、安倍政権というリベラルからすれば忌み嫌うべきモンスターに、安全圏から投石をするだけのパフォーマンスをして、今後もし続けるのではないのか。

 野党は、万年野党で居続けるのか、それともいつかは与党に成り代わって政権を取り、自らの政策を実現しようとするのか。その選択によって存在意義が違ってくると思う。僕は、言っていることが本当に正しいと思うのであれば、政権を取りにいかなければ意味が無いと思う。なぜなら、野党の立場でいくら正論を言っても実現しないのだから。もちろん簡単ではない。多数を形成するために幅広い意見の人たちをまとめていかなければならない。幅広い意見をまとめるには、各人が自分の考えを勝手に主張しているようではダメなのだ。その勝手に自説を主張する人にも、主張させている人にも問題はある。そういう意味で、今回の枝野にも前原にも別の種類の問題はあった。だが、やはりどちらが政権交替を真剣に目指していたのかは、ちょっと考えればわかるはずだ。しかし多くの人たちは前原を責め、枝野を持ち上げた。もしかするとリベラルと言われている多くの人たちも、結局は正論を言い続けることに優先順位があって、その正論を実現させることにはあまり力点がないのではないかとさえ感じる。

 19日に小沢一郎の選挙区である岩手3区に自由党の共同代表である山本太郎が応援に入った。小沢一郎自身は20日から地元入りして2日間遊説するという。ミスター政権交代とも言える小沢一郎ももう歳である。今回の選挙が最後になるのではないだろうか。だとしたら、政権交替という悲願を託せるのは一体誰なのだろうか。山本太郎や森ゆうこがそうなれるのかというと、なかなかそういうわけにはいかないだろう。前原誠司は今回の件で、選挙後にどういう立場になるのか今の時点では判らない。だが、何らかの形で生き残り、次の浮上と政権交替の実現に向けて一層頑張って欲しいと思う。

 一応断っておくが、僕は自分の選挙区が前原誠司の地元だから応援しているわけではない。小沢一郎を応援している僕にとって、かつて前原誠司は憎い政治家の筆頭だった。偶然6年半前に前原の地元に引越してくることになり、しかも最寄りの駅前に彼の事務所があり、彼を落とすための投票行動がダイレクトに出来ると思って喜んだくらいだ。しかし、政権交替とはなにかを考え、さまざまな苦渋を重ね、結果的に前原誠司の名前を投票用紙に書くに至る。その間の思い悩みは大変なものだった。だがその過程で、好き嫌いなどの感情でものを考えてはいけないということを理解出来るようになった。これは僕自身にとっても大きな体験だった。だから、今枝野幸男のことも憎んだりはしていない。いずれ大きな流れのためには組む必要も出てくるだろうし、必要であれば枝野を応援することだってもちろん有り得る。それは彼への好き嫌いなどどうでもいいことだからだ。僕が選挙期間中に立憲民主党への考えをSNSなどで発言しなかったのもそういうところにある。

 小沢一郎の政権交代可能な2大政党制という目標も、1993年の宮澤内閣不信任以来24年経過して未だ道半ばでしかない。17日に前原誠司の選挙期間中たった1回の選挙区入りがあった。母校の修学院小学校での演説会で彼は「たとえ今回は失敗と思われようとも、この目標実現のために諦めずに努力し続ける」と語った。まだまだ道半ばなのだ。前原にとっては道の入り口に立ったに過ぎない。いや、目標の実現に何十年かかるんだよと言いたくもなるが、そんなに簡単に達成するようなものではない。そのことを理解しつつ、応援する側も応援をし続けなければならないのだろうと思う。

【余談】
 日本人は本当に判官贔屓なんだなとつくづく思った。都知事選に出る時に離党して自民党の候補と闘うことになった時、小池百合子は逆風の中に立った。都議会選挙の時も、東京都自民党のドンみたいな人たちを相手に闘う弱い立場というポジションだった。見かけだけは。しかし今回は排除するという発言から、むしろ東京自民党のドンみたいなポジションに立ってしまったので、勢いがなくなったのだろう。そして排除された側の枝野が判官贔屓の支持を得た。考えてみれば小泉旋風も郵政改革に立ちはだかる抵抗勢力に阻まれているというポジションが生んだのであり、1993年の小沢一郎も、田中派竹下派を割って出ることになったというポジションだったし。そういう、一見弱い者を応援したいという、それだけのことなのかもしれない。

 安倍政権の不支持が多いのに自民公明が2/3取るのは小選挙区制の故だという人がずいぶんいて困るのだが、小選挙区制のルールを知っていれば、野党政党が多数乱立するのは愚の骨頂であり、そこをまとまりさえすれば逆に圧勝するだけなので、何を言ってるのかと思う。それを「自分が考えている理想」を譲ることができない人が野党に多いために、まとまらず、まとまらない分だけ自民公明を勝たせてしまっているという、それだけのことなのだ。もし中選挙区制に戻ったら、また5人定員の選挙区で、自民3人、社会党1人、もうひとつを共産と公明と民社党と、という感じになって政権交替はまず無理になる。その中で、安定的な反対政党という甘いポジションが誰かに用意されて、そのポジションの人が吐く正論に心を寄せるのがリベラルの人にとってのぬるま湯になるだけのこと。ぬるま湯を好んで万年野党に甘んじるか、理想を他の人の理想とすりあわせて妥協して、という真剣な考察によって政権交代、すなわち民意の反映ということを求めるのか。それは政治家にも有権者にも求められていることだと思う。

 そんな感じです。もう寝なくちゃ(20日am3:32)

先の先

 天気予報がすぐれない時はバスで保育園に向かう。バス後方の2人掛け座席に空きがないかを探し、空いていれば息子と2人でそこに腰掛ける。乗車してしまえば、あとは保育園最寄りの停留所まで約15分のバス行程。

 よく見かける顔がいくつかある。その中に、割と大柄の青年がいる。いつも2人掛けの座席を1人で独占して、スマホのゲームに熱中している。朝の混む時間に座席を詰めれば良いのに。だが、何も言わない。その青年は知的障害者のようだから。知的障害者と一言で括るのが乱暴なのは理解した上で書き進めるが、知的障害者はバカなのではなくて、障害を抱えている普通の人だ。骨折をした人が松葉杖でバスに乗ってきたら席を譲るように、お年寄りが乗ってきたら席を譲るように、知的障害者が普通の常識と違う行動をとっていたからといって咎め立てしない。何故なら骨折の人が普通に立っていられないように、お年寄りが立ち続けていられないように、知的障害者が常識的な行動をとれなかったとしても、それは悪意ではなく、身体的な機能が一部損なわれているからそうなるだけなのだ。

と、思ってた。それでいいと思ってた。もちろん今でもそう思ってる。

だが、最近その青年の様子が違う。僕らが乗る時はいつもと同じ。2人掛けのシートに1人で座っている。スマホに没頭している。だが、ある停留所に着くといきなり立ち上がる。入口からおばあさんが乗ってくる。青年は座っていた2人掛けシートの窓際におばあさんを座らせ、自分は隣に腰を下ろす。再びスマホを取り出し、熱中するのかと思うと、スマホゲームのことをおばあさんに説明し始める。おばあさんはそうかそうかと青年の話を聞いている。「この子がランちゃん」「ランちゃんいう名前なんか」「オレがそう呼んどるだけや。本当は毛利ランっていう名前」「そうかそうか〜」楽しそうだ。

知的障害者が普通と違う行動をとっていたとしてもそれは悪意によるのではないから放っておく。だがそれはやはり知的障害者を知的障害者として扱っているに過ぎず、それが本当にフェアなことなのかと問われれば断言できる自信はない。そのおばあさんは青年を青年として受け入れ、なんらかのコミュニケーションをとって、楽しげに会話をしている。想像だが、最初は2人掛けシートに1人で座っていた青年に「そこ空いてるなら座らせて〜」とスペースを開けさせたのかもしれない。それ以外のファーストコンタクトが考えられない。で、誰も何も言わないので2人掛けシートを占領していた青年は、驚いて、詰めて、しばらくそのおばあさんと相席したのだろう。おばあさんが青年の空間にズケズケと入っていって、ズケズケといろんな質問をして、そのうちに打ち解け、今では仲良しに。結果的におばあさんは毎朝その青年の隣の席に必ず座れることになっている。他の誰も、その青年を詰めさせてまでして隣に座ろうとはしないからだ。

すごいな、と思う。なんでそんなことができるんだろうか。自分には今のところできそうもない。なんで出来ないんだろうか。多分まだ姑息なルールで自分を正当化する程度のことでしかないからなのだろう。社会の中にきっとある差別心が許せなくて、許せないのは理性があるからなんだが、では差別を自分から切り離すための武器はなんなのかというとやはり理性でしかなくて、理性が理性的であるためにルールを生み出し、そのルールに従うことによって、自分と異者を同じ空間に居ることを可能にさせている。たったそれだけのことを、人は開化と呼ぶに過ぎなくて、理性がその開化的状況を成立させているだけだから、もし別のルールを理屈が成立させさえすれば、その理性的な人も容易にまた差別的態度を受け入れるのではないだろうか。ほら、例えばベビーカーを押して満員電車の中に分け入ってくれば赤ちゃんが可哀想だとか言われれば、そうだなと頷く人が出てくるように。紙おむつでは愛情が足りないと言われれば、そうだなと頷く人が出てくるように。私たちが子育てしてた時は愛情があるから布おむつを毎日洗ってた、その苦労は厭わなかった、なんて言い出すおばあちゃんが出てくれば、そうだなそうだなホントに今の若い母親はと揶揄側に回る人が現れるように。でもね、そんなおばあちゃんだって今はエアコンを使うわけですよ。火鉢で暖を取ったりしないわけですよ。便利というものを自分は常に追い求めつつ、自分が過去に忍耐してきた不便を他人には強いる。そういう人は多いので、出会うたびごとにきっちり反論しておかなければならない。そういう反論をするのもまた、理屈に過ぎないんだけれども。

何の話だったか? そうそう、京都のバスだ。

京都ではバスなど公共交通で整列乗車をしない。最初は何故なんだととても不思議に思った。並べばいいのに、乗り口付近になんとなく居て、来たら乗る。不公平じゃないか、と思う。観光客が戸惑ったり不平を漏らすこともよく見る。だが、それは単にローカルルールが違うというに過ぎない。ほら、エスカレーターで右側に寄るか左側に寄るかみたいなことで、どちらがより合理的ということはないのに、なんとなくみんなそうしてる。関西と関東では逆らしい。それも理由なんてない。ただ、みんなそうしてるからというだけのことである。ローカルルールとはそういうものだ。

いやいや、整列乗車はマナーでしょ、エスカレーターのどちらに寄るかとは根本的に違うよと、きっとあなたは言うでしょう。僕もそう思った。でも、6年ほど暮らして感じているのは、やはりそれはローカルルールの違いでしかないということだ。整列乗車のそこだけをみれば、整列乗車をした方が公平なのかもしれない。だが、公共交通の公平は乗るときだけではない。京都では、思いの外席を譲る。骨折して松葉杖を使っていた時はホントにすぐ譲られたし、子供連れの時にもかなりの割合で譲ってもらう。正確な統計はわからないが、東京に暮らしていた頃の実感と比較して、その違いは明確にある。あと、バスの2人掛けの席に平気で相席する。おっさんが1人で座ってる横にOLさんみたいな人が普通に座ってくる。その逆も多い。えっ、そこに座るのかと驚くような組み合わせが日常茶飯事のように繰り広げられている。京都のバスは、そういう空間だ。乗車するときには整列しないけれど、先に乗って座れたからといって、席を譲るべきときにはあっさりと席権利を放棄する。席権利って言葉はちょっと違和感あるが、でも、やっぱそれは席権利なのだろう。先に来て列に並んだから得られたのはやはり席権利である。権利なのだからたやすく放棄する必要はないだろう、そう言ってる気がする、東京は。もちろんそんなローカルルールは明文化されてなどいないから、東京でも席を譲る人はいるし、京都だって絶対に譲らない人もいる。でも、割合として両者の違いは確実にある。それはどちらのマナーが上とか下とかいう話ではなくて、ローカルルールがなんとなく決まっているに過ぎない。それだけのことだ。エスカレーターのどちらに寄るのがより合理的かなど議論しても無意味なように、整列乗車して席権利が確定されるルールと、車内で座るべき人に譲るルールと、どちらが正しいのかは明確にはいえないのではないかなあと、最近はそう感じるわけです。

すべてのルールにはもちろん意味はあるわけだけれども、決まってしまったルールの意味を完全に理解して使ってる人は意外と少なくて。表面上の決まりを守ることに汲々としてるだけの人は多い。だけどルールがすべて完全なものかというとそうではなく、時代の変化に遅れてしまったルールもあれば、人間の能力の限界で最初から不完全だったルールもある。ルールが作られるにはそもそもルールを決めなければ存在し続けていた対立や利益の衝突があったわけで、それはルールによって消え去ったはずもなく、ルールという鎖に繋がれておとなしくしてるだけに過ぎない。だからこそルールの背景にある、ルール制定者の公平というものへの想いを汲み取ることが本当は大切なのに、一旦ルールが出来てしまえばそのルールが唯一正義のように一人歩きする。ルールに従うということが、思考停止に過ぎないということを、時々思い出した方がいいのだろう。そしてそのルールは、人間の未熟さや欲望や卑怯さを閉じ込めている檻に過ぎず、その檻がなくとも自分は正しくあることが可能なのかということを、時々は自問自答した方が良いのではなかろうか。

ずいぶん飛躍があるかもしれないけど、そんなことを、青年とおばあちゃんが隣り合って座ってるのを見ながら考えたわけです。自分はあのおばあちゃんみたいに振る舞えるのだろうか。いや、俄かには無理だなあ。何で無理なんだろうか。そんなことを考えたわけです。

日々雑感

先日のブログで、音声入力でブログを書くみたいなことを書き、その日は約5分程度の喋りで1100文字ほどの文章が仕上がり、こりゃいいやと嬉しくなって。次の日10分くらい喋ってみると、気がついたらエラー表示。当然喋った内容など残ってなくてかなり凹む。いや、パソコンやスマホで打っててもエラーになれば中身は消えちゃうけども、書くスピードがスローなので途中でこまめに保存することが可能。しかし喋りながらではそれもできず。失われた内容と10分が結構ショックで、また喋りブログやろうという気になれません。あ、そうかビデオに撮ってそれを再生しながらアプリで打ち込めばいいのか。でもそれも面倒なので、今のところはそこまでやるかは未定です。

明日から、友人の友人という人がアメリカからやってきて、京都観光のガイドを有料でやることになっていて、ちょっと緊張しています。ちょっとだけども。有料なのにこの程度の英語力で良いのかと。京都についての知識も、改めて考えると偏りがあって完璧とはいえないし。まあ完璧を求めても仕方ないし無理だし。
あと、観光中の食事をどうするのかも悩み中。人生に数度の京都で美味しいものを食べたいだろうけど、ゴージャスにすると僕自身のメシ代をどうするのか。ランチで1万超えもあるけどそれに付き合うのは無理だし、出させるのも悪いし。セレクトして店まで連れて行って本人たちだけ行かせて、注文などで困るとかわいそうだなとか。本当は事前にメールでその辺のことを聞きたかったんだけど、質問のメールに返事なかったので、まあよくわかりません。好き嫌いとか、予算とかも聞いてないので予約もしてないので、実際に会ってから方針を考えるとするか。

そんなことをやってて、本格的に京都の知識を得ようと、12月の京都検定試験を受けることに。誰かに認めてもらうというのが死ぬほど嫌いなので英検さえ受けたことも無い僕だけど、京都検定は趣味の世界である意味無駄知識でもあるので、英検のような必死感はなくて。でもいざ勉強始めると、日本史の勉強みたいなものでなかなか大変。

そんな感じです。他にもバンドマンとミーティングしたことや、息子が初めて飛行機に乗ることなどあるわけですが、今日のところはこのへんで。全部書こうとすると大変なので。まだ深夜だし、二度寝したいし。この辺りで1000文字に届かず。やっぱり音声入力ブログ再チャレンジしようかなあ〜、ふう。

体罰のこと

 日野皓正の体罰の話題が盛上がっている。この話題で、どうにも気になる点があって、それはなんなんだろうとずっと考えて得た答えは、「体罰した側には非はない」というという人が、体罰を受けた側の非を理由にしているということでした。

 「ビンタをされた。その子供に非がある。だから体罰を科してもいいんだ、日野皓正は悪くない。」そんな論調が割と多い。それに対して、「いやいや、子供には一点の非も無い」といって体罰を非難する人もいる。僕は、子供にも一定の非はあるだろうと思っている。しかし、体罰に相当する非であるかというとまったく違うし、そもそも、体罰に相当する非など、子供にはありえないというのが僕の考えである。

 例えば、痴漢の被害者がいたとして、「扇情的な格好をしていたからだ」と非難する人がいる。確かに扇情的な格好をしている人もいるだろう。だからといって、痴漢に及んでいいはずなどない。非は一方的に痴漢をした人にある。

 例えば、治安情勢に不安がある地域というのが世界にはある。武装集団がたくさんいて外国人の誘拐が頻発しているような地域がある。そこに敢えて行くのは、やはり危険リスクを頭に入れておく必要があるし、そんな場所でリゾート地的な格好をしてふらついていると、誘拐される危険は高まるのだ。そして誘拐されたとして、その人に対して「危険な場所だと知らなかったのか、不用意にも程がある」という声は挙るだろう。しかし、非は一方的に誘拐犯にある。どんな格好をしてどんな場所にいたとしても、誘拐されたことが罪であるはずなどありえない。

 リスクが高い状況や行為に対しては、保険をかける場合保険料が高まったり、保険をかけることができない場合がある。それは保険会社がリスク判断をした結果なのであり、海外でスカイダイビングをしてケガをした場合に保険が出ることを期待してはいけない。

 また、山菜を採りに山に入って、クマに遭遇して襲われた場合を考えてみる。クマ注意の看板は出ている。そこに入っていくのは迂闊だ。クマは人間に遭遇して、驚いて防衛本能で襲ったかもしれない。その場合、クマには非はないかもしれない。だが、そういうクマは射殺される。襲われた人には迂闊だったという非があるだろう。だが、射殺されるのはクマなのだ。

 振り返って日野皓正の体罰の件。子供は演奏の和を乱したのかもしれない。迂闊だったのかもしれない。だが、それがなんだい? と僕は思う。だからといって日野皓正に体罰をする権利などない。日野皓正の行為を「問題ない」という人は、襲ったクマを無罪放免し、クマに襲われた人のみを罵倒するようなものだろう。そんなのは、ダメだ。体罰はダメなのだ。子供の非を非難するのであれば、その前にまず日野皓正を罰する。別に体罰をした日野皓正を射殺せよと言っているのではない。少なくとも日野皓正の行為を非難する。それがまずあるべきで、子供の行為について論じるのはその後でなければならない。

 この件でずっとひっかかっているのは、子供を非難している人の多くは、子供の今後の成長を案じたり、それを自分の子供の成長に併せて考えたりするというよりも、体罰というものを肯定するために、そんなことのために子供をバッシングしているのではないかということだ。古き良き価値観。それを守りたいと思うのは勝手だが、それが良き価値観というのは時代遅れの不平等主義に基づいているということを自覚してもらいたい。それは戦前復古のような価値観であり、トランプ大統領に代表される白人優位主義のような、ある時代には特殊な力関係によって成立したものの、現在では否定されるべき歪んだ価値観に過ぎない。それを賛美するために、体罰を受けた子供を叩く人は、自らも歪んでいるのだということを、もっと自覚すべきだと思う。

 襲ったクマを野放しにしておいて、襲われた人をさらに叩くようなことはあってはならない。

喋りブログにチャレンジしてみようかなと。

 最近はブログを書こうと思ってもなかなか書けずにいます。それはなぜか途中からもうこれを書き終えるには時間がないなといつも思うからです。それは何故かと考えてみるとやっぱりタイピングしてるのに時間がかかって、その間に考える気持ちが萎えてしまうという、本来物を書くというときに一番あってはならないことなんだけれども、でも実際にそういうのが起こっているとなってくると解決策は2つ。1つは短く書くということ。もう一つはかからないということ。

 でも書きたいんですよね。だからどうしようかと思ってるときに、こういうものを発見しました。

 こういうものというのは一体何かというと、音声入力でテキスト書き起こしてくれるというアプリです。そういうアプリを使ってみると、最近はすごいですね。本当に精度が高いということで、これからしばらく音声入力によるテキスト化によるブログを書いてみようかと思います。もちろん句読点だったりちょっとしたちょっとした変換ミスというものはもちろんある。僕の発音がおかしいと言うことによるミスももちろんあるわけで、そういうのはまあちょっと修正しますけれども。それでどのぐらい効率よく書けるのかということにチャレンジしていきたいと思います。 で、紙とペンで書くという書き方と比べて、パソコンまたはワープロで書くということが基本的には全く違う行為であるように、しゃべって何かを伝えると言うことがどのぐらい自分にとってできるのかというかも全く違うことなので、思考のスピードでものを書くということがどのぐらいできるのかということにもなるんだろうと思うんですけれども。まぁ要するに人前で喋ると言う場合にあらかじめそのしゃべるための原稿書くということをしてしゃべるのと、何も考えずにしゃべり始めてそれなりの文章、スピーチになるということは根本的に違うわけで。こうやって文章をいきなりしゃべって何かを書く文章にするということは実際問題としてほんとにできるのかということをも、チャレンジでもあると同時に、そのチャレンジはまさに僕の思考のスピードというものを全く変えてくれるようになるのではないでしょうか。

 まぁちょっとよくわかりませんけれどもとりあえずしゃべりながら何か言ってみるということをしてみたいと思います。それは要するに時々歩きながらブツブツと、自分が何か言いたくて言いたいことはなんとなくまとまってこれを文章にしなければと思って、結局しないんですけれども。その時の思考を果たしてマイクの前で再現できるのかということだったりするわけで。まあよくわかんないけどね、結論が出ないうちに終わっています。大体5分ぐらい喋ってみましたかね。

お出かけ準備

土曜日。いつもより遅めの朝食。休日は寝坊もOKの我が家。食後に息子5歳1ヶ月はひたすら絵を描いている。お昼ご飯は外で食べようとあれこれ計画する親。久しぶりに三条あたりまで出かけてご飯を食べようと僕。そういえば街中で買い物したいしと奥さん。じゃあそうしようとほぼ決まり、お出かけするよ、それでいいかと息子にも確認。いいよと息子。じゃあ決まりだ。

息子のお絵描きは延々と続く。朝食が遅めだったのでお昼も遅めでいかと、お絵描きをさせておく。それにしてもこの集中力はすごいな、これが将来勉強にも活かされればいいなとか親の勝手なバカ話をしていたが、それにしてもお絵描きに没頭してて終わりそうにない。1時を過ぎたあたりから、これは三条あたりまで行ってからご飯はムリだなと考え始める。そろそろ行こうと声をかけ始めるが、もうちょっとしてから、今描いてるスズメバチを描いてからと息子。そのスズメバチが、長い。細かく描く上に、図鑑に書いてある説明文を丁寧に書き写す。いったい何の情熱なんだろうか。情熱はまったく素晴らしいんだけど、昼ご飯が。お出かけが。予定が全部潰れる。それでも息子の納得できる範囲まで、スズメバチが描き終わるまで待つ。両親ともに腹が減る。でも待つ。ようやく描き終わる。さあ行こう。行く前にトイレでオシッコをさせ、いざ玄関へ。もはや三条あたりでのランチは完全に諦めたので、近くの息子もお気に入りのラーメン屋で食べてから、バスで三条あたりまで出ることにするよと告げると、息子、ラーメン屋には自転車で行くと宣言。

ラーメン屋に自転車で行くということは、食べ終わってからまた家まで自転車を置きに戻ってくるということだ。5歳の誕生日に自転車を買ってもらったばかりの息子がそれをするのは普通に歩くより時間かかるし、ちゃんとまっすぐ帰ってくれるとは限らない途中公園に寄って自転車の練習をすると言い出すに違いない。それは、三条あたりまでのお出かけを断念するということになる。午前中から準備してきた親としては困る。受け容れられないというのではない。困るのだ。

息子が今反抗期なのか、それとも自分の突発的欲求を抑えられないのか、それが時期的に自然なのか、個人的な傾向なのか、普通なのか特別なのか、そういったことはよくわからない。こういう時に親の考えに無理矢理従わせることの是非、子供の言う通りにばかりすることの是非、いろいろ考えるが、唯一の決定的な答えなど知らない。でも、なし崩し的になあなあでというのは良くないと思う。それで、「じゃあお出かけはやめよう。お昼ご飯はトーストを焼いて食べる」と僕が玄関から部屋に戻った。怒る息子。困る奥さん。もう自転車で行けば良いじゃないと奥さん。それは良くないと意地をはる僕。泣く息子。こういう時は、誰かの最初の意見に他が従わせられるのが1番良くないと思うのだ、僕は。だから、お出かけに行きたかった親も行けず、自転車で行きたかった息子も行けず。というのが全員損をして全員公平だと。で、みんながっかりすればいい。

でも、奥さんには三条あたりで買い物をする目的があったらしい。そのためにお出かけの準備をしたのだと。確かに女性のお出かけ準備は大変っぽい。男の僕の準備とは違う。それも理解できる。なので、「じゃあお母さんだけ行ってきて。僕と〇〇ちゃんはお留守番」と僕が言う。息子激しく泣いて、お母さんを行かせないように頑張る。でもそれでは埒あかないので、息子をぎゅっと抱きしめて押さえつけ、「お母さんはさっさと行って」と促す。奥さんも後ろ髪を引かれつつ、その場の雰囲気に抗しきれず外へ。玄関のドアが閉まって、息子激しく泣く。それまでも泣いていたがさらに泣く。仕方ない。手足をバタバタ動かす。尋常じゃない。お母さんお母さんと泣きながら絶叫。近所の人にまる聞こえだろうけど、そんなの気にしていられない。

そのうちに、お母さんのとこに行く、お母さんのとこに行くと言い出すので、僕も抱きしめてた手を緩めた。息子、靴をはく。僕も靴をはく。ドアを開けて、閉めて、鍵かけて、息子と一緒にエレベーターへ。そして戸外へ。マンションの前にあるバス停、三条あたりに行くためのバス停を見る。奥さんはいない。息子泣く。じゃあラーメン屋さんに行ってみようと僕。息子もラーメン屋さんに行くことで納得。僕と手をつなぎ走り出す。途中で息子の靴が脱げる。また泣く。かかとをはき直させ、また走り出す。すると、遠くに奥さんの姿が見えた。「おがーざーん!」もう何が何やらよくわからない絶叫。奥さんも僕らに気づく。息子に、行っといでと促して手を離すと、一目散に駆けて行った。

その後3人でラーメン屋さんに歩いて行って、何もなかったかのように食事。そしてバスで三条あたりまで。結果的に親の計画通りのコースになったが、計画通りの展開ではない。そして息子にとっても、追い込まれた最悪の状況から、お母さんと再会して一緒にお出かけとなって、なんとなく満足。

これで本当に良かったのかはわからないけど、息子が納得してないのに無理矢理従わせるよりはマシだと思うし、息子の言うなりになって自転車でラーメン屋に行くだけになるよりもマシだと思う。その思いや納得の仕方が正解だとは言い切れないけど、じゃあどうしたらいいのか、親以外に答えを出してくれる人はいないのだから、やっぱりそれで納得するしかないし、これからもそういう試行錯誤を重ねていくしかないのだろう。

お出かけ中、息子はほとんどずっとお母さんと手をつないでいた。そりゃそうだな。しかし帰宅後はお父さんともじゃれあったし、夜寝る時もいつものようにお父さんの隣に潜り込んできた。お父さん不信のような決定的なトラウマは残ってないようでホッとする。