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目標

 ポールオースターの4321を読んでいる。この夏の1つ目の目標は、この洋書を読み終えること。現在180ページほど読んだので、普通の小説ならばそろそろ後半なんだけど、1000ページを超えるので、まだまだ感が全然消えない。1日20ページ読んだところで読了まで45日。そんなにコンスタントには読めないので、まあ年内にこれとあと1冊読めれば上出来かなという気がしている。

 もう1つの目標としては、通訳案内士という資格を取るということ。別に資格マニアではないのだが、京都のガイドをやりたいと思っていて、海外からの旅行者が半端なく多いので、英語での案内は必須だろうと。その資格無くてもガイドはやれるが、法律上堂々と名乗れないらしいし、第一ガイドする上で資格くらい取れないスキルでどうするのかと。その資格を取る上でのハードルはまず語学力。TOEICで910点程度必要だと。昨年までは840点だったのでハードルがグンと上がったわけだけど、まあしゃーない。資格云々関係なく語学力はあったほうがいいので、もうちっと勉強しなくては。基本は語彙力とリスニング。対策本など買って真面目にやってみるか、という感じです。

 あと、この夏を目処にやらなきゃならないことはいくつかあるけれど、まあそれは別の機会で。

乳歯と永久歯

 息子の歯を磨いてあげるのはお父さん、僕の役目。もうすぐ6歳だからそろそろ自分で磨かせるようにしなきゃと思ってはいるものの、切り替えるタイミングが判らないのと、磨いてあげるのが楽しかったりもするものだから、ついつい日延べばかりしている。

 春頃に、異変を感じた。息子の歯がおかしい。曲がってきている。具体的にいうと左の前歯がその隣の歯と接しているところで、少しばかり前に出て斜めになっている。これはどうしたことか。もしかして磨きすぎる中で過度な力が入って歯を歪めたのだろうか。どうしようどうしよう。3日ほど思い悩み、しかし確定的なことを言えるほどの知見もないまま、その異変を自分の胸のうちにだけ留めていた。

 なんのことはありません。乳歯が抜け始めていたのだった。

 それから数週間、抜けそうで抜けず。その前歯はますます前方にめくれるように歪んできて、先日ようやく抜けました。

 乳歯が抜ければ、永久歯が生えてくる。永久歯は乳歯より大きいわけだが、さほど隙間もなく乳歯が並んでいたスペースに大きな永久歯がどうやって生えてくるのだろうか。もしかして歯がガチャガチャになってしまうのか。親の不安は尽きない。

 しかし、抜けて10日ほど経ち、どうやらその抜けた跡が広がってきている感じがする。抜けてない方の前歯と較べても明らかにその歯がない空間の幅のほうが広い。なるほど、人間の身体は良く出来ているものだなあと感心する。

 こういう発見ができたのも、毎晩息子の歯を磨いてあげるというご奉仕を続けてきたからなのだろうと思います。

父子2人旅

 訳あって息子と2人旅。妻の実家に帰省しています。この家の実の娘がいなくてなんか不思議な気もするけど、おじいちゃんおばあちゃんからすれば孫が来てくれればそれで良いのか、実の娘の不在は特に問題になっていない。妻に外せない仕事があるからこうなったわけだけど、孫と会えるのを楽しみにしてるオーラがいろいろと伝わってきたので、まあこういうのもたまにはいいだろうと、男2人旅が実行に移されたのだった。

 旅の初日は妻の旧友が家族で京都にやってくるということで一緒に京都観光。流鏑馬を見たり、金閣寺に行ったり。僕自身はこの1年ほどで4回目の金閣寺。前回から1ヶ月も経っていないのだが、妻は10年ぶり、息子は初めて。妻の旧友の旦那さんも修学旅行以来30年以上振りとかで、普通はあまり行けない場所なんだなあと再認識。慣れるって良くないなあと思った。

 そんなこともあり、妻の実家に向かったのが19時過ぎで、着いたのは22時近く。それからご飯食べてお風呂に入って、寝たのが25時近く。それで2日目はおじいさん発案で近くの海に潮干狩りに。これがあったので、孫に来てほしいオーラが来てたみたいです。んで、慣れないことをするから疲れたのか、お父さんは結構眠くて。息子はというとそこそこテンション高くてなかなか寝てくれず。なんとか就寝して電気を消してもお父さん(僕)に何か懸命にお話をしてくれる。なのに眠くて話の30%程度した頭に入ってこず、相づちもいい加減に。「お父さん!ちゃんと聞いて!お父さんしかおらんのやから、ちゃんと聞いて!」と息子。怒ります。

 ああ、この子はこの子なりに、お母さん不在のこの帰省を頑張ってるのだなと実感した。電車に乗れたり、海に連れて行ってもらえたり、貝と一緒に小さなカニを捕まえて連れ帰ったり、そのカニに刺し身の切れ端を与えてみて、食べてる様子を興味深く観察したり。楽しいイベンティなことは満喫してるものの、理由はよくわからないけどお母さんはこの旅に来ないのだということを飲み込んで、息子は息子なりに頑張っているのだ。偉いなあ。本当に偉いなあ。

 息子が保育園に行き始めた頃のことを思い出す。スモックを着せられて、朝早くにお父さんの自転車に乗せられ、保育園に置き去りにされる。最初の2週間ほどはまるで泣かずにこちらが拍子抜けしたものだが、ある日、自転車で数分走った辺りで激しく泣き始めた。お家に帰る、お家に帰る。その一点張りで大声で泣く。仕方なく自転車を停めて前カゴ座席から出してあげて抱っこして。10分ほど抱っこして、まだ泣いてるけど少しおさまったのでまたカゴに入れて走り出して、ちょっと行くとまた激しく泣いて、停まって抱っこして。その日は3回停まって抱っこを繰り返した。最初の1年にそういうのが5回ほどあったか。その後そういうのは無くなり、友だちと遊ぶのが楽しくなってきた様子で。でも、それでも、いろいろなストレスや感情を飲み込んで過ごしていることは今でもあるんだと思う。小さいのに、偉いなあ。

 だからお父さんとしては布団の中でお話を聞いてあげなきゃと思うのだけど、眠いのは仕方なくて。何度も怒られつつ、結局どちらが先に眠っちゃったのだろうか。お父さんが先に眠っちゃってたのであれば、本当に申し訳ない。まあでも、眠いのは仕方ないのだよ。君ももう少し早めに寝るようにしてくれ。明日も朝からいろいろとあるのだ、ムシランドに連れて行ってもらえるとかのイベントが。

京大タテカン

 京都大学の周囲に設置してある立て看板。タテカンと呼ばれてる。これが京都市の景観条例に違反しているとかで撤去要請されてて。それでもずっとしぶとく置かれていた看板が、期限が来たとのことで、5月に入って撤去され始めたとのこと。

 この件でニュースが街を行く人にインタビューしてて。街を行くといっても学生なんだけど、「立て看板、僕は嫌いなので無くなっていいと思います」と答えていた。京都大学にまで行くアタマを持ちながらその程度なのかと愕然とした。愚かすぎる。アホすぎる。

 自分が好きじゃないものは無くなって構わない。その想像力の無さ。もちろんアホがアホなことを言っちゃいけないということはない。それは言論の自由の範囲だ。憲法で保証されている基本的人権だ。だが、立て看板もまた言論の1形態なのであり、その言論形態のひとつを誰かの好き嫌いで制限されるなどということがあって良いわけがないだろう。もしそれを許せば、その先の未来にやってくるのはアホがアホなことを言うことが許されない世界だ。自分で自分の首を絞めるとはこのことだ。本当にアホすぎる。日本でも有数の難しい試験を勝ち抜いてきた頭脳でそのアホさは、本当に救い難い。

 で、そのことをツイートした。すると賛否両論いろいろリプをいただいた。「あんな醜い看板は京都の恥」とかいうリプがあった。これも好き嫌いでしかない。あそこに美しい看板があるのなら良いのか。醜くなくて美しい看板ならOKなのか。だとしたらその美醜の判定は誰がするのか?出来るわけがないじゃないか。

 まあそっち方面の意見がアホなのは想像の範囲なので別に良いのだが、僕のツイート(立て看板撤去反対)に賛同する方々のリプが、ちょっとまあ哀しくなるものがあった。「京大の立て看板は百万遍の風物詩」とか、「京大の伝統を消して欲しくない」とか。いやいや、それも好き嫌いでしかないですから。

 言論の自由を語るときによく引き合いに出されるボルテールの「あなたの意見に対しては命がけで反対するが、あなたがそれを言う権利については命がけで守る(ちょっとうろ覚え)」というのはまさにこれ。ある人の話す内容が自分にも受け容れられるものだからその発言の権利を認める、であってはダメなのだ。それを自分の態度としてしまうと、自分には受け容れられない内容の発言を守れなくなる。その先にあるのは、やはり自分の発言する権利が制限される可能性を持った社会でしかない。「立て看板が好きじゃないから無くなって構わない」と「京大の伝統だから立て看板なくしては駄目」は、表裏一体の、方向性が異なるだけで同種の具論である。

 もちろん、誰にでも好みというものはあるし、それを否定するつもりはない。好きなものは永続してほしいし、そう考えることは別に悪いことなどではない。だから立て看板が京大の伝統だから無くしては駄目と言うこと自体が悪いわけではない。ただ、そのノスタルジックな話を、「自分は立て看板好きじゃないから無くなって構わない」というアホ意見に対して行われる反論としては価値が無いということは理解しておかないと、なぜ「立て看板好きじゃないから」のアホ意見がアホなのかということを自分が理解していないのだということをさらけ出してるだけに終わってしまう、ということになる。

 こういうのは結構大事で、意識してないとネトウヨがマウンティングしてくるときのアホさの理由が解らなくなって、マウンティングされるのが怖いから黙ってしまうことになるし、人権主義者のフリをしてる(本人もそう思い込んでる)人による、理論無視の感情論に押し流されて不可解な洗脳を受けることになる。絆とか、左右関係なく押し付けてくる感情論による支配動向に抵抗する術を失って、その結果自由であることを放棄してしまう根源はすべてこういうところにある。

アイキャッチ画像は、京大の周辺で見かける英語教室の看板です。大原に住むプチ有名人のベニシアさんによる英語教室。こういうの、良いなと思います。立て看板の良いところは、その置かれてる周辺の住民にしか届かないところ。NHKで定期的に放送されて映画にもなったエコな暮らしのベニシアさんの英語教室だから、全国展開をすれば生徒はもっと増えるはず。でもやらない。エコな暮らしの人は、そのエコな暮らしが支えられれば良いのだし、MBAの経営術とかはどーでもいいのだと思う(想像でしかないけど)。この朽ち果てそうな手製の看板が百万遍の数ヶ所にただ置かれている。そういうのこそ、京都の景観だと思います。いやそれは言論の自由とはまた違った観点の話として。

そこに何があるのかを知っている、想像して待ち望む

 桜が咲いて散り、葉桜が美しい。京都の寺院にはもみじがたくさん植えてあって、桜の花が散ればもみじの新緑がとても美しいように配されている。雪柳が咲き誇り、霧島ツツジの小さな花が満開になれば、次は平戸ツツジの大きな花がいつ咲くだろうかと待ち望む気持ちが膨らむ。そうこうしているうちにあじさいは咲く準備が進んでいる様子。

 京都に暮らすようになってもうすぐ7年。そういった花がどこに咲くのかということが頭に入ってきた。マイフラワーマッピング。これとても大事。

 名所の桜の周囲には観光客がわんさと花盛りのよう。それは、彼らがその桜のことを知っているからだ。だからそれを見たいと想像しながらスケジュールを調整してやってくる。自分がその桜の前に立って直に見ることを想い描いてその瞬間を待ち望む。

 7年も暮らせば、名桜への情熱は少しだけ薄れる。それは、さほど名高くない桜にも素晴らしいものがあることを知るようになるからだ。高野川の桜並木はとても素晴らしい。だがそこに観光客がやってくることはない。だから、住民としてはそういう桜を愛でたい。そこの桜並木のつぼみが膨らんでくるとワクワクする。そのつぼみたちが数日後にどうなるかを知っているからだ。だから期待するし、わくわくする。

 その花はどのような葉っぱの木に咲くのかということを知らなければ、そういう想像をすることもできない。逆にその木がどこにあるのかということを知っていれば、日々の散歩がすべてわくわくに変わっていく。そういうのが、日々を楽しいものにするのだ。

 昨日facebookで紫陽花のつぼみ(正確にはつぼみではないけど)の写真をアップして「I’m wishing to see them, and wishing and wishing and wishing. I think Kyoto is the wishing city.」と書いた。それは、どこに行けばそういう花の木があって、いつごろそれが咲くのかということをだいたい知っているから Wishing 出来るのだ。

 太田神社のかきつばたが数輪咲いたと太田神社のTwitterで情報発信されていた。太田神社には2週間前に行ってどんなものかなとチェックしていたが、その時にはまだまだつぼみさえ無かったよ。来週か、その先くらいか。太田神社のかきつばたが咲き誇れば、あちこちで菖蒲の花を見ることが出来るようになる。ほとんどの菖蒲は紫だけど、白い菖蒲が上賀茂神社そばの賀茂川沿いに群生しているのを知っている。それを見に行くのも楽しみだ。

 本当に京都は wishing city だと思う。楽しみの多い街に暮らすことができて、恵まれたことだなあと思う。本当にそう思う。

会釈

 近所を歩いていて、見た顔の人が前から歩いてくるのに気づいた。その間隔は徐々に近づいていく。相手も僕に気づいた様子。同じマンションの人だ。会釈する。

 朝は朝で外出する時、エレベーターが1階に着くとそこには同じ階の住人が立っていた。会釈する。向こうは僕の連れている息子にとびきりの笑顔で行ってらっしゃいと声をかける。

 そういう時、越してきたこの街の、僕も住人になれたのかなあという気がする。いや、個人的な付き合いは特にない。マンションの廊下で顔を合わせれば会釈する程度の間柄でしかない。でも、その会釈する程度の関係が、僕をこの街の住人なんだと確信させてくれる。

 もっと沢山の人と知り合いたいとか、より深い交流をしたいなどとは思っていない。先方から望まれれば固辞するつもりもないけど、その程度の関係を今の程度持てたことが、この7年ほどの僕の暮らしの証なのかなあという気がする。

 まあ、僕が日常的に息子の手をつないで歩いてるから、相手も関心を持ってくれるというのは解ってるつもりですけど。

ペットと野良

 知人にkissakaさんという人がいて、ちょっとした有名人です。ちょっとしたというのは、テレビに出まくりとかベストセラー著書多数というようなホンモノの有名人とはいえないものの、一部界隈ではそこそこ知られている、から。その一部界隈と、その一部界隈にアンチな人から彼女は「ネトウヨ」という見方をされている。ああ、その一部界隈の側の人はネトウヨとは見てないかも。なぜならその界隈に巣食う人たちこそがネトウヨなのだから。

 しかし、僕はkissakaさんのことをネトウヨだとは思っていない。まったく思っていない。そのことについてちょっと書いてみたい。というか自分の中でも整理をしたい。

 ネトウヨというのは何か。まずはそこから。右翼のネット版というのが一般的な定義だろうが、右翼とネトウヨはそもそも違う。左翼とサヨクも違う。右翼と左翼は、考えた挙げ句に自分なりの思想的理想を見出し、その理想を原理主義的に追求するベクトルを持っている人とその信奉者のこと。考える過程の条件が違うために違う結論に至っただけのことで、共に理想主義者である。ネトウヨは、右翼的な思想の表層のみをつまんで自己愛のために利用していたり、利己的な利益追求の道具にしていたりする人。深い信念などはなく、仮に敗戦して今まで信じていた教科書に墨を塗りなさいと言われればホイホイ塗るし、昨日まで軍国主義の権化のように振る舞っていても今日から民主主義者になれる人。それでいて「権威」が変わらなければ、その権威に怪しいところがあったとしても、怪しさそのものを否定して権威を全肯定できる人。つまり、ネトウヨにとって正義とは普遍的な整合性などではなくただただ権威そのものである。権威がクロと言えば白いものでもクロ。それは思想ではなく従属。主義があるとすれば、権威主義でしかない。
 サヨクというのはネトウヨが非ネトウヨな人のことを指して言う蔑称で、主義主張的な定義はできない。より蔑称的な呼称としてパヨクというものがあり、それも明確な思想的カテゴリーには成り得ない。

 で、右と左という思想的なそれぞれの理想が極端なものとして出てくると、極右や極左という立場の人になる。どちらも暴力主義を是認する思想で、安倍政権は極右にあたるが、安倍晋三個人は極右ではない。アレは深い思想など無く、そういうことを考える能力も根性も欠如したノンポリだと思われる。要するにアンポンタンであって、だから極右の人が千載一遇として便利に利用しているだけ。安倍晋三が失脚すれば極右の人はまた同程度のアンポンタンを探してくるか、さもなくば自ら表に立たなければならなくなるので、これほど矛盾が次から次に露呈しているのに、アレを守ろうと必死になっているのでしょう。

 話を戻すが、kissakaさんはネトウヨではもちろんなくて、右翼でもない。現状のベストな落としどころを探って日々考えつつ、行動や発言をしている人だと思う。基本的なスタンスや価値基準が右にある。その点では僕なども一緒。えええええっとか言わないそこの人。僕のことを左寄りと思ってる人はとても多いと想像するけど、実際は中道で若干右というのが僕の立場。かつての田中派vs福田派の基準で言えば福田派。その僕が福田派の系統の末裔である安倍晋三を根底から否定して、田中派の秘蔵っ子だった小沢一郎をずっと支持しているというのが面白いところ。政治とは必ずしも思想と一致しないのが面白いところ。つまり、政治とは純粋に思想だけで語ることが出来ない、生活と欲に立脚した現実活動そのものだからです。政治を理想論で捉えようとすると様々な矛盾に疲れて挫折することになる。それは人間が理想論で動かない存在だから。闇市でヤミ米を手に入れられないと家族が飢え死ぬのなら、敢えて理想を踏みにじる。そのぎりぎりの行為を否定して諭すのが思想であり、ヤミ米に目をつぶるのが現実。そしてヤミ米を合法化するのが政治の第一歩であり、ヤミ米に頼らずとも社会構成員が安心して暮らしていけるようにするのが政治の目的である。理想論のみで政治を考えてしまうと、多くの人が死に、そしてその理想そのものが形骸化してやがて死ぬ。なぜなら高い理想を生活の敵だと思い込む人が増えてしまうから。

 この、政治の第一歩と政治の目的を混同すると政治が解らなくなる。しかし、民主主義におけるほぼ唯一で最大の政治参加機会である選挙の際に、政治の第一歩票と政治の目的票の2つの選択肢を選ぶことなど許されておらず、1人の名前を書かされるとき、人は政治とは何かを考えて絶望する。「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコと、さあどっち!」みたいな選択を迫られれば絶望するのは当たり前だ。本当はカレー味のカレーはあるんだと知っているのだから。

 そこで、投票に行かないという選択をする人がとても多くなる。でもそれは近い将来餓死することを意味しますよ。ここでは観念的な餓死でしかないけれども、だからこそ現実的には餓死的な未来という意味で。で、世の中にはウンコ味のウンコを食べたいのにその選択肢は無いのかとおっしゃる人も理論的にはあり得るし、現実にも少数ながら存在している。まあそういう人はそういう人として、自ら立候補していただくとか、東京1区によく立候補していた方に投票するとか、維新の会に投票するとかしていただければ結構。で、カレー味のカレーという選択肢は本当に存在していないので、その選択をしたい人は心を千千に乱れさせながら各々の選択をすることになる。で、カレー味のウンコがいいのかウンコ味のカレーがいいのかと問われれば、僕は複雑な想いを抱きつつもウンコ味のカレーを選ぶ派。何故なら、その味は不味かろうともカレーであることは間違いないのだし、料理者が経験を重ねればやがて美味しいカレーを作れるようになる可能性を残しているわけで。一方でカレー味のウンコを選ぶ人もいて、その人は今美味しいものを食べないでどうするという考えなのでしょう。

 政治によって社会を変えていくというのはとても大変なことで、一朝一夕に変わることを期待してはいけない。例えば新しい道路を作ろうとしてもその予定地に反対派の家がある場合、それ以外の用地買収をしつつ、路線計画地に建っている建物に増改築の許可を出さないという手法を取る。そうすると地権者の家屋は経年と共に朽ちていくし、地権者も老いる。反対派の家の周囲はフェンスで覆われた空地ばかりとなる。やがてその子供の代になり、子供くらいは親の遺志を尊重して抵抗するものの孫の代になればもう抵抗する理由などボヤケてしまい、遂には用地買収に応じてくれるようになる。そうして計画から半世紀以上経って道路が通ったりする。

 政治を変えていくのも簡単なことではない。一気に変えたいというのは民主主義思想ではなく革命主義思想。無論革命でなければ変わらないことだってあるが、それに頼ることは民主主義ではない。民主主義はひとつひとつ石を積み上げ、時に積み上げた石が誰かに蹴飛ばされ、それでもまた一から積み上げ始め、やがて高い石山が出来上がるようなもの。恐ろしく時間がかかると同時に、積み上がる前に世界が終わる可能性だってある。もちろん、自分が生きている間に変化完了などは望むべくもない。それでも民主主義を信じるというのであれば、それを受け入れ、不毛と思われるかもしれないことを愚直に続けるしかない。それだけが、いつかカレー味のカレーを孫世代が食べられる唯一の可能性なのだ。自分はウンコ味のカレーを選ぶということが、だ。

 kissakaさんから昨日問われて。そのやり取りの中で「小さな意思の積み重さねの向こうに「アベ政権よりマシ」があるのなら、それは一体何なのか。(一部誤字を修正しています)」という問いかけを受けた。なるほどと思った。おそらく、彼女は現実主義的な人なのだろう。その現実は、自分が生きている間に求め得る結果のことなのではないだろうか。

 と、ここまで(布団の中でスマホで)書いてから数日経った。えらく忙しかった。海外からのお客様接待とか、サーバートラブルでサイト全体のお引越しとか、あれやこれや。なので続きを再開するわけだが、文体とか文脈に齟齬があるかもしれないけどまあ気にしないでくれ。

 そんで、忙しいながらも「カレー味のうんことうんこ味のカレー」という例えは正しいのだろうか、正しいにしてももっと良い例えはないのだろうかと考え続けていた。民主主義が何を実現して何を担保してくれるのか。その「何か」は支持するに値する価値だと言い切れるのか。心の中では言い切れるのだが、それを他人に説明するにはもっと具体的な話が必要だ。

 日本人は時代劇が好きなのだが、そこでは虐げられる民衆を奇跡のような手法で救ってくれるスーパーパワーがよく登場する。水戸黄門しかり、暴れん坊将軍しかり。江戸時代には将軍が世襲された。世襲であっても庶民の苦しみを理解し改善に全力を尽くそうという人は登場してくるわけで、そういう人が治世をしてくれるのであれば生活は楽になるだろう。だがそういう人ばかりではなく、とんでもなく自己中心的で嘘つきで庶民の暮らしになど興味が無い人が将軍になることだってある。そういう時、江戸時代には庶民にはその将軍にNOを突きつける術が無い。民主主義というのは悪政に対してNOを言える権能を市民に担保するものだと思っている。だから選挙が重要であり、投票に行くことが重要なのだ。

 このことを、僕はペットの暮らしに例えてみたい。以前何かで読んだことによると、飼い猫と野良猫では寿命が大きく違うらしい。飼い猫が10年以上生きるのに対して、野良猫ではせいぜい3年ほどが平均寿命だそうだ。そりゃそうかもしれない。エアコンのある部屋で雨風を凌げ、毎日きちんとエサを与えてもらえる。野良では夏は暑く冬は寒く、雨天の日には雨に濡れ、獲物がない日には腹を空かせ、縄張り争いなどのケンカで怪我をすれば致命傷になることもある。都会では車に轢かれることだってある。そりゃあ飼い猫の方が長生きになって当然。
 しかし、動物は飼い主を選ぶことができない。猫ならふらりと外に出てそのまま逃げて野良になることも出来なくはないが、犬の場合は首輪をはめられるし、外出する際はリードを付けられる。逃亡するのはなかなか難しい。それで世話がずさんな飼い主に飼われた日には悲惨なことになる。積極的に虐待する人だけでなく、経済的な理由で十分な食糧を与えなかったり、適切な医療を受けさせなかったり、面倒だから散歩させなかったり。現実的に酷い飼い主は存在するのだ。

 kissakaさんも犬を飼っておられて、本当に家族の一員として愛している様子は伝わってくる。そういう飼い主に出会った犬は幸せなのかもしれないが、そうではない犬もいて、そういう犬に人権は無いのか。犬だから人権は無いんだけど、人間にとっての人権のような、犬権のようなものはあって然るべきだろう。だが犬が犬権を主張して「もうこの飼い主に飼われたくない」なんて言い出したらペットを飼うのも大変なことになるな。幸か不幸か犬権や犬民主主義なんてものは(今のところ)無いし、だから飼い主は今のやり方をずっと続けることが許される。
 しかし、人間はそうはいかない。それぞれの理想や主義に基づいて、為政者にNOと言う。民主主義が無い社会では陰でこそこそ言い、それも気に入らない為政者なら強権的にそういう発言を摘発して弾圧する。だが民主主義がある社会では、人は堂々と為政者への不満を口にし、選挙の際には投票で自らの意志を示す。それによって自分の暮らしを改善する努力をすることが出来る。
 人間はペットではない。為政者に飼われているわけではない。それを担保するのが民主主義だ。政権担当者たちがダメ人間であればNOを突きつけることができる。NOを突きつけて別の政権担当者を選ぶことができる。それが民主主義社会の良いところだ。

 それが担保されないのはなんだろうか。全体主義?独裁政治?専制君主制?呼び方はどうあれ、為政者の交代が死亡または譲位によってしか起こらない社会。それはペットと飼い主の社会である。良い飼い主に当たれば安楽な暮らしが得られるかもしれない。だが当たらなければ生涯地獄。そんな運に人生を預けるのはイヤだ。交代の無い政権は腐る。交代可能性のある政権だって腐るのだから、無ければさらに腐る。だから政権は常に交代の可能性に晒されていたほうがいい。今起こっている公文書改竄も、権力の強さが生み出す不正である。どんな形であれ正義が最後に通ると判っていれば、誰がそんな大それた不正に手を染めるだろうか。

 閑話休題。というかそろそろ終わりにしたいのだけれども。なぜならこの文章に明確な結論という結末は無いので。
 
 ま、カレー味のうんことうんこ味のカレーと例えたけれども、そんなに2極にはっきり分けられるものでもないし現実というのは。なので実際にはその料理に明確に「カレーである、臭いけど」という表示も「うんこである、美味いけど」という表示もない。その何なのかよくわからないものを「自分はコレを食べる」と決めなければならない。自分はうんこ味のカレーを選ぶのだと思っていても間違ってカレー味のうんこを食べてしまうこともある。下手すればうんこ味のうんこを食べてしまうこともある。そういう間違いを重ねて、段々とうんこ味のカレーを選べるようになる。選べるようになった頃には寿命が尽きて、子どもたちの世代に任せるしかないようになるのだが、それは仕方のないことだろう。

 ただまあ、同じものをカレー味のうんこだと思う人もいれば、うんこ味のカレーだと思う人もいるので、ホントに難しい。どちらが正しいのか。安倍内閣はどちらなのか。僕はアレはうんこ味のうんこだと思っているのだが、それが100%の正解であるわけもないし、実際に与党が獲得している票は3割程度なのにあの議席数はおかしいだろうというのもあるが、それはこれまでみんなの党や維新の会などのエセ野党が仕込まれて跋扈していたからなのだが、今度は真正野党が分断の元凶となっていてホントにクソだなと思うのだが、まあそれもこの国の在り様なのであって、国民以上の政治など在るわけがないということの象徴的事象といえよう。そのことについての解釈も人それぞれで、だから民主主義の人は周囲と話をして自分の考えを主張して、その論理の正しさと正しいらしさとによって周囲にも納得共感する人を増やしていく努力をして、社会を変える小さな努力をしていかなければいけません。

 ただし、その時の姿勢で大切なことは、相手に意見を変えてもらう可能性を信じるというのであれば、自分もまた相手との討論の結果自らの意見を変えることもあるという柔軟さを持つこと。それ無しに相手のみ意見を変えさせるというのは傲慢なこと。その姿勢は、過去に自分がうんこ味のカレーを選ぶのだと言いながらも間違ってカレー味のうんこを選んでしまい、その選択の誤りを誤りと認めたくないがために強弁と詭弁を繰り返す愚を犯す原因になってしまう。そういうのが民主主義には1番ダメで、誤った原理主義の中でももっともクズな原理主義的態度につながる。そうなってくると信じているものの主義主張や理想に関わらず、社会の害悪でしかなくなる。そしてそういう人は、右にも左にもとても多いし、それが民主主義が浸透発展しない大きな理由である。

 まあそんなことを言いつつ、この駄文でkissakaさんの思想を根底からひっくり返せるとは思ってないし、時折(というか結構頻繁に)見せる攻撃的なツイートはなんとかしていただけないものか、せめて僕がリツイした相手に攻撃的な絡みをするのはやめてもらえないか、とか個人的に思うが、他人から見れば僕の日頃のアレやコレがそんなに、誰かの行動に意見できる程の聖人的なものなのかといえばそんなことはまったくないので、まあその辺は適当に話を聞き流していただければ。

 そのうちに京都にも遊びに来てくださいね、チャオ!

(とか書いておきながら、一晩寝かせて最後に読み直しをしてからアップしようと思っていたら、そこから1週間ほど経過してしまった!しかもまだ読み直ししていない!! 週末寝込んで一歩も外に出てなかったりしてたので!!! というわけで、読み直しもしていないのでおかしなところは5ヶ所くらいはあると思うけど、出版するやつとかじゃないので、もうこのままアップしちゃいます。変なところあっても気にしないでくださいね。んで、僕は自分のやってることがうんこ味のカレーを食うことだと思っているけど、他人が見れば「いやいや、君のやってることこそカレー味のうんこを食ってるってことだよ」という指摘を受けるかもしれません。まあ比喩なので、例えなので、考え方の違いで評価も変わるし、明確な定義などありゃしませんので、まあどうでもいいですけどね。チャオ!!!!)

ラーメン

 一風堂というラーメン屋がTwitterで1万フォロー達成だかなんだかのキャンペーン(?)をやっているというリツイートが流れてきて、そのアカウントをみてみたら、知らないうちにフォローされてた。

 そういうことはよくあるものだが、一応何かの縁かなと思いフォローしてみた。ただし、僕は一風堂は嫌いなのである。博多ラーメンといえばもはや一風堂が全国区になってしまっている。もうひとつは一蘭だろう。その両方とも、僕は嫌い。

 一蘭は、あの食べ方ルールが嫌い。仕切られたカウンター席に座って誰かと会話することも無く食べる。ブロイラーの鶏か。そんな食べさせられ方ではどんなに味が良かろうが、美味くない。美味いというのは純粋に味ではなく、五感全体で感じるものであって、あんな風に半強制的に食べさせられるのは絶対に受け入れられない。一蘭潰れろ。

 食べ方ルールのお店としては、一条流がんこというのが知られている。店先に牛の骨をぶら下げているお店だ。最初僕はそうとはしらずに、総本家の一条安雪氏のお店に入ったのだ。理由は自宅のごく近くにオープンしたから。店には食べ方についていろいろ書いてある。店長の一条安雪氏のかなり怖そうなルックスもあって、抵抗出来ない雰囲気があった。でも、話をしてみるとそんなに窮屈に食べる必要は無いということだった。ひとつだけ押し付けたいのは、まずは塩を注文しろということだった。塩はごまかしが利かないスープだから何よりも懸命に作っているから、まずそれを食べてほしいと。他の味はその後にしてくれと。なるほど、それはよくわかる。出町ふたばに行ったらまずは豆餅を食えみたいなものか。まあ出町ふたばの人は「豆餅から食え」とは絶対にいわないと思うけども。

 その一条流がんこのがんこルールは、わかるのだ。そして受け入れられるのだ。どんな世界にも流儀というものはある。そしてその流儀をこだわりとして大切にしている人の顔が見える場であれば、多少のルールも受け入れていいと思う。だが、一蘭は誰のこだわりなのかよくわからない。仕切られたカウンター席の前はすだれのようなシャッターになっていて、そこがシャッと上がってラーメンが出てきて、配膳されたらまたシャッとシャッターが下がる。誰がこれを食わせているのか、誰がオレに黙々と食えと言っているのか。まったくわからない。そんな訳のわからないルールに従えるか。一蘭潰れろ。

 一風堂は、最初はそこまで嫌いじゃなかった。二十歳で東京に行って博多ラーメンが恋しかった。だが博多ラーメンのお店は当時1軒しかなかった。渋谷の裏手にあった「ふくちゃん」というところ。これが、マズい。でもとんこつラーメンが食べられるのはそこだけだ。新宿に熊本ラーメン桂花はあった。まあとんこつに近いが、そして美味いが、あれを博多ラーメンの代用として受け入れるのはダメだ。それは熊本ラーメンにも失礼だ。仕方なくマズいふくちゃんに通った。そんな博多出身者は多かったろう。その後環七沿いになんでんかんでんがオープンし、バンド練習帰りにバイクを止めて食べてたら、あやしげなニイちゃんに「お、バンドやってるの。オレはシャンソン歌手なんだよ。今度オレの出てる店で演奏しないか」とスカウトされた。そのシャンソン歌手が後に有名になる川原ひろしだった。当初はユルい店だったのが、人気が出て行列の店となり、行列が嫌いな僕は行かなくなった。そんな時に、一風堂は恵比寿にオープンした。何度か行った。美味かった。でも何か違っていた。なんでんかんでんやその後下井草にオープンした御天のような強烈とんこつではない、あっさりとんこつ。それでも並ばずに食べられるとんこつラーメンはありがたかった。

 かなりしばらくして、西早稲田に一風堂がオープンした。オフィスの近くだったので何度か行った。ある日2時くらいに食べに行くと、店に客は3人くらいだっただろうか。テーブル席に座ろうとすると「お一人ですか?でしたらカウンター席でお願いします」と。アホか。ガラガラじゃないか。どこに座ろうとオレの勝手だ。それでもカウンターにと食い下がる店員。マニュアルか。アホらしい。絶対にカウンターはイヤだと主張し、注文して食べる。その頃メニューに赤丸と白丸というのが出始めた。要するに、博多ラーメンのケモノ臭い特徴についていけない東京人に媚びたメニューだ。アホらしい。そのマニュアル的接客と非博多人に媚びた姿勢に、もう一風堂には行くまいと決意したのだった。一風堂潰れろ。

 店主のこだわりを売りにすれば、チェーン展開は難しくなる。チェーンどころか、世代交替も難しくなる。店主も人間で、歳をとる。福岡の子供時代に家族で通っていたラーメン屋「東洋軒」、高校近くにあったラーメン屋「みち」、「しばらく」。このあたりも世代交替の壁にぶち当たった。「東洋軒」と「みち」は立ち退き後に場所を移して再開したものの、後継者がなくて廃業。「しばらく」は息子に代替わりしたものの、味は変わった。商店というのは永遠に続くものではなく、同時代に生きた人にのみ体験できる何かなのだろうと思うが、経営ということを考えれば、多店舗展開していった方がいいのだし、そのことで世代を超えた体験につながっていく。だから、一風堂も一蘭も、チェーン展開にある程度成功した博多ラーメン店として讃えられるべきものではある。30年近く前にふくちゃんしかなかった東京の惨憺たる時代を思えば、今や世界で一風堂を食べられるというのは福音である。だが、それでも、一蘭と一風堂は嫌いなのだ。両方とも潰れろ。

 現在京都に暮らす僕は、京都のラーメン店に満足している。魁力屋というのが家の近くにあり、息子もファン。一乗寺周辺には個性的なラーメン店がたくさんあり、極鶏という濃厚スープのお店もお気に入り。この激戦区一乗寺は、あのラーメン二郎が関西初進出の場所として選んだほど。あの天下一品の総本店も家から自転車で10分ほど。子育て家族なのでそうそうラーメン屋に行く機会もないのだが、行きたければお店選び放題だ。

 そんな僕が最も好きなラーメン屋は、元田中の来々飯店。ここのとんこつラーメンがめちゃ美味い。お店の人に聞くと、福岡には行ったことがないそうだ。博多人の僕が博多でも成功するだろうと確信するその美味いとんこつラーメンが、福岡に行ったことがない人の手で作られているとは。ただし、この来々飯店は昨年いっぱいで閉店してしまった。なんでも60年の歴史に幕をおろしたとか。残念でならない。世代交替ができなかったのだろうか。愛すべき個人店はいつもこんな風になる。悲しいけれども、だからといってビジネスセンスで一風堂のようになっていたならば、味はきっとこんな感じにはなってなかっただろうし、僕は暖簾をくぐることさえなかっただろうと思う。(写真は、かつての来々飯店のラーメンです)

女子フィギュア

 冬の五輪。もう終盤。宮原知子と坂本花織がそれぞれ自己最高得点を出して4位と6位という結果に。いい演技だった。申し分ない。ロシアの2人が図抜けていて、そこと較べても意味がないし、ましてやカナダの選手が転べばメダル獲得できるかもなどと願うのは下衆のやることだ。選手がみんなベストの演技をして、その中での4位ならむしろ誇るべきだし、喝采を送るべきだ。メダルがあれば喜びなければ消沈するというのは愚かなこと。そう、宮原も坂本もよくやった。よくやったのだ。

 しかし、なにか物足りない。冬期五輪に浅田真央がいない。それがなんとも物足りない。

 羽生結弦が2大会連続で金メダルを獲得した。それはものすごいことだ。怪我をして出場さえ危ういのではないかといわれた。平昌入りした時は「おお、生きてたんだ」くらいの驚きがあった。いやいやそりゃ生きてるよ。生きてるのはわかってるんだけれども、それでも久しぶりの姿が驚きだった。1時間に満たない練習風景が各ニュースで報じられた。順調そうだ。でも本番と練習は違うぞ。期待と不安の中追っかけのおばさま方が続々現地入りし、ショート当日。羽生の最初の4回転ジャンプが無事に着地した瞬間にものすごい歓声が湧き上がる。テレビを通じた客席の声は通常小さく抑えられているもので。だから、現地アリーナでその歓声は如何ばかりだっただろうかと思った。他人の不安など完全に払拭する見事な演技。その勢いの通りに、続くフリーでも圧巻の演技で金メダルに輝いた。
 おまけに宇野昌磨が銀メダルを獲得し、日本フィギュア史上最高の大会になったのは間違いない。

 それでも、やはり物足りないのだ。

 2006年のトリノ大会。荒川静香が金メダルに輝いた大会。それでも、そのシーズンの覇者は浅田真央だった。世界大会での圧倒的な優勝。浅田真央が五輪に出てれば金メダルは彼女のものだっただろう。勝負に確実などないし、年齢制限で出られないというのもルールなので、金メダルはやはり荒川静香のもの。それはそうだ。だが浅田真央が出ていたならばと、タラレバなど無いことはわかっていながらも、そのタラレバを考えたくなる、そんなトリノオリンピックだった。

 そのトリノ女子フィギュアが特に記憶に残っているのには訳がある。その日、夜明け前くらいに行われたフリーの中継を、僕は友人宅で眺めていた。僕と、友人と、アメリカからわざわざやってきたインド系の共通の友人。3人は夜が明けた午前中に行われる友人本人の結婚式に出る準備をしていたのだった。結婚する本人の新居で式に出る準備をしている。それはなかなかシュールでエキサイティングな状況だった。浅田真央のいない女子フィギュア。荒川静香がイナバウアーで金メダルを取るなんて全く想像していなかった。ただBGM代わりにつけていたテレビの中で思いもよらない金メダル。とてもシュールだった。何度も繰り返し画面に映されるイナバウアー。なんかすごいねと驚き、見入る。だがアメリカからやってきたインド系の友人は特に喜ぶこともなくて、そりゃそうだろう。そして僕らも喜んでいるわけではけっしてなくて。でもはっきりと覚えている。今でも解説などで荒川静香を見かけたら、あの早朝未明のあの部屋を思い出す。過去のどの五輪のどのシーンも、当時どこでそれを見てたのかなどまるで思い出せないのに、その部屋と荒川静香はセットになって焼き付いている。シュールなその状況で、本来なら浅田真央が取っていたメダルたよなあと思いながら見ていたこともセットになって。

 その後バンクーバー、ソチと2回の五輪で浅田真央は舞い、たった1個銀メダルを取っただけに終わった浅田真央。金2個の羽生結弦とは、いや金1個の荒川静香とさえも比べるまでもない。でも、バンクーバーとソチの主役は浅田真央だった。いや、トリノの主役も浅田真央だった。トリノの前から国民は浅田真央に魅了されていた。彼女のフィギュアに、トリプルアクセルに魅了され続けていたのだ。

 その浅田真央が、平昌にはいない。せめて解説者として出てくるかと思っていたが、そういう形でも見ることはなかった。日本のメダル数が新記録だといわれても、彼女の不在を埋めることなどできない。浅田真央に匹敵する存在が、この平昌には遂に現れなかった。それがどうしても乗り越えられない物足りなさの正体だった。

 トリノのあの日から12年。浅田真央は五輪から姿を消し、結婚式を挙げた友人はこの世を去り、僕は結婚し息子も生まれ京都に暮らしたりしている。すべて想像を超えている。たった12年だけど、いろいろなことがあったよ。

 次の12年はどんなことが起きるんだろうか。僕は生きていられるのだろうか。

「お前がぶつけられんど!」

 朝息子を乗せて自転車で出勤。正月休みに疲れた身には日常のこうした外出がたまらなく嬉しい。

 気分良く線路脇の細い道を走っていたとき、路地の向こうに歩行器にしがみついて歩くおじいさんと、その腕を支えるように横に立つ、奥さんと思われる女性。自転車はそういう人を避けなければなりません。直前ではスピードをかなり緩める。路地のほぼ中央にいる老人2人に近づく。当たり前の判断として、女性の側の余地を通ろうとする。

 そのとき、おじいさんが「お前がぶつけられんど!!」と怒鳴る。奥さんは「はい、はい」と苦虫を噛み潰したような、それでいて普段の表情を見せていた。

 もう介助無しでは歩いて外出することも難しいのだろう。そういうおじいさんが、奥さんのことを気遣う。いや、これは気遣うというよりも虐げるという言葉こそ相応しい怒号だった。

 おじいさんは、既存の序列価値観の中にどっぷりと使っているのだろう。年功序列、長幼の序、男尊女卑。その他諸々。奥さんはそれに疑問を持ちながらも従ってきた。そうでなければ歩行訓練の介助をしている奥さんを必要なく罵倒できるだろうか。そういった古い序列は個人個人の能力の有無など関係なく上位にあぐらをかくことを許した。それは上に立てる立場のものとしては楽だな。何もしなくても劣っていても上位に立てるのだから。そういう序列で上位に立つ場合、実際に能力の有る人ほど余裕あって下位の者に気遣いできるし優しく接することもできる。だが客観的に見て明らかに劣っている上位者の場合、理不尽な罵倒によってしか自己の立場を正当化できない状態に陥るのではないだろうか。自分が上位にいることが冷静に見れば理不尽なのだから。その人の住む世界そのものが理不尽なのだから。その狂気の中で正気を保つには自らを狂気に追い立てるしか方法は無い。その結果として理不尽な罵倒を繰り返すのも無理はない。

 でも、やはりそれはダメだよ。旧すぎる。奥さんはよくそんな罵倒を受けて歩行訓練中のおじいさんを寒空に放置して帰らないものだ。優しすぎる。いや、甘やかしが過ぎている。

 そう、この国をリードする立場に理不尽に就いている人たちがほとんどなのだから、この国が全体的に甘やかされすぎているのだろう。そんな国が進む先は、世界に向けて理不尽な罵倒を繰り返し、その結果弱体化した状態で寒空に放置されるという未来しか無いのではないだろうか。それとも、どこかの国が理不尽な国を甲斐甲斐しく支えてくれるとでもいうのだろうか。そんなことを想像できる人は、相当に狂気に浸っていると思うのだがな。