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生活

 先月長男が誕生し、僕の生活は一変した。
 生まれてしばらく里帰りしていた奥さんと長男だったが、先日京都に戻ってきた。戻ってきたというのは正確じゃないな。勝手に戻ってきたのではなくて僕が車で迎えにいったわけだから、正確には一緒に帰ってきただ。それにそもそも、長男は僕らのマンションに住んだことなど一度もないので、戻ってきたはおかしいな。やってきたが正しいのかもしれない。
 そんな言葉のことはともかく。
 長男との3人生活が始まって、僕は仕事のやり方を改めた。というか改めざるを得ない。今までは昼前くらいに仕事に行き、夜遅くに帰るという方式だった。朝は寝たいし、夜の方が仕事がはかどる。仕事を除いても元来夜型の人間なのだ。朝早くラッシュ時に出勤なんてありえないと、そう思っていた。でも、生後30日ちょっとの赤ちゃんはそんなことはおかまいなしに生きている。夜だろうと昼だろうとお腹が空けば泣く。おしっこをしたら泣く。目を離すとうっかりうつぶせになりやしないかと心配だし、だから奥さんと交代で赤ちゃんを見てるし、だから基本的に睡眠不足になる。
 朝早くに会社に行くようにしたのは、赤ちゃんをお風呂に入れるのをあまり遅くにしたくないということと、奥さんが料理をする時には僕もいて、赤ちゃんを見てることが役に立つことだとわかったからだ。だから6時には帰り着きたい。そうなると必然的に9時くらいには仕事を始めておかないとということになる。
 遅めに始業、遅めに帰宅というのは、独身時代から続いてきたことで、20年以上そういうパターンで生きてきた。それには理由があるとずっと思い込んでいたし、変えるなんて無理とも思い込んでいた。でも、そんなことはまったくなかった。赤ちゃんという強力な存在の前には、勝手な思い込みなどいとも簡単に吹き飛んでしまう。僕と同じで朝起きるのが苦手だった奥さんも、今は早くに起きるし、そもそも夜もあまり熟睡していない。2人揃って寝不足なのだが、それでもなんとかやっていける。
 僕はこれまで、そういう「思い込み」が吹き飛んだ経験が2回ある。ひとつは、京都に引越したことだ。26年東京に暮らし、生涯をそこで終えると思っていたが、引越すとなると意外にもあっさりと適応出来た。東京に居続けなければいけない理由を、自分の頭の中でずっと持ち続けていたけれど、そんなものは持つだけムダというものでしかなかった。
 もうひとつは、減量だ。もう7年ほど前になるが、骨折して入院手術をした際に医者から「痩せろ」と厳命された。当時の僕は91kg。身長187cmの僕にとってのベスト体重は76kgだと。そんなバカな。僕は比較的骨太で、だから一概に計算で出るようなベスト体重になんてどう頑張っても減らせるわけがない。そう思っていた。だが、きちんと取り組めば体重は落ちるのだ。約半年で18kg減量した。最初は一進一退だったが、後半になると毎週1kgずつ落ちていった。面白かったが、それ以上痩せるのもどうかと思い、そこでストップ。この時も、「骨太」だの「痩せるわけがない」だのというのは思い込みに過ぎなかったのだ。
 人は、いろいろなことを思い込んでいる。絶対にそうだと思っていても、それが絶対であるとは限らない。人がそれを思い込むのは、言い訳を探して辿り着いた、ある種の逃げなんだと思う。逃げてもいいことが世の中にはあるから、思い込むのが必ずしも悪いとは思わないけれど、何かを変える必要がある時、そこに立ちはだかって邪魔をするなんらかの思い込みがあったとしたら、それを否定するのもいいのかもしれない。そうすることで、今までの生活とは違った何かを得られるのだから。新たなものを得るということは、今ある何かを捨てるということでもある。持っているものを捨てるのは寂しいことだ。でもそれを捨てずにいたら、得られるかもしれない新しい何かを、今後の生活から捨てることにもなってしまうのである。それも寂しいじゃないか。
 僕に訪れた新たな生活は、寝不足そのものである。だが、寝不足と不可分で得られた喜びに満ちている。赤ちゃんは泣くよ。うるさいよ。おしっこもうんこもするよ。おむつを替えている最中にピーッとおしっこをかけられることもしばしばだ。うんこをしたらお尻を洗ってやらなければいけないし、ゆっくりテレビを見ている時間もなくなるよ。でも、それが楽しい。それを維持するために、僕は朝型に切り替えようとしている。朝早く起きるのは今も大変だけれど、その分、夕方以降の時間の過ごし方がとても有意義だ。
 そんなことを、最近思っている。

ソウルフード

 福岡出身の僕にとって、ソウルフードはなんといってもとんこつラーメンだ。今でこそとんこつラーメンと言うが、20年くらい前まではとんこつラーメンのことを「ラーメン」と言い、他のは札幌ラーメンや喜多方ラーメンなどといって区別していた。東京のラーメンは中華そばだと譲らなかった。そのくらい、博多のラーメンについてのこだわりは深くてウザイ。
 大学進学で東京に暮らすようになった頃、渋谷にふくちゃんという博多ラーメンの店があった。これが、福岡出身の僕にすればとにかく不味い、博多ラーメン風の食べ物に過ぎなかった。でも、そこ以外でとんこつラーメンを食うことが出来ない。仕方なく時々行って食べた。大学の友人たちがそれを美味い美味いと言う。それがなんとも悔しかった。本場のラーメンはこんなもんじゃないんだよと。
 その後、東京にも美味しいとんこつラーメンの店がいくつか出来た。そのうちの一軒を、高校の同級生の奥さんが「獣の臭いがする」と評した。ああ、博多のラーメン屋のにおいは獣の臭いだったんだとその時初めて知った。それが当たり前だと思っていた。むしろそのにおいが強烈であればあるほど僕らには美味いのだ。でも、東京の人にとって、博多ラーメンは獣の臭いだったのだ。それは地元の人以外には辛いよなあ。東京の多くの博多ラーメン屋が博多ラーメン風の別の味付けにするはずだ。そうじゃないと売れないもの。東京に出来た通好みのとんこつラーメン屋は、それを裏付けるように開店しては潰れていく。福岡出身者だけが通っても、営業は支えられないのだろう。
 
 僕は4年ちょっと前に結婚し、1年ちょっと前に東京から京都に移り、そして19日前に長男が誕生した。長男は京都生まれになる。三重県出身の奥さんも、博多ラーメンに特別の興味などない。長男も、別にとんこつラーメンにこだわったりはしないだろう。この家で、とんこつラーメンがソウルフードなのは僕だけだ。
 今、産後で奥さんは長男と一緒に三重の実家に里帰りしている。体力を回復するまで、約1ヶ月間ほど三重県で過ごす。その間、基本的に僕は京都で一人暮らしだ。今日の夜、僕は一乗寺と修学院の間にあるとんこつラーメン屋で食事をした。偶然だが、今日はその店の開店1周年ということで半額セールになっていた。半額セールを狙って行ったのではない。久しぶりにとんこつラーメンを食べたいと思って行っただけである。
 京都に来て、僕はほぼ毎日奥さんと一緒に晩ご飯を食べている。知り合いもいない京都に越して来て、頼れるのはお互い夫婦だけなのだ。僕が一人で外食をするということは、奥さんも一人でご飯を食べるということになる。それは寂しいじゃないか。仕事の関係で外で食べないといけない場合は仕方ないが、そうじゃなければ一緒に食べたい。となると、帰宅途中にあるラーメン屋にふらりと立ち寄るということはほとんど無くなる。開店1周年のとんこつラーメン屋のことは開店当時から知っていた。だが、家でご飯を食べたい僕にとって、その店は単に通過するだけの店でしかなかった。
 だから、今日はそこのラーメンを食べようと思った。龍の鈴という店だ。カウンターに6席しかない小さな店で、夫婦が2人で切り盛りしている。なぜこんな場所で博多ラーメンをやっているのだろう。そんなことを考えているうちにラーメンが来る。美味いぞこれ。うんうん美味い。やっぱり僕のソウルフードはとんこつラーメンだなあ。
 でも、ちょっと待てよ。本当にこれは美味いのか? 何度も味わって、麺も啜って、替え玉もした。美味いのだ。固麺の具合も程よく、僕はかなり満足した。だが、もしこれを大学生の僕が東京で食べていたらどう思ったのだろうか。多分、不満だっただろう。僕が心に思っている博多ラーメンとは、もっと違った食べ物だったはずだ。そう、これは美味しいけれども、僕の中の博多ラーメンとは何かが違う。僕のソウルフードとは言えない博多ラーメンなのだ。
 では、僕のソウルフードはどこに行けば食べられるのだろうか。福岡か? いや、実は福岡に行ってもすでに僕の心の博多ラーメンはどこにもない。子供の頃に通ったお店も、高校時代に足しげく通ったお店も、今はもうない。親父さん限りでたたんだ店がほとんどで、代替わりしたお店は味が変わってしまっている。福岡の街を席巻しているのは一風堂で、僕はあんなの認めない。でも、あれだけ店があるということは、今の福岡の若者たちは一風堂の味に親しんでいるのかもしれない。彼らのソウルフードが一風堂だとしてもなんの不思議もない。もう、僕の心の博多ラーメンは、心の中にしか存在しないのかもしれない。
 だとしたら、僕はこの京都で博多ラーメンを食べられるだけでも幸せなのかもしれないと思う。違うと思いながらも、27年前の渋谷ふくちゃんよりは遥かに美味い。きっとまた食べに行くだろう。半額セールでなくとも、定価で時々食べに行くよ。その価値はきっとある。
 龍の鈴を切り盛りしているご夫婦は、なんでここで博多ラーメン屋を営んでいるのだろうか。もしかしたら福岡出身の二人なのだろうか。縁もゆかりもない京都で、博多ラーメンを作っている夫婦だとしたら、なぜ京都だったんだろうか。いろいろと考えたら疑問は尽きない。彼らのソウルフードもとんこつラーメンだったのだろうか。それを再現しようと頑張っているのだろうか。
 僕が東京に出ていった27年前は、東京ではちゃんとしたとんこつラーメンが食べられなかったように、各地の名物は地元に行かなければ食べることが出来なかった。しかし今は何でも食べられる。東京には世界各国の料理が集結している。ここ京都でも世界中の料理を味わうことが出来る。博多ラーメンが好きな僕が、そこそこに満足出来るとんこつラーメンを食すことが出来る。嬉しいな。うん、嬉しいな。
 でも、ふと思うのだ。それは本当に幸せなことなんだろうかと。当時の福岡には、とんこつ以外のラーメン屋なんてなかった。ラーメンといえばとんこつだった。それは同時に福岡以外にこのとんこつはなく、だからこそ、僕は博多のとんこつラーメンをソウルフードに出来たのではないかと。今はどこにいようと大抵のものは食べることが出来る。そうなると、今生まれた人が、自分のソウルフードはこれだよというような、そんな経験の蓄積は出来ないのではないだろうか。
 そういう僕も、福岡から離れて暮らすようになって早27年。その間に東京であらゆるものを食べてきた。ナンで食べるインドカレーも当たり前のメニューになった。東京で食べる博多ラーメンに文句をつけているうちに、肝心の福岡のラーメン屋さんが様変わりをした。昨年京都にやってきて、京都風の食べ物をと思っても、毎日京料理を食べるわけもなく、意外とハイカラなカフェに満足し、スーパーで買う豆腐やお揚げがかなり美味しいと喜んでいる。27年前だったら満足しないだろうとんこつラーメンにもそれなりに満足している。とんこつラーメンは、僕の中での唯一の存在ではなく、たくさんある美味しいものの中のひとつというポジションになっているようだ。
 この先、僕の味覚はどうなっていくのだろうか。新たに美味しいものに出会うと、相対的に唯一無二のメニューのポジションは崩れていく。新陳代謝していくのかもしれない。記憶の中の味覚の新陳代謝だ。それでも引退した元横綱の面影を忘れることができないように、今でもあの頃のとんこつラーメンのことを「ああ、あのラーメンは美味しかったなあ。やっぱり僕はとんこつラーメンが好きなんだなあ」と思い出の中で繰り返すのだろう。再び味わうことが永遠に叶わないそのメニューのことを。それでも、僕はそんな味が若い頃に染み込んだということを、とても有難いことだと感謝するのである。自分の子供には、そんな経験が出来るのだろうか。むりやりそれを体験させるということではないと思うし、そんな経験をしなかったとしたら、その代わりになる何かを、僕の知らないところできっと経験するのだろう。
 あなたにとってのソウルフードはなんですか?

夏至

今日は夏至らしい。
日中が一番長いのか。
このところは比較的涼しいけどね。
それに、京都は朝から小雨で湿っている。
水無月という言葉は、水が無い月という意味ではないらしい。
「無」は「の」にあたる連体助詞「な」であって、
だから「水の月」という意味なのだと。
いやはや、日本語は難しい。
と言うわけで、水無月に雨が古都を濡らしている。
東京にいる時は街の和菓子屋などには目がいかなかったが、
京都ではそこかしこに和菓子屋があって、
どれもこれも老舗だとかなんとかで、必然的に和菓子情報に接することになる。
6月には、水無月というお菓子が出回ることになる。
6月30日にはその水無月というお菓子を食べるのが習慣だとか。
面白いね、古都の暮らしは。
水の月なのに、水無月という漢字になっている。
まだまだ夏本番な雰囲気ではないのに、夏至は構わずやってくる。
世の中は、不思議だ。
4年前に僕が結婚したことにたいそう驚いた人も多かろう。
早いタイミングで伝えたかった友が1ヶ月ほど海外に行ってて、
直接話してあげたかったけれどもそいつの帰りを待ってたら他に言えなくなるので、
メールで伝えたら、本当にたいそう驚いたらしく、
その真偽を確かめるために、別の共通の親友に国際電話して30分も話し込んだそうだ。
身近な友であればあるほど、たいそう驚いたとか。
そりゃそうだ。僕自身が驚いたのだから。
で、おととい長男が誕生したよ。
僕も驚いたし、奥さんも驚いた。
妊娠の日々を二人で過ごしてきたというのに、
やっぱり子供に対面したら、驚いたよ。
泣いているのに、抱っこしたら泣き止んですやすや寝てくれたし。
なんでだろうね。やっぱり驚きだ。
人生は驚きに満ちている。
今世情は苦しみに満ちている雰囲気が蔓延しているけれども、
たった20数年前はこの世の花を謳歌していたじゃないか。
あと20年後、世界はまた変わるだろう。
今何もわからずに、でも僕が親だとわかっているのか、抱っこされて眠っている子供が、
成人した時に、明るい世界になっていることを僕は願うよ。
それはまるで一年の間に夏至も冬至もあるようなことだと思う。
良いときも、悪いときもそりゃあるさ。
夏の暑さを苦にして、また冬の寒さも苦にするという生き方もある。
でも考え方で、苦は楽しくもなるんだと思う。
雨が降る季節は、苔が美しいお寺に行くといい。
そして水無月が美味しい季節を心待ちにするといい。
どんなときも、楽しいことはいっぱいあるんだ。
それを、京都の街に教えてもらったような気がしている。
我が子には、そんなことを教えていければ十分だと思っている。

腹痛

朝から腹痛で仕事をお休みした。
だからヒマである。
それで、こんなことを考えた。
腹痛盆に帰らず。
あまりの痛みに、帰省を断念するという意味。
まあそんな痛みではないし、
この時期に帰省する予定もないし、
そもそも、今はまだ盆じゃないし。
もう少ししたらお出かけするつもりです。

インセンティブ

 音楽とネットの関係というのはいろいろな問題があって、情報の伝達がミニマムなところから縦横無尽に可能になったということがまずプラスの面で大きい。ミュージシャンもリスナーも、これによるデメリットはきっとない。いや広く言えばあるにはあるのだが、受け得るメリットに較べると無いに等しい。一方で音楽を無料でゲットできるという状況が生まれたことは、メリットよりはデメリットの方が大きいと僕は思う。もちろん金を払う価値の無い有象無象の音楽だってあるし、そこに0円の値段を付けても何の問題もないじゃないかという意見もなるほどと思うが、だからといってステキな音楽も横並びで0円でいいという話にはならない。しかしテクノロジーは音楽もテキストもすべて情報として均質に扱い、内容の価値について評価せずにトラフィックさせる。だから、音楽的な価値がどのくらいなのかということは一切無視して、有象無象の音楽が0円で流通することが可能であれば、当然価値ある音楽も0円で流通するようになる。
 この状態で、能力あるミュージシャンが価値ある音楽を創る意味とは一体なんなんだろうか?
 先日、ベイスターズが「熱いぜチケット〜負けたら全額返金」という企画をやった。そのチケットの購入者は、試合後に納得しなかったら返金を要求できるというものだ。細かな数字は覚えていないが、かなりの人たちが返金を要求したという。ボロボロの負け試合ならともかく、3対1で快勝した試合で返金要求である。
 テレビで見るだけなら金はかからない。でも球場に行き、勝った試合を見せてもらったにもかかわらず、返金を要求する。何事だと呆れるが、おそらくそれは日本人の文化に対する平均的な価値観なのかもなと思った。
 ミュージシャンに戻る。都会であれば街角で歌っているストリートミュージシャンを見る機会も増えてきた。だが、彼らを取り巻いているのは固定のファンと思われる人たちで、それ以外の通行人はほとんど足を止めない。ストリートミュージシャンは歌って、次のライブの宣伝などをして、持参のCDを売ったりしている。そこに投げ銭を受け付ける箱のようなものはほとんどの場合で存在しない。
 なぜか?投げ銭などほとんど期待できないからである。
 「街で歌ってるヤツらなんかの歌にお金を払う価値なんてないよ」という声が聞こえてくるようだ。それは一面で当たっているが、一面では大きく間違っている。現状としてお金を払う価値がない人が価値の無い音楽を奏でているというのは、確かにそうだと思う。だから、その声は当たっているのだ。しかし、なぜ価値の無い人が価値の無い音楽を街角で奏でているのかというそもそもの原因に想いを寄せると、声は間違っているという結果になる。つまり、価値ある歌を街角で聴きたければ、価値あるものを正当に評価するという土壌を育成することが不可欠なのだ。良い音楽だったらお金を払う。投げ銭を入れる。それも財布に残った1円ではなく、音楽の価値によっては千円札を入れる。そんな状況が当たり前になったら、ミュージシャンはそれを期待して、街を歩く人が心地良くなるような音楽を演奏するようになるだろう。そこに競争が生まれれば、より通行人にとって価値のある音楽が街を包むようになるだろう。そうすると「街で歌ってるヤツらなんかの歌には、お金を払う価値があるよ」ということになってくる。つまり、ニワトリが先かタマゴが先かという問題と似ていて、鶏も飼わないのにタマゴを期待するのは間違いであって、タマゴが欲しけりゃ鶏を買ってエサを与えることがどうしても必要になるのだ。だが、今のストリートミュージシャン界隈に於いては、エサも与えない鶏がタマゴを産まないことに対して腹を立てるような状況になっていると言えるのだ。
 「だって街で歌ってるヤツの歌はタダだろう? 入場料が要る会場ならともかく、勝手に歌ってるやつにお金を払うなんてアホだろ」という声が今度は聞こえてくるぞ。いやいや、海外に行ってみると判るが、NYでもパリでも、街角で音楽を奏でているミュージシャンは沢山いて、彼らの前には投げ銭箱が置かれていて、普通の人たちが次々にお金を入れていく。ダメな音楽に対しては恐ろしく冷酷だが、良い音楽にはお札が次々と入っていく。これは何なんだろうと、最初見た時はある意味カルチャーショックだった。しかし、今になって思うとそれが良い循環だったのだ。ストリートミュージシャンが奏でる音はとても心地良かった。旅先での音だったからということもあるだろう。しかし冷静に考えても、普通に聴いていて心地良かったのだ。そしてミュージシャンは1曲演奏が終わる度に少しばかり話をして、お金を入れてくれという訴えをする。それに対して人々が次々に応えてお金を投じる。
 思うに、海外にはチップの習慣がある。サービスに対して満足したらお金を払う。サービスはけっしてタダじゃないんだということが身に付いているのだろう。日本人が旅行すると、レストランではチップを払うものだと思い込んでいて、料理代の15%という数字だけで金額を決めるが、別にサービスの質を判断してるのではなくガイドブックのルールに従っているだけである。しかし本当は素晴らしいサービスのウェイターには20%払っても良いのだし、ダメサービスだったら払わなくたっていい。だからウェイターやウェイトレスはお客さんのために頑張ってサービスしてくれるのだ。彼らの収入、基本給は比較的低い。しかしチップをもらえるから、最終的には高収入につながる。料理人以上に人気の職業なのだ。仮にお店自体が流行ってなければ、当然チップも増えない。だからどうやって集客しようかというところにも心を砕く。ストリートミュージシャンもそう。通行人が足を止めなければお金も入れてもらえないし、止めてもらえても演奏に感動してもらえなければお金は入れてもらえない。だから、お客さんのためにどうすれば良いのかを考えて練習もするし構成も考える。それで生活できる収入を得ている人も少なくないだろう。だとしたら、彼らはプロのミュージシャンといってもいいのかもしれない。
 一方日本はどうだ。レストランのウェイターをやってもチップはもらえない。当然時給で働くことになる。サービスの質を良くしなくても、お店が流行ってなくても、決められた時間だけ行って働けばお金になる。だからプロだ。でも本当にプロか? プロの仕事をしていると言えるのか? もちろん誇りを持って全力でやっている人がほとんどだろう。しかし仕組みとしてはプロを生み出す形にはなっていない。お客もサービスの質を見抜く目が養えない。
 そういう社会的な違いがある中で、ストリートミュージシャンは今日も街角で歌っている。しかし、通行人が投げ銭を入れるという習慣がないから、ミュージシャンも通行人を喜ばせようという思いが少なく、自分の音楽活動の宣伝的な歌を歌うことになる。ある意味の押しつけだ。押しつけだから通行人も通り過ぎる。悪循環に陥っている。
 さて、やっと本題に入るぞ。
 ネットの普及がミュージシャンの収益体制を覆しつつある。音楽はCDで買うものという常識から、音楽はタダで手に入れるものという常識に移りつつあるように思う。それを喜ぶ人も多いだろう。だが、それは結局ミュージシャンを苦しめ、音楽から撤退させる。撤退しなくとも音楽だけに才能や時間を使うことが難しくなり、結果としてその人の才能の半分以上を生活費稼ぎの別の仕事に浪費させることになる。それでリスナーはいいのだろうか。結果として才能をしゃぶり尽くすことが出来なくなる。個々には恵まれた環境で音楽に専念できる人も出てくるだろう。しかし全体として音楽に対して支払われる金額が減れば、ミュージシャンは総じて貧しくなる。それでどうして音楽に人生を捧げようという気になるというのか。
 スポーツなら海外に行ける。言葉が要らないから、速い球を投げたり、遠くに打ったり、上手く蹴られる人なら世界で活躍できる。日本よりも稼げるなら行けばいい。だが日本語をベースにした文化としての音楽をやっている人は、そう簡単には出ていけない。日本のリスナーがすべてである。
 韓国では日本以上にデジタル化が進み、CDショップは数年前に日本よりも早く街から消えたという。そして違法ダウンロードがまかり通っているという。物価や所得、人口も日本とは比較できない韓国で、ミュージシャンはどうしたかというと、韓流と称して日本にやってきた。元々は韓国語で歌われていた歌に日本語の歌詞をあて、歌って踊って大人気だ。彼らは韓国で稼ぐことに見切りを付け、日本市場で稼ごうとしたのだろう。当然だ。そして日本で稼いで力をつけた彼らの一部はアメリカにも進出しようとしている。そこで成功するのかどうかは別として、アグレッシブだなと正直思う。だが、韓国のリスナーたちはどういう思いだろうか。いいなと思ったアーチストはすぐに韓国を離れ、別の言語で歌うようになる。それが韓国の人たちにとって嬉しいことなのだろうか。僕にはそうは思えない。もしも日本のアーチストたちが日本での活動に見切りをつけて欧米に活動の場を移したらどうだろうか。ダルビッシュがメジャーリーグで投げているのを見て喜ぶように、アメリカで活動するアーチストを日本の誇りとでも呼ぶのだろうか。だが考えてもみてくれ。それは彼らが日本のマーケットに見切りをつけた結果なのである。つまり、我々の音楽に対する評価のあり方が、彼らをそのように追い込むということなのだ。
 それは音楽だけに限ったことではないだろうが、人はお金のある方に流れる。食えないより食えた方がいい。安定的に食えることが保証された方が、創作活動には専念できるし、その結果いい創作が生み出される可能性も高まる。結果的にすぐれた創作物を楽しめるリスナーの得になる。
 もちろん個別にどうあるべきかということと、全体にどうあるべきなのかということは別の問題だ。あるアーチストについて気に入らなければ、そんなアーチストにお金を支払う必要などはない。それは、サービスの悪いウェイターになどチップを払う必要がないのと同じである。しかし、いい音楽を生み出しているアーチストには積極的にお金を払うことを常識として持ち、何らかの形で受けた感動を制作者に還元していこうとすれば、僕らはもっともっと豊かな音楽を享受し、楽しい音楽ライフを送れるようになるんじゃないかと思う。例えば、毎年3枚はCDを買おうとか、街で歌ってるシンガーがいたら100円でいいから投げ銭するとか、ときどきぶらりとライブハウスにいってみるとか、なんでもいい。その対象がどんなアーチストでも構わない。1億人が何らかの形で、昨年よりも2000円多めに音楽に払うようになったとしたら、確実に音楽関係者は少しずつ潤うようになるし、そんな巨大マーケットのためになる音楽をどんどん生み出していくようになると思うのだ。そうなれば、K-POPに席巻されるような事態にはならないんじゃないかと、そんな風に思う。チャートを嵐とAKBと韓流が占めている現実を嘆く人も多いが、それは、嘆いている自称音楽ファンたちは、それだけ音楽にお金を使っていないということに他ならない。お金も払わずに嘆いてんじゃないよと、僕は言いたい。ミュージシャンにも金銭的なインセンティブは必要なのだ。彼らに「武士は食わねど高楊枝」を強要している場合ではないのだ。
 少なくとも、ネットからいかに無料で音楽をゲットするのかに血道をあげているようでは、結局は無料で価値の無い音楽のような雑音しかゲットできなくなるということを、多くの人は理解しなければいけないと思う。もちろん、音楽そのものに感動もしないし価値も無いと断言する人にまでお金を出せと強要するつもりなどはさらさらない。そういう人は、きっとネットから無料で音楽をゲットするようなこともないのだろうから。

祭り

 雨のため1日順延になった葵祭が、本日京都で開催された。
 京都の三大祭りのひとつに数えられていながら、GWからもずれるうえに、曜日に関係なく15日開催が基本なので、東京に住んでいた頃には生涯見ることのない祭りなんじゃないだろうかと、強い憧れをもっていた、それが葵祭だ。しかし昨年京都に移住して以来、葵祭は身近なものになる。昨年は偶然日曜日に重なったが、今日は普通の水曜日で、あろうことか会社から徒歩2分の道を通る。昼飯前に近くを散歩するくらいの感覚で見に行ける。ああ、人生は不思議なものだなとつくづく思う。
 まあお祭り自体は大いなる平安絵巻的仮装行列ということであって、雅の風流を除けば少しばかり退屈でもある。しかし退屈なんて言ったらバチが当たるな。一昨年までは生涯見ることのないものとして憧憬の対象だったのだから。まあ本当に退屈だと思っていたら、今日だって見に行きやしない。僕はおそらく来年も再来年も見に行くだろう。丸太町通りで見るのではなく、下鴨神社糺の森で見たり、上賀茂神社まで遠征したりもするだろう。今日も少しばかり京都御所の中まで入って見たら、昨年の丸太町で見た行列とはまた違った趣だった。場所で印象が変わるのも面白い。来年からもきっと面白いはずだ。
 で、行列の中心には斎王代という、十二単を纏ったお姫様がいるのだが、毎年京都の女性が選ばれて斎王代の役目を果たす。今年は会社員の女性が選ばれたということだったが、老舗和装小売店の社長の娘ということで、まあお嬢だ。いや、それがうらやましいということではない。100%まったくうらやましくないかといえば難しいところだが、妬むような気持ちなどはまったくないし、お姫様役はお嬢様育ちの女性がやはり似合うだろうと思う。で、斎王代はそれとして、その他にも沢山の人たちが平安装束に身を包んで行列は行なわれる。馬に乗る女性も、歩くだけの女性も、馬を引く男性も馬に乗る男性も、荷物を運ぶ男性も、老若男女問わず沢山の人たちがその行列に参加しているのだ。あれは、一体どういう人たちなんだろうと、素朴に思った。
 僕は昨年から京都に引越してきて、1年経ったもののまだまだ他所者だと思う。自分でもそう思う。だが、東京にいた時にどうだったのだろう。早稲田通りにカフェを構えて、ずっと営業してきた間も、地元の青年会的なところからお誘いを受けたことがなかった。いつも行っている定食屋のオッサンがその会長だということは知っていた。僕は学生時代からその店の常連だったし、道ですれ違えば挨拶もする。だが、お神輿の時も火の用心の夜回りの時も、僕に声など一切かからない。いや、神輿も担ぎたくないし、夜回りもしたくない。だって面倒だもの。でも、「参加するかい」と声がかかって、そこで「やりません」と断るのならともかく、一度も声がかからないとはどういうことなんだろうってずっと思っていた。怪しい店だったから声もかけにくいということだったのだろうか。でも、おそらくその青年会が地元の小学校から一緒の人間関係をベースに成立しているんだろうなと、僕は思っている。それならなかなか他所者は受け入れられないだろうなと。26年東京に暮らし、その地に店を構えて8年間、店閉店後もオフィスとして利用していたから11年間は通りの路面のテナントでやっていたのに、それでもやはりその通りでは他所者だったんだろうなと思う。それが良いとか悪いとかではなくて、現実としてそうだったと。
 僕の兄は父の眼鏡屋を継ぎ、今も生まれ故郷で頑張っている。そのためか、周囲は知人だらけで、山笠にももう20年程参加しているし、ちょっと前は小学校のPTA会長もやった。地元の名士というには年齢も商売もまだまだかもしれないが、少なくとも他所者ではない。兄が他所者だとしたら、地元の人なんていないだろうというくらいだ。
 東京にいる頃は町内の他所者であっても友人はたくさんいた。だが、京都に移ってきてからは基本的に夫婦だけだ。お店をやるでもないので、地域に知り合いなどほとんど増えない。そのことを悲しんでいるわけではない。だが、祭りに参加している人たちを観光客と一緒に眺めていて、僕の立ち位置は何なんだろうと考えてみたのだ。
 考えてみれば東京での生活が僕の人生の中でもっとも長い。なのに、京都に移った途端にそこは自分のルーツなどはまったくなかったということに気がつく。遠くの、栄えている街でしかない。今ももし帰る場所があるとすれば、それは東京ではなくて福岡なんだろうと今は思う。ただ、福岡に帰ることはまずないので、だから、今いる京都をそういう場所にしていくべきなのだろう。でも東京で26年かけてそれが出来なかったわけで、京都でそんなことが出来るのだろうか。はなはだ心許ない。
 しかし、もう来月にも生まれる我が子にとっては、この京都が生まれ故郷になるのだ。ここで育ち、ここで友を作る。彼のルーツはここになる。だとしたら、子育てをする中で、僕も否応無しにこの場所に組み込まれていくんじゃないだろうかという気もしている。子はかすがいだとよく言ったもので、それは通常は夫婦の絆を強くするという意味に使われるのだが、僕は今、子供が僕ら夫婦をこの京都という場所につなぎ止めてくれるかすがいになるような気がしている。そうなったらいいとか、よくないとかそういう僕の意思とは無関係に、僕はこの街に根を下ろしていくのかもしれない。
 そしてこの街のお祭りにも参加するような、そんな未来もあるのかもしれない。まあ僕が今から斎王代になるのは100%不可能ではあるが、祇園祭の鉾の引き手くらいにはなる可能性もゼロではないかもしれない。

小沢氏と政治

 今日、陸山会事件の裁判に無罪判決が出た。なにはともあれ良かったと思う。これで有罪が出ていたら、日本の司法は完全に信用を失っていただろう。
 これから、小沢氏がどのような政治行動に出るのか。そしてそれを阻止したいと考えている人たちがどのような行動に出るのか。見ものだと思う。目の前にある課題としては消費税増税論議だろう。この攻防は一体どうなるのだろうか。
 で、今日そういう感じのことをツイッターでつぶやいたら、いくつか質問を受けた。140字以内ではなかなか答えられないので、僕なりの思いをここで書いてみたいと思う。あくまで素人の考えなので、ツッコミどころは満載だろうし、そもそも政治の動きというのは机上の空論ではないので、そう論理的になどいかないのも事実だとは思っている。
 現状で消費税を増税しようとしていることは、僕には理解出来ない。日本に金が足りないから増税は必要なのだろう。しかし、普通は出るを制して入るを計るのが当然だ。しかし増税を言い出した菅野田政権下での出るを制するにあたる動きがほとんど見られない。さらには国家ビジョンについて語られたことが無い。これで増税だけやると言われても、どう納得しろというのか。
 小沢一郎は、国民の生活が第一を掲げて衆院選で勝った。だからその時の国民との約束に基づいて、今の増税論議には反対の立場を示している。そのことをつぶやいたら、「小沢氏が増税論議をぶち上げたときも景気は悪かった」という指摘をされた。もちろんそうだ。あれは1993年の出来事で、1991年あたりからバブル崩壊は始まり、景気が落ちていっている真っ最中だったと言ってもいい。そこで国民福祉税を創設するという感覚と、今の不況下で消費税を上げるという感覚のどこに違いがあるのか。そこを問われたのだと思う。いい指摘だ。
 それに対する僕の考えはこうだ。まず、国の在り様というものは国民が決める。良かろうと悪かろうと、決めた国民が責任を負う。仕方ないよ、選択を誤ったら不幸になる。それは仕方ないことだ。だから僕らはもっともっと賢くなる必要があるし、賢くなれなければ、愚民として没落するのだ。歴史は常にそれの繰り返しであって、永続する国家などはないと思う。
 しかし、もし国民が決められないとしたらどうだろう。国民の選択ではない、誰かの賢い人の選択によって、成功すればいいよ。しかし失敗して国が落ちぶれた時、その時に襲ってくる不幸は誰のせいなのだ。国民の選択によって訪れる不幸と、国民以外の選択によって訪れる不幸は雲泥の差だろう。そんなものを甘んじて受けなければいけない理由など、一応建前として民主主義国家である日本には存在しないと僕は考える。
 1993年の国民福祉税構想が発表されたときの政治の流れをおさらいしたい。小沢羽田グループが自民党を飛び出し、選挙が行なわれて、日本新党やさきがけ、社会党などなどと共に連立与党が成立した。そこでやったのが小選挙区制だ。当時の中選挙区制では、ひとつの選挙区に4〜5人の当選者が出る仕組みだった。自分の選挙区で「あいつの言っていることはおかしい。交代させるべき」と思っても、5人区で5位に入れば当選なのだ。自民党が長年与党で地盤を固めている中では、政権の交替は実質上不可能に近かった。だから、小選挙区制にして、トップ当選をしなければ落選するという仕組みに変えることによって、国民の選択を鮮明にするというのが、小選挙区制を導入すべき大きな理由であった。問題は当時の与党がみな過半数など持っていない政党だったため、完全小選挙区になれば自らの党の存亡にも関わるということで、結局比例並立を導入したため、同じ選挙区から2人当選する事態が多数起こって、国民の選択も曖昧になったものの、中選挙区制に較べれば進歩である。政治が国民を裏切れば落選させるということが可能になってきた。この政治改革が、まずあったのだということを、覚えておかなければならない。
 自民党時代に消費税は2度導入された。その後の選挙で自民党は大敗である。しかし、大敗とはいえ与党の座から落ちることはなかった。大敗しても政権は守られる。これが中選挙区だ。一方小選挙区では、比例並立のため曖昧だとはいえ、政権交替の可能性は大きく膨らんだ。だから、衆院選ごとに政権が交替することがあり得るし、だから国民が何かを選択することができ、そのことを政治も重く見る必要が出てきているんだと思う。つまり、増税をするというのは次の選挙で負ける可能性があるということだ。その可能性を作ったのは、小沢一郎たちだといっていいだろう。国民が選択出来るような政治改革を訴えて当選し、選挙の時の約束を果たして、小選挙区制度導入を実現して政権交代の可能性を作った上で、国民福祉税を問うたのである。約束をして、約束に沿った改革がまずあって、その後に増税を持ち出した。その流れが大切なのだと僕は思う。
 一方野田内閣はどうなのだ。国民との約束は、消費税は上げないというものだった。自民党政権時に歪んだ政治改革をするというものだった。それに期待して、民主党は勝って政権を取った。しかし約束をほとんど反古にして、何の改革もせずに、選挙の時のリーダーを脇に追いやって、予算を膨らませ、そして増税に政治生命をかけると言っている。せっかく国民が政治を、そしてこの国の未来を選択出来るシステムが出来たにも関わらず、そしてそのシステムの中で意思表示をしたにも関わらず、その意思表示そのものを無視して突き進もうとする。その政治選択に国民は関与しているのか?関与もしていない国の方針によって、仮に不幸が訪れたとしたら、その責任は国民が負う必要があるのか?野田内閣の責任者たちが私財を担保にその政策を推し進める覚悟でもあるのか?その点が問われるべきなんだと、僕は思う。
 だが、その答えはすでに出ている。原発事故の後処理を見れば、国の政策が失敗をした時に誰が被害を受けるのか。健康にただちに被害はありませんと言い続けた内閣だ。そして被害者が多数いて困窮しているにも関わらず、原発を再稼働させようと必死になっている。衆院選挙で約束したことを反古にし、参院選で大敗してねじれになった元凶とも言える政策を推進に躍起になっている。国民の意思などまったく無視の政権なのだ。ここになんの未来を委ねられようか。
 長くなった。まあいつも僕のブログは長過ぎるのだが。要するに、選挙では「この国をどう変えて良くするのだ」というプランを説き、支持をもらって政策実行の基盤を与えられた政治家や政党が約束を実行する。これが民主主義の基本だと僕は思う。もちろん政治は1イシューではない。だから、当然そのときどきの状況に応じながら、問うていない問題についても決断をする必要があるだろう。それも、選挙時の約束を実行しての話だ。小泉政権が人気を維持したもの、郵政改革については結局断行したからだ。その政策が良いか悪いかは後世の人にしか判断出来ないだろう。だが、少なくとも選挙で「これをやるべし」という国民の意思が示されたのであれば、それをやるのは政治家の第一歩だろう。それが出来ていない状態で、新しい決断などをする資格などはない。政治生命をかけるとまで言う政策だ。しかもそれは自分が当選した選挙では真逆のことを言っていたのだ。だったら、解散総選挙をする以外に実行する資格などなかろう。

すみれ

 僕はインディーズレーベルのプロデューサーだが、ここで自社アーチストのことを書くのは結構稀だ。
 一般的にはアーチストのことを褒めて、ガンガン宣伝すればいいのだろう。僕もそう思う。だが、それはちょっと躊躇するというのが偽らざる気持ちだ。そのことについて、今日はちょっと話してみたい。
 まず、インディーズレーベルの仕事とは何かということである。昔はメジャーレーベルしかなかった。だからそこからレコードを出せるアーチストもごくごく限られた。もっともその当時にアーチストという呼び方が正しいのかはさておきだ。限られたレコード歌手たちは、それなりのセレクションにかけられて、最初からかなりのクオリティを持った人たちだった。そういう人のレコードしか世の中には存在せず、だからリスナーもそれなりのクオリティを担保された商品を買うことができた。
 だが、それで本当に間違いがないのかという疑問もある。出ていく人がそれなりの力を持っていることはかなりの確率で正しくとも、逆に出せずにいる人には力がないのかということがあって、一概にそれを肯定など出来ないのが当時の現状だった。1980年代後半、少しではあるがインディーズレーベルというものが出てきた。流通の手段は西新宿とライブハウスだ。全国の普通の人たちは、そんなものを買うことはおろか、知ることさえ難しかった。しかしそういう中でナゴムやキャプテンといったレーベルがヒットを出し始めた。RCサクセションが原発問題に絡んでカバーズを発売中止になった時期だ。徐々にアンダーグラウンドな活動に注目が集まり始める。で、バンドブーム。REBECCAにBOOWYに、ハウンドドッグが武道館15日間連続なんてことも実現した。そういう大きな舞台でのバンドの盛上がりと同時に、ホコ天も盛上がった。ジュンスカやPOGO、KUSUKUSUなどが全国的な人気を博した。そしてやってきたイカ天ブーム。TBSの番組からはたまにマルコシアスバンプ、ブランキーにFLYING KIDS。彼らはそれまで見向きもしなかったメジャーレーベルに青田買いされていった。華々しいデビュー。しかしそれはバブルのようなもので、熱気が冷めるのも早かった。デビューしたイカ天バンドは次々にクビを切られ、活動の場を失っていく。
 僕がビクターを辞め、キラキラレコードを立ち上げたのはそういう時期だ。僕はビクターに入って陽の当たらない実力バンドを世に紹介したいと思っていた。しかし簡単にディレクターになれるほど甘くはなく、エリアでのショップ営業や、地道な宣伝活動を積み重ねる日々。一方でディレクターたちがイカ天バンドたちの個性を引き出せずに潰していっているのを横目で見ていた。もうこういうことを続けててはいけないと、思った。
 アーチストと一言にいうが、それは必ずしも一様な存在ではない。100組アーチストがいれば、市場的価値も音楽的価値も、本人の姿勢もすべて違う。音楽だけで豪勢な暮らしをするものも、バイトで食いつなぎながら僅かな収入をスタジオ代につぎ込むものもいる。それは悪いことではない。それぞれがそれぞれの実力や現状に応じて、個々のレベルアップに努力している。メジャーで活動出来る人は良いが、それだけではなくて、むしろ氷山の一角の下には、頭角を現せない多くの無名ミュージシャンがいる。プロ野球選手の下には社会人や高校野球、リトルリーグがあるように。J1の下にはJ2やJ3があるように。トップアーチストの下には無名の有象無象が存在しているのだ。
 では、そういう無名アーチストをどうやって次のステージにステップアップさせるのか。スポーツなら、実力は明瞭だ。しかし音楽に明確な基準はない。方法は2つだ。権威的な、例えばメジャーのプロデューサーが選別するというもの。かつてのメジャーデビューというのはほぼそれだ。しかしそれだけでは公平ではない。一部の人たちの好みや恣意によってアーチストの将来が決まる。もちろんそれはある程度の指針を出し得るだろうが、そこから漏れるものが必ず出てくる。
 だから、一般のリスナーからの支持を集めることで、対外的な評価とするという方法論が生まれてくるのだ。メジャーからは声かからなくても、多くのファンが支持をして、ライブも満員、CDも売れる。であれば、メジャーである必要などはまったくない。インディーズでもやっていける。そしてインディーズで結果を出せば、メジャーからも声がかかる。この方がよほど健全である。そのためには、メジャーでは出せないアーチストの音源をリリースするインディーズレーベルが必要になる。それが、キラキラレコードをスタートさせ、ビクターを辞めてまで取り組もうとした意味である。
 話が長くなった。これはまだ前段だ。しかも、まだ続く。
 キラキラレコードを運営してきて、僕は本当に様々なアーチストに出会った。そしてCDを出し続けてきた。彼らのほとんどは、将来の保証も無く、だから常に自分の活動に対する絶対的な自信を持ち得ない。売れなかったらいつ止めればいいのか。積極的にそうは思っていなくても、心のどこかで必ず持っている、自分の潮時を。スポーツなら、高校の野球部でものすごい選手に出会ったら、自分の限界を知ることが出来る。それはハッキリしていて、時に残酷ではあるが、明快であるから優しいともいえる。音楽の場合は、芸術性と商業的価値は必ずしも一致しない。自分よりカッコ悪いあいつがあんなに人気あって、オレはカッコいいのに人気がないというケースは非常に多い。少なくともやってる本人の心の中ではそうだ。そう思えないと続けてなどいけない。だが、そう思ってしまうからこそ、やめるタイミングを見誤る。だからずるずるとやり続けて、少しファンが出来たらそこにしがみついて、ある日、止め時を見失っている自分に気付く。
 それでも、彼らには頑張る権利はあるのだ。自分の頑張りで、自分が創っている音楽が素晴らしいのだと、世の中に認めさせ、自分自身が納得したい。そのためにずっとやり続ける権利は誰にでもある。周囲のほぼ全員が見向きもしなかったり、罵声を浴びせたとしても、自分自身が唯一人自分を信じる権利はある。そして、評価の基準はひとつではないのだ。
 僕はそういう彼らと接する時、その信念が強いものが最後に勝つと言っている。自分の評価基準で自分自身を認められるのであれば、自分自身のために努力をすることも厭わないだろうし、それで成長するだろうし、CDやチケットの売上げが、経済的にも実績的にも必要なのだと理解すれば、売ることにだって必死になれるだろう。なぜなら、自分の音楽には価値があるのだ。価値あるものを売り込むのになんの躊躇があろうか。躊躇するとすれば、それは自分の音楽に自分自身で価値を見いだせず、クズを正規の料金で売ろうとしているという負い目があるからだ。
 とはいえ、人はそんなに強くない。長く音楽を続けていて、友人たちが家庭を持ったり普通の幸せをつかんでいるのを見て、自分はこれで良いのかと悩む。周囲からいつまでやっているんだと言われれば悩む。
 でも、リスナーに取ってはそんな事情はまったく関係ない。メジャーの100万枚アーチストも、インディーズのペーペーもCDはCDだ。ほとんど同じ料金を取る以上それなりの期待をして当然だ。そして期待とは、そのアーチストが一発屋で終わらないということも含んでいる。音楽を評価するというのは、ただ単に自分だけが評価していれば良いというものではない。自分が評価しても他人が一切評価しないということになると、自分の判断は間違っているんじゃないかという気持ちになる。そう思わないで自分の評価を信じられる人というのは、強い人だ。だが大半は、自分がいいと思ったものが本当にいいかどうかについて、それを他人も評価しているということで確認する。売れていない頃から応援していたアーチストが売れたら嬉しい。売れたら多くの人たちのスターになるわけで、自分からの距離は遠くなる。それなのに嬉しくなるのは、自分の評価が間違っていなかったことを確認出来るからだ。
 僕は、そういう確認を、CDを買ってくれた人にも味わってもらいたいと思っている。レーベルだからアーチストも大事だが、なんといってもリスナーが大事だ。そのリスナーを裏切るようなことは出来るだけしたくない。だから、リリースするCDをすべて「すごいぞ」といってこのブログで書いたりはしないのだ。
 では、ブログで書かないアーチストのことを評価していないのか。それは、違う。どのアーチストも僕にとっては大切で、かけがえの無い存在だ。しかし、それはべた褒めする対象とイコールではない。音楽市場での趣味指向性の多様化というものもある。だが、同時にこのアーチスト現状でどのような状況にあるのかということが、僕にとっては大きいのである。
 高校野球の監督さんみたいな感覚なんじゃないかなという気もしている。ベンチ入り出来るのが15人と決まっていて、部員は100名いたら、全員を等しく扱うことは不可能である。3年間一度も試合に出られない選手もたくさんいるだろう。だからといって、もう入部するなよお前、ムダだぞと言うのは間違いだ。現状で力のない球児も、努力する権利はあるのだ。毎日走って、毎日素振りして、そして練習試合で結果を出せばとみんな思っている。思わないなら辞めればいい。だが、続ける意思があるなら、努力する権利は誰にだってある。レーベルも同じだ。それぞれがどういう位置なのか。全員に頑張ってほしい。頑張った結果、CDが1枚でも多く売れ、ライブの動員が1人でも多くなり、その結果大きな会場で演奏出来るようになってほしい。
 つまり、それぞれがそれぞれの状況の中で頑張っているのだ。もしもプロのスカウトがやってきて、次のドラフトに賭けるべき選手は誰なんだと言われれば、そこで名前を挙げられる選手は限られる。でも、そこで名前の挙がらない選手だって、頑張っているなら、それを応援するのが監督であり、レーベルなんじゃないかと思っている。監督は甲子園のベンチに全員を入れることは出来ない。だがレーベルは全員にCDをリリースさせることが出来る。そこは大きな違いだと思っている。リリースしなければ始まらないが、リリースすれば始まるのだ。頑張ることが出来るのだ。そのことが大きいし、大切だと僕は思っている。だが、その理屈をリスナーに押し付けるのはやはり間違いだと思っている。リスナーにはリスナーの立場があり、もしもその無名のバンドのCDを買わなければ、もっと安定的に活動が続いていくメジャーのバンドのCDを買うことが出来る。そことの比較をするのだ。その上でなお、普通のリスナーに勧めるというのは、とても高いハードルだと思う。だから、このブログではなかなかアーチストのことについて触れたりしない。なかなか触れられないのだ。

 で、いよいよ本題。今日のブログのタイトルは「すみれ」だ。これは今月リリースする新人バンドstunning under dogのミニアルバムのタイトルでもある。彼らは京都で活動している4人組で、これが正式なアルバムとしては1枚目になる。リリースする現在は意気込みも高く、だからやる気満々だが、それが今後どのくらい続くかはまったくわからない。それは彼らがどうだというのではなくて、一般的な話。バンドマンはリリース時にはとても意欲的で活動的なのだが、周囲の知人にCDを売って一通り行き渡ったら、売上げのペースががくんと落ちて、その結果やる気を失う、というか普通に戻ることがほとんどなのである。そこでさらに踏ん張ると、これまで自分たちのことを知らなかった人たちへ伝えていくプロセスが始まるのだが、なかなかそのプロセスに突き進んでいかない。進んでいかないと状況はまったく変わらないのであって、だから売れる波に乗っていけない。そうすると今後の活動がどかんと盛上がる可能性も低く、リスナーに「応援してて良かった。自分の感覚は間違っていなかった」という思いを味わってもらえない可能性が高い。となると、なかなか僕も推薦しにくいということになる。新人バンドのプッシュをするかどうかは、その辺を見極める必要がどうしてもあるのだ。
 だが、今回のstunning under dogの「すみれ」。これは良い。6曲入りなのだが、それぞれの曲がドラマになっていて、深い。人生を感じさせる。しかも比喩が直喩ではなく暗喩が多用され、文学としても個人的に高評価である。暗喩と言いつつ、表現はとてもストレートで、それは言葉上のストレートではなくて、感情がストレートで露わなのだ。愛って、こんな表現がもっともふさわしいとさえ思った。僕の言葉ではなかなかそれを伝えることは出来ない。でも、いいのは確実だ。
 最近のアーチストではamazarashiというバンドを知ったときと似た衝撃だった。それなりに人気はあるものの、amazarashi自体知らない人も多いだろう。YouTubeの動画をひとつ紹介する。

 普通の愛だの恋だの惚れた腫れたとかではなくて、なんか、腹の奥底にズドンとハンマーが突き刺さったような、そんな印象を与えてくれる、というか、押し付けるような、そんな強力な印象。こういうのを歌詞だけ抜き取って読んでみせても多分違うのだ。それが文学と音楽の違いで、音楽であらねばならないような、音楽である必然性をもった歌というのは意外に少ない。だが、amazarashiにはそれがある。アルバムを聴いて、嫌になったり苦しくなったりするかもしれない。だが、忘れられないし、聴き流せない。無視することなど不可能だ。そんな強烈な力を持った音楽を展開している。そんなバンド。
 それと一緒にするのはamazarashiに対して失礼だ。だが、同時に一緒にされたらstunning under dogも迷惑だ。似ているが、まったく違う。イチローと松井はまったく違うバッターだが、共にすごい。そういう感覚。いや、そこまでいうとamazarashiもstunning under dogもなんか違うかもしれないが、聴いていて「すごいな」と思わされるのはそうそうない。と、思ってもらえれば幸いだ。僕の表現力不足で大変申し訳ない。
 というわけで、レーベルからリリースする新人バンドのことを紹介するのは異例中の異例だと思ってもらえれば幸いだ。上のジャケットをクリックするとキラキラレコードのページに飛んでいくことになっている。そこに6曲全部について各30秒程の試聴がある。それを聴いてもらえればと思う。そしてちょっとだけ冒険してもいいかなと思ってもらえるのなら、是非とも買ってください。それが、このバンドが「俺たちこのままずっと続けてて大丈夫なんだろうか」とか悩まずに済み、音楽に邁進するエネルギーになります。あなたの応援がこのバンドの後押しをするとして、それに相応しいのかどうかを、是非とも判断してもらえればと切に願う。

4周年

 今日は僕ら夫婦の4回目の結婚記念日だ。もう丸4年も経ったのかと、短かったような気もするし、いろいろあったし、長かったなという気もする。
 今もいろいろあって大変だ。大変といってもケンカなどはまったくなくて、奇跡的な仲の良さだと自負している。いいことだね、ありがたいね。何が大変なのかも、何が幸せなのかも、ここに書くことではないと思うし、読まされてもきっと困るだろうから書かないわけだが、このまま毎日を幸せに過ごしていきたい。
 そんな記念日の前日、僕は友人の告別式に出席するために東京にいた。オッサンではあるがまだまだ死ぬには若すぎる。同年代の奥さんを残して死んでいくとは、困ったヤツだ。死人にむち打つつもりは無いが、やっぱり、それはダメだよ。いつまでもコントやってないで早いところ起き上がれよといいたいところだが、それはやはりコントではない。起き上がることなく、棺は火葬場に運ばれてしまった。
 何はなくとも健康だ。心も身体も健康であらねばと思った。太く短くなんていうのは、独り者だけに許された暴言だよ。
 20年、いや30年、家族全員から疎まれるまで、長生きするぞと決意した昨日と、それを神社にお祈りした、今日の記念日だった。

セレモニー

 もうすぐ、311だ。
 僕はこの1年、毎月11日の2時46分になるとほぼ必ず「黙祷」していた。ただ黙祷をするのと、ツイッターで「黙祷」とつぶやくのと。たったそれだけだ。ボランティアにも行かないし、寄付もしない。自分に出来ることは限られている。でも、黙祷するくらいは誰にだって、そう、僕にだってできることだった。毎月11日の2時46分に意識をするというだけのことだが、意識をし続けることは、結構大切なことだと思うのだ。
 しかし、今週末に迫った3月11日には、続けてきた黙祷をやめようと思っている。
 なにも、もう過去にしようというのではない。震災と、震災によって起こった原発事故は、決して過去の話ではない。現在進行中の悲劇だ。悲劇が悲劇を生み、僕らは分断されようとしている。どうすれば信頼関係を再構築出来るのだろうかと、その普通のことへの想いは途方も無い奇跡のようにさえ感じられる。それはきっと誰もが思っていることなのだろう。だから「絆」とかの言葉を強調しようとしているのだろう。でもそんな簡単な言葉だけで修復出来るような傷ではない。絆を与えることも、絆を与えられることもいけない。絆を強制するのはもっといけない。絆とは、そういうものだ。
 本質的な何かをなくして、偽善的な悪意を隠すために、絆という言葉は使われているんだと、僕は感じている。だから余計に絆という表面的な言葉に拒否反応が出る。その拒否反応を感じなくて済むような、そんな社会に戻れるのならと思うが、そんなに簡単なことではないのだということもわかっている。わかっているから、絶望的な気持ちにもなる。
 話を戻そう。311だ。この日は各地でいろいろな催しが行われるだろう。京都ではマラソンが行なわれる。1000以上あるお寺では、きっと祈祷の何かが行なわれるだろう。京都に限らず日本中、いや、世界中でなんらかの平和イベントが催されると思う。否が応でも、1年前のあの日のことを思い出さずにはいられないはずだ。すでにテレビ番組は311の追悼モードに入っている。
 でも、そんなモード、嘘っぱちだと僕は感じているのだ。
 1周年の記念(?)日に追悼の気持ちを持てば、あとはいいのか。この日をことさらに大きく取り上げるということは、他の日には忘れてもいいという一種の免罪符になるような気がしてならない。単に僕の穿った思いであればいいのだが、実際はそうではないだろう。この日のあらゆるイベントは、単なるセレモニーになってしまって、それがかえって人々の記憶からあの日を遠いものにしてしまうと、そんな風に僕は感じているのである。
 僕はいろいろなところでこの話をしているから「聞いたよそれ」という人もいるのは重々承知だが、大学生の時に、出席さえしていれば単位が取れる授業があって、僕はその授業が好きだったから毎週行動のような大教室の最前列で講義を聴き、ノートを取っていた。出席表を誰かがまとめて出せば出席になるから、大教室はいつもガラガラ。しかし最終日に、いつも僕がいる席が空いていない。そこを占領していた女子大生たちは終始おしゃべりをしていて、完全に講義の邪魔だった。しかし、講義も終わって最後の瞬間、教授が挨拶すると教室中から拍手が。さっきまでしゃべっていた女子大生たちも拍手。「この瞬間がいいのよね〜」と。僕は拍手をする気になれなかった。普段授業に来さえしないで最後に拍手をしているやつらと同じになりたくなかったからだ。
 別の例えもしたい。野球で10月頃になると優勝の行方が見えてくる。例年なら最下位争いをしているようなチームが稀に優勝したりすることがある。そういう時にどこからか湧いてくるようなファンたちでスタンドは満員になるが、お前ら開幕時にファンだったかと言いたくなる。ずっと応援していたというが、だったら開幕から球場は満員だっただろう。ファンというのはチームが苦しい時にも応援をする人のことであって、良いときだけ喜ぶのはファンとは言えない。
 大学の最終講義も、プロ野球の優勝の瞬間も、それは単なるセレモニーだ。セレモニーに居並ぶ人の大半はその瞬間だけだ。次のイベントが沸き起こればそこに気持ちも身体も移っていく。それが悪いとは言わない。だが、僕はその群れの一人にはなりたくないし、だからその場にはいたくないなと思う。で、311だ。毎月行なっていた黙祷。4月や5月には多くの人が黙祷をしていた。ツイッターのTLにもその瞬間に黙祷の文字が溢れんばかりだった。しかし夏が来て秋が来る中で、その文字は明らかに減っていた。減るのはやむを得ないと思う。人は忘れることで前進のエネルギーを得るものだからだ。いつまでも過去にこだわり続けていてはいけない。黙祷の文字が消えていくということは、それだけ新しい何かに打込んでいる人が増えたということでもある。だからけっしてそのことを哀しんではいけないと思う。
 だとしたら、311の14:46も、みんなは今までの勢いと同じように黙祷の二文字を忘れていっていいのだ。皮肉な意味ではなく、本当に忘れていっていいのだと思う。しかし、1年後ということもあって人々はあのことを思い出すだろう。それをイベントとして煽るようにテレビが特番を組んでいく。そして多くの人が「そんなこともあったな」と思い出して、今まで忘れていた黙祷をすることになるだろう。そのことも、悪いことではないのだ。でも、僕はその並びの中にいたくないと思っている。天の邪鬼なのだな、きっと。でもそういう性分なのだから仕方がない。
 セレモニーは1日で終わる。終われば、またいつもの日々が何事もなかったように始まる。1年経ったその日に黙祷をしたことで免罪符を得た多くの人が、毎月の黙祷のことなどは気にも留めなくなるだろう。そうした411あたりから、またひっそりと黙祷をすればいいのだと思っている。
 黙祷をやめるということで、僕はあの日のことを意識していようと思うのだ。