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安藤美姫

 昨日の報道ステーションで安藤美姫が4月に出産していたことを明らかにした。たまたま見ていた僕も僕の奥さんも「へ〜」って感じで興味深く見た。彼女は今シーズンスケートに取り組んで来年開催のソチ五輪を目指すという。それで競技を引退するという。
 僕はそれを見て素晴らしいことだなと思った。いろいろあるだろう。今のところ結婚はしていないシングルマザーであることもそうだし、競技を甘く見るなという意見もあるに違いない。だが、そんなことはどうでもいいと思う。彼女が授かった子供を産む決意をし、産まれた子供を可愛いと思っているというだけで、いいじゃないか。なぜそれを批判する?批判する資格なんて一体誰にあるのだ?
 多くの人は社会の中で生きていて、その中で社会にとって在るべき人間であることを強いられる。あるべき人間であることを演じている。有名アスリートは特にそうだろう。好成績を期待される。本番でミスをしたらぼろくそに言われる。それは好成績によって手にする栄誉の大きさとの引き換えなのだからある意味仕方ない部分がある。毀誉褒貶は世の常で、賞賛は批判と裏表である。
 で、そのことは安藤美姫が一番良く知っているのではないだろうか。天才としてちやほやされて、トリノでの惨敗で批判に晒された。当時の僕も批判したと思う。何やってんだと。同じ大会で金メダルを獲得した荒川静香が賞賛される分、安藤美姫が批判された。それはある意味仕方のないことだ。彼女だって金メダルを目指したのだから。その賞賛を目指したのなら、結果がすべてだ。負ければ多くのものを失う。
 しかしその後葛藤はあっただろうに、浅田真央の台頭に苦しんだろうに、2011年のシーズンでは各大会で優勝。結果を出した。
 そんな彼女が、子供を授かった。そこでもいろいろ葛藤はあったのだろう。産めば確実に1シーズンを失うし、トップアスリートとしての体調にはもう戻ることができないかもしれない。でも結果として産むことを決意した。それはスケートを最優先して他のことをすべて犠牲にするという決断とは真逆のことであって、だから、スケート選手としての結果よりも母親になるということを選んだ彼女に、「子供を産んでアスリートやっていこうなんて甘い」などと批判をすることは的外れだと思うのだ。こんな例えが適切かどうかはわからないけれども、例えるならば末期がんであることが判った患者が、治療を続けるよりも余生を充実させることを選んだようなもので、その人に「治療を甘く見るな、がんを甘く見るな」と批判をするのは意味がない。そもそも選択の際の価値観が違うのだから。安藤美姫が出産を選択したのは彼女の価値観そのものであって、それによってアスリートとしての道が狭まったとしても、アスリートであることをとることで母親への道が狭まることよりはマシだという決断だったのだろう。それを責めることが一体誰に出来ようか。
 身の回りでは不妊治療をしている人が何人かいる。詳しいことはわからないものの、お金もかかるし何より苦痛を伴うのだそうだ。そこまでせずに授かった僕ら夫婦がどれだけ幸運なことなのかとつくづく思う。経済的肉体的な辛さを超えてまで、子供が欲しい人たちはたくさんいる。そしてその価値がある尊いことだと僕も思う。もちろん不妊治療がどのくらい有効なのかとか、医学的に倫理的にどうかという問題はあるだろう。だからといって子供が欲しいと思う気持ちを一体誰が批判出来るのだろうか。だとしたら、20代前半のアスリートが競技生命を犠牲にして出産を選んだこともまた、誰にも批判など出来ないはずである。
 とはいえ、安藤美姫は競技に復帰してソチ五輪を目指す以上は、頑張る必要があるのだろう。せいぜい頑張ってくださいとしか僕には言えないし、それ以上のことを言うつもりもないよ。安藤美姫の出産には喝采を送りたいが、そもそもアスリートとしての彼女には元々それほど期待していないのだから。いや、期待していたとしても今回の出産の選択には喝采を送るのだけれど。で、目指す以上は本気で取り組んでもらいたいし、同時に他の日本人選手たちには、出産して戻ってきたママさんスケーターに簡単に出場枠を譲らないで欲しいと思う。それはアンチ安藤美姫という意味ではなく、それぞれの選手にもプライドはあるだろうし、簡単に負けてしまっては自分がツライだろうという意味でだ。
 で、結果として誰が出たとしても、ソチ五輪は見るだろう。時間帯としては深夜の生中継になるだろうから、そんなに熱心には見ないだろう。朝方にTwitterのタイムラインで結果を知るのがいいところではないだろうか。おそらくほとんどの日本人がその程度だと思う。だとしたら余計に、1アスリートの、いや1女性の人生をかけた決断を批判などする資格はないのだ。

ブラック企業とアベノミクスとフロンティア

 今日の夕方帰宅する途中、鴨川の土手には涼みにきている人たちがたくさんいた。涼しかったな今日は。夕暮れに歩くのも大変心地よかった。
 京都は東京よりも日の入りが遅いとはいえ、こんなに明るいうちに帰宅するなんて以前はなかった。それは僕が赤ちゃんをお風呂に入れるためということでもあるけれど、じゃあここに涼みにきている人たちはみんな赤ちゃん育児中なのか?お父さんらしき人が息子らしき子供と一緒にベンチに座って語らっている。そういうの、東京ではほとんど見たことがなかった。住んでいたのが新宿区だったからか?それとも僕が遅くまで仕事してたから見なかったのか?よくわからないけれど、京都ではまだ明るい時間から多くの人が帰宅し、川沿いでくつろいでいたりする。夜中まで煌々と電気がついているオフィスビルなんてほとんど見かけない。
 これは僕が京都に移って以降の持論でもあるが、東京の人は高い家賃を稼ぐ必要があるから長く働くことになってしまっているのだと思う。会社で残業したい人が一定数いると、残業しなくてもいい人まで帰りにくくなってしまう。そうやって残業前提で社員が働く会社に負けないようにするには、他の会社も残業して総労働量を増やすハメになってくる。その点京都は家賃が安い。おそらく京都だけじゃなくて全国的に東京大阪以外は安いのだろうと思う。当然家を買う時の値段も東京に較べると京都は安い。それを払っていくために残業を重ねる必要はない。それでも残業して働きたいと思っても、会社全体に仕事があるわけではないだろうし、「お前1人で何やってんの」という雰囲気になれば、そうそう長時間労働をすることも難しい。そういう違いが、街全体の雰囲気の違いとしてあるように思う。
 最近ブラック企業の問題が話題になっている。ブラックで殺されるくらいなら辞めればいいと思うが、なかなかそうもいかないらしい。不思議だが。でも僕は思うのだ、ブラック企業に勤めている人はそこに勤めることが好きなのだと。いやかなりキツい言い方をしているのはよくわかっている。だが、結局はそこに勤めることを選んでいるのである。
 では何がブラックで、何がブラックではないのだろうか。そこの切り分けは非常に難しい。社会全体がブラックと非ブラックの区別を明確にしようとしているからだ。
 人が暮らすというのは一体どういうことなのだろうか。そりゃあいい暮らしがしたい。誰でもそうだろう。ではいい暮らしとは何なのか。ある基準があってその基準を満たせばいい暮らしなのではない。今日よりも明日、隣よりもウチが良ければいい暮らしということなのだ。昭和30年代前半の三種の神器はテレビと冷蔵庫と洗濯機だった。みんなそれがあれば幸せだった。だがそんなもの今は一人暮らしの学生のアパートにだってある。ではいい暮らしなのか?いや、違う。あの頃の家族が幸せを感じていた電気製品では今の日本人は幸せを感じることなどできない。そんなものは誰もが持っている当たり前のものでしかなくなったからだ。
 今よりも明日に価値をもたらすものは何か。それは2つである。ひとつは発明などのイノベーション。蒸気機関の発明が、電気の発明が人類に力を与えた。活版印刷が人類に文化をもたらした。そういう価値に人は憧れ、手に入れたいと思い、活力を生む。
 もうひとつはフロンティアだ。東部地域からスタートしたアメリカは、西部開拓によって土地を得た。土地は作物を生む。資源ももたらす。そして何より国民に土地を与える。今の日本人は家を買うために35年ローンを平気で組む。組んだ瞬間に銀行の奴隷だという意見もある。それでも人は家を持ちたがる。資産になるからだ。それが西に進むだけで、現地のインディアンを制圧するだけで手に入るのだから、それはみんな武器を持って西へ進む。だがやがて西海岸に到達する。フロンティアは無くなる。そうなると海外の未開の国を植民地にしていく。アフリカまで行って奴隷を連れてくる。現代人が掃除機を買うような感じで奴隷を欲したのだろうか。その感覚はまったくわからないが、現実に多くの人が奴隷としてアメリカに連れて行かれた。フロンティアがなかったヨーロッパ諸国も早くから海の向こうに植民地を求めた。
 フロンティアと言えば聞こえはいいが、要するにそれは他者から奪うということそのものだ。そこにいたインディアンから土地を奪う。植民地に住んでいた先住民から土地や資源を奪う。アフリカに暮らしていた人たちの人権を奪う。それによって当時の欧米は豊かになり、先進国になっていった。
 僕は、今の日本で起こっていることはそれと何ら変わらないと感じている。
 ブラック企業とは何か。それは他者から奪う企業である。その他者は顧客ではなく従業員である。ではなぜそのような奪いが起こるのか。社会全体にその要因はあると思っている。まず何より経営者の姿勢だ。企業が大きくなるためには何かを犠牲にしなければならない。手軽なのは従業員だ。従業員を酷使し、辞めるヤツは仕方ないとしても、辞めずに頑張る人は徹底的にこき使う。そのこき使いが企業に利益を生んでいく。
 経営者の次は利用者だ。経営努力の名のもとに行なわれる価格競争を当たり前として、そこまで格安でいいのかと思うような価格を当然と受入れる。利益はどこで出すのか。食材プラス調理の価格と代金の差額では難しい。だとすれば酷使される従業員のサービス残業分で利益を出すしか無くなってくるのだろう。どこまでも安くて当然の意識が、結局は従業員を酷使することにつながっていく。
 ブラック企業の従業員の残業ならまだマシだという説もある。他の業種では雇い止めだ。正社員と非正規雇用、さらにはバイトと、労働者の立場の違いはより明確になっている。正社員を守るための雇用調整といえばいいのだろうか。音楽や役者をやりたいからみずから正社員にはならないという人は、それは選んでいるのだからしょうがない。だが正社員になりたいのになれない人が増えている。なりたいのに、なれないのだ。全員を正社員待遇で雇用すると、現在正社員でいる人たちの安定や高収入が維持出来ない。だから正社員枠をしぼるのだ。その様はまるで芥川龍之介の蜘蛛の糸だ。皆が地獄から脱する糸に群がるが、全員が群がると糸は切れる。切れないようにするためには、ふるい落とさなければいけない。誰をだ?他人をだ。
 日曜日に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」の一シーンでもそれは描かれていた。薩長連合軍に攻められる会津藩は城下の武士の家族を城に呼び寄せる。八重の山本家は早めに城に入るが、剛力演じる日向ユキの家族は遅れたために城に入れてもらえない。家臣の家族だろ。なぜ入れない。それ以上入れる余裕がないからだ。家臣とその家族を守るのが殿様の努めではなかったのか?先に入った人を守るため、遅い人ははじき出される。自らの安定のために他者を犠牲にする。それは植民地化された先住民族の姿と何ら変わらない。守るという建前よりも現実の兵糧の方が優先される。
 今の日本で行なわれていることは、新しい形の身分制度の復活なんじゃないかと思っている。そしてその身分制度は経済の原則という建前の下に推進されていく。経済の中にいる以上、企業は生き残りを最大の目的として活動している。生き残らなければ、やられるのだ。だから出来るだけ費用部分を削り、アウトソーシングという名のもとにコスト削減に勤めている。コスト削減は、要するに椅子取りゲームだ。企業としては椅子を準備するのは最低限にしたい。なぜなら椅子を用意するのもコストだからだ。それを削らなければ利益が上がらず、株主に突き上げられ、仕舞いには乗っとられる。だから内部留保を厚くしていざという時に備え、労働力にかける経費を最小限にしようとする。当然椅子取りゲームからこぼれる人が出てくる。じゃあその人に死ねというのか。それは無理だし、一定の労働力は不可欠なのだ。だから非正規という肩書きで同じ仕事をしろと。同じ仕事だけれど給料は少ないぞと。将来の保証も何もないぞと。それが当たり前になった2013年、さらに正社員を普通の正社員と限定正社員の2つに分けるという話が出てくる。正社員としての椅子取りゲームに勝ち残ってもまだ安心ではないのだ。このままでは蜘蛛の糸は切れる。そう脅かされ、さらに過酷な椅子取りゲームが始められる。
 身分制度が明確な賃金格差を生んだとき、それは単なる身分制度ではなく、下位身分からの奪いを意味するようになる。昔だったら同じように社員として終身雇用が約束されてマイホームを持てたような人が、非正規となりマイホームなど不可能になる。それは新たな奪いだ。上位身分の人が下位身分の人たちが当然受けていたであろう収入を新たなフロンティアとして狙い始めたことに他ならない。その舞台装置は何か。国際経済であり、株主至上主義であり、ゆとり教育である。高度な教育を国の費用ですべての国民に施すというのは、誰にも等しく知識を得るチャンスを与えるということであり、従って身分の固定化を流動的にするものだ。だから公教育をゆとりにし、裕福な家庭の子息のみが高度な教育を受けられる環境を実現する。学ばない者は非正規になる。教育を施された裕福な家庭の子息は正規になり、さらには経営側に回るチャンスを得る。一部の例外は当然ある。だが、経済が絡んだとき、この傾向は明確に結果となって現れている。
 だから今の日本にブラック企業が生まれるのは当然なのだと思う。生まれるべくして生まれたのであって、単にその経営者個人を責める問題に矮小化しても始まらない。そしてそこに勤める従業員も、ある意味そこを選ばざるを得ないという状況に置かれ、そして選ぶ。自由に選んでそこにいるのだから、頑張れよお前らと言われてしまう。だがそれは、徴兵で集められた新人兵士に鬼軍曹が竹刀でどつき回すことと、実はそんなに変わらない。そういう社会を、今の時代は当然生むように出来ているのだ。
 今日のニュースでも日銀短観が上向いたと報じられていた。高給時計が売れていると。儲かっている人は確実に存在する。しかし町工場の経営者やショッピングアーケードの主婦たちはアベノミクスの影響など無いという。当然だ。この政策はまさに新たな身分制度をさらに加速するものなのであって、底辺にいる人たちが潤うなどと期待していたら泣きを見るだけだ。僕の知人で、金融関係の仕事をしている人や大企業に勤めている人に限ってこのアベノミクスを礼賛する。奪う側に立っているからだと思う。気付いているかいないかはともかく、アベノミクスによって奪える機会を得る人は、これを礼賛するだろう。そして今が稼ぎ時だと躍起になっている。それはまさにフロンティアに進んでいく開拓者の姿だ。
 で、その方向に幸せはあるのだろうか。東京に住む人たちが高い家賃を払うために懸命に働いているという話を冒頭で述べた。それは幸せなのだろうか。僕は京都に移ってきて、個人的な想いでしかないけれども、なんかそれは違うように感じている。高い土地に高い家賃。それはみんながそこに集まっているからそうなってしまうのである。それでも人はそこに集まる。斯く言う僕も2年半前まではそこに暮らしていた。今の倍の家賃を払い続けてきた。もし多くの人がその土地を離れたら、高い家賃を払う必要も無くなっていく。離れた人が遠くの土地で安い家賃で暮らせるということだけではなく、人が少なくなれば当然東京に暮らすための固定費用も下がってくる。今は過剰に集中することでそれが高くなっているだけのこと。
 高い家賃を払う必要が無くなれば、今のように深夜までオフィスビルが煌々と灯をともす必要はなくなるだろう。そうすると居酒屋が深夜まで営業する必要も無くなって、ブラックと言われている職場も当然減ってくる。人々は理由あって東京に集中している。つまり東京に暮らすということがある意味ブラックな生活でもあるのだ。だがみんなそこを去らない。快適と思って暮らし続ける。人はブラックなものに引き寄せられるのか。それとも引き寄せておくことでブラックな働きをする人を生み出せるから社会がそうなっているのか。それも明確に答えることは出来ない。だが、まだ日の暮れていない鴨川に集っている家族の姿を見ていると、ここにはひとつの幸せの形があるように思えてならない。
 アベノミクスが盛上がっている。株価が13000円を割っても、そのことは殊更大きくは取り上げられず、今も神話のように日銀短観のいいニュースがトップで報じられる。それは、ニュースなのか。煽動ではないのか。僕はそのことが気になってならない。それが煽動なのだとしたら、一体どこに向かわせられようとしているのだろうか。大手メディアこそ、ハーメルンの笛吹きの笛なのではないのだろうか。だとしたらこの場合の笛吹きとは何なのか。そしてハーメルンの笛吹きたちが向かった先の洞窟(または沼)とは一体どこなのだろうか。時代が一方向性である以上、そこから戻れなくなることだけは確かだと、僕は思っている。

レーベルの立ち位置

 インディーズレーベルを23年半もやってきて、今思うのは自分たちの立ち位置だ。立ち位置とは、どうあるべきかということと、あるべきなのかということと、2つの意味を持っている。
 僕が社会人になったのが平成元年。ビクター音楽産業という会社になぜか滑り込んだ。バブル絶頂のその頃に、僕は就職しようという気持ちがまったくなかったのに、なぜだか会社員になることになった。それでも知らず知らずに銀行員やシステムエンジニアになった友人よりはまだマシだななんて思っていた。ビクターはいうまでもなくメジャーレーベルだ。というより、当時はまだメジャーレーベルという概念がほとんど無かった。なぜならインディーズレーベルという存在がほとんど無かったからだ。音楽を公表するにはCDを出さなければならない。それにはレコード会社に属さなければならない。そのレコード会社というのは、今でいうメジャーレーベルのことだ。僕はそんなレーベルのひとつに就職した。これは貴重な経験だったと思う。レコード会社というのは制作と宣伝で成り立っている。と思っていた。素人はそう思う。だが何より重要なのは営業だ。営業のさじ加減ひとつで店頭での展開は変わる。各社が押しものをこれでもかと売り込むので、ショップは全部入れていたらたちまち過剰在庫になってしまう。だから出来るだけ仕入れは少なくしたい。それに応じていたら自社商品は目立たなくなる。その結果、営業マンが強いエリアで売れるものが、営業マンが弱いエリアでは存在さえしないようになってしまう。また同じレコード会社の中でも、営業担当が「どれを売りたい」と考えるかで、店頭の扱いは違ってくる。そしてリスナーが店頭で目にする商品になるかどうかが、音楽が売れるかどうかのほとんどすべてだといっても過言ではない時代だった。
 ビクター生活を経て、独立してインディーズでやっていこうとする。当時はプレスにも印刷にも莫大なお金がかかった。レコーディング費用は別にしても、ちょっと仕様を豪華にすればすぐに100万超えだ。それをペイするのに3000円のCDを一体何枚売ればいいのか。3000円すべてが入る訳ではない。お店の取り分、配送費、営業管理費などなどを考えれば500枚くらい売れてくれないと話にならない。その時点でレーベルにもアーチストにも1円だって入らないのである。
 そういう状況から、どうすればアーチストにもレーベルにも利益が出るようになるのかを考え、制作のコストなども出すようにするために業者もいろいろと変えた。とにかく安くできるようにしなければ売れても赤字。それでは困るのだ。だからいろいろ変えていく。変わっていく。変わらず残るために変わっていく。23年の軌跡はその連続だったといえる。それがアーチストを戸惑わせたこともあるだろう。だが、結果的にバンドも解散して歴史上の存在になってもなお音源がCDで売られているという状況を維持出来ているということは、それなりの意義はあったのだと自負している。
 さて、音楽の世界はどんどんと変わっていって、今では配信だ。キラキラレコードでは配信に対してさほど力を入れていない。何故か。儲からないからだ。儲かるのか儲からないのかだけが基準ではないけれども、今の状態で配信に移ったとしても、裾野にいるアーチストは力を削がれるだけだ。どういうことかというと、有料にすることでダウンロード数は激減するし、単価の安い配信にシフトすることで、売れても制作費ほどの稼ぎは得にくくなるということである。150円でダウンロードされて、自分に入ってくるのが75円だとすると、1000ダウンロードされて7万5千円。万単位でダウンロードされるなら利益の可能性もあるが、1000ダウンロード程度では収益を考えることは難しい。しかもCDを売るのであればライブで直接「買ってよ」と迫ることができるが、ダウンロードだと「後でダウンロードしとくよ」で終わりだ。本当にその人が買ってくれたかなどまったくわからない。
 これはアーチストがライブ会場で売っているデモCD-Rとよく似ている。彼らはデモを3曲100円くらいで販売している。それは何を目的にやっているのだろうか。(メルマガに続く)
ミミミミミミミミミミ
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メールマガジン〜本文文字数の怪

 メールマガジンを発行した。今日が第2号である。
 本文を作っていざ送信という段階でエラー。なにがどうなったんだと思いつつ、何度も試す。でも送れない。
 で、沢山送るからダメなのか、1通なら送れるのか、そんなことを考えて、短い内容のテストメールを自分宛に送ってみる。すると成功。じゃあこの送信サーバーの設定は間違っていないんだなということがわかる。で、今回のメルマガを送ってみる。またエラー。
 なので、自分宛てに1通だけ送ってみようとすると、今度はエラー。もう本当に訳わからなくなって、どうしたらいいんだと思っていた。で、前回(第1回)との違いをチェックしてみたら、本文の文字数が多かった。前回は2400文字。今回は4800文字。ほぼ倍だ。それが問題なのか、いやいや、そんなことはないだろう、文字データなど写真データに較べればたいした量ではないはずだもの。でも、明らかにそこがネックになっている様子。なので本文を2つに分割して、送ってみた。すると成功。
 メールというのは送信文字数に制限があるのか?それはそのメルマガ送信ソフト特有の制限なのか?それともサーバー側の制限なのか?なんだかよくわからないけれども、とにかくそれで送れるんだったら送ってしまわなきゃ、すでに前回のメルマガ発行から12日も経過しているのだから…。
 というわけで、文字数制限については改善策を探しつつ、定期的な発行を目指したいと思ったりしている。3000文字くらいは送れるようなので、その範囲で書いていけば、それはそれで書くのも楽なのかもしれないし。
 
 メルマガをご希望の方は mailmaga@kirakirarecord.com まで空メールを送ってください。本文には何も入れなくてもいいですが、お名前(ニックネーム可)を入れていただければ嬉しいです。

夏バテ

 夏至が過ぎたら、もう夏バテの季節。んな訳はないと思うけれど、この2日ほど眠いしダルいし、歩きたくない。ということで毎朝会社まで約6kmを歩くのをサボり、電車やバスで出勤中。そんなことをしていると身体がなまって体重も増えるぞと思うけれども、さっき食後に体重を量ったら74.2kg。食事前ならきっと74kgを割っていただろう。
 これじゃいかんな。まあいいんだけれど、深刻なことではないけれど、痩せすぎるのはかえって良くないと思う。なので明日からは朝飯の量を少し増やそうと思う。
 夏バテ的な気分では仕事にもならない。いくつかの懸案もなかなか進んでいない。これではアカンと思っているのだ。思っているだけでは進まないのもよくわかっているので、頑張っていきたいと思う。

祭りの後

 19日に1歳になった息子の誕生日を祝う会を、京都の料理屋で開いた。福岡からおばあちゃん、松阪からはおじいちゃんとおばあちゃん。大阪からはおばさん(僕の義理の妹)が駆けつけてくれた。それに僕ら夫婦と主役の息子。
 福岡のおばあちゃんは昨日から京都入りし、孫との触れ合いを1日かけて深めていた。今朝も9時過ぎにはマンションにやってきて孫をだっこして、抱っこされる側もすっかり慣れて楽しげに過ごしていた。息子、あまりに楽しげにはしゃぐものだから疲れてもいたのだろう。そもそも日頃午前の昼寝をする時間帯に松阪のおじいちゃんが登場し、突然のギャン泣き開始。僕が抱っこしても泣き止まず、これから料理店に行くというのにこりゃ困ったなと思っていたものの、泣き止まないのでとりあえず寝かすことに。布団に置いて背中をさすってやっていると10分ほどですやすやと寝始めた。30分くらいで起こさなきゃいけないから可哀想だなと思っていたけれど、可哀想なのはわざわざ150kmほど運転してやってきたおじいちゃんの方だ。おばあちゃんに「おじいさんは恐いのよ。ちょっと見えないところに座ってて」と言われてしまった。大人相手なら反論も出来ようが、泣く子には勝てない。義理の息子としてなんとかしたいところではあるが、何とも出来ないというのが正直なところだ。ま、それも赤ちゃんとの付き合いということなのかもしれない。
 で、そろそろ出発の時間。息子を起こすと、意外にもけろっと。30分の睡眠で復活出来るとは赤ちゃんのパワーはあらためて恐れ入る。機嫌が変わらないうちにさっさと出発。木屋町の料理屋に到着。家族全員料理を楽しみ、息子1歳も食べられそうなものを少しずつお裾分けしてもらった。大変堪能した。で、最後に残っていたのが餅踏みの儀式。一生食うことに困らないようにという願いを込め、一升の餅をわらじを履いた子供が踏むということで、出町ふたばで注文していた一升餅を取り出して、わらじを履かせてその上に立たせる。踏むというより乗せるという感じだったが、それをやるためにみんな集まってくれたのだから、なんかしらないけれども家族大盛上がり。
 息子がこれで一生食いっぱぐれなくいけるのかどうか、神頼みという意味でいえばそこに裏付けはないんだろうと、さほど信心深くない僕は思う。やはり実力をどう磨いていくのかということが不可欠なのだ。だが、こういう神事をするということをきっかけに、おじいちゃんおばあちゃんが集うということが大事で、そういうことで多くの愛情を受ける存在になっていく。愛情ある家族に恵まれれば、いざという時に頼れる存在もあるということであり、つまりはメシぐらい食わせてくれる人がいるという、そういうことになるのだろう。実際結婚式以来4年半会っていなかった両家の父母が、孫が産まれたことによってまず出産時に再会し、お宮参りの時に再会し、今回また1歳の誕生日の時に再会した。自分の足で立つことがまだ出来ない赤ちゃんなのに、家族をより強く結んでいく力を持っている。孫のためなら何でもしてやりたいと思っている人が少なくとも3人いる。その3人がこうして仲良くなっていくことで、その家族の一員としての1歳児は、メチャ明るい未来が約束されるとまでは言わないにしても、それなりに見守られた、家族に恵まれる人生を送ることがしばらくは約束されたという感じになっている。それは大きいことだと思う。
 その会が終わり、福岡や松阪や大阪に家族は帰っていった。僕ら夫婦と息子の3人もマンションに帰宅し、普通の生活に戻ろうとしている。朝7人がいた僕らのマンションに、今は3人だけだ。疲れたのか、息子も奥さんもはやばやと寝てしまっている。このブログを書きながら、お祭りの後の寂しさのような気分にひたってしまっている僕である。

オブリビオン

 昨日、トムクルーズの映画「オブリビオン」を観た。映画館で映画を観るのはずいぶんと久しぶりのこと。おそらく1年半くらいぶりなんじゃないだろうか。
 基本的に未来の話で、ハリウッドの映画はこういう設定多いなと思う。何十年か前の日本映画ではなにかとヤクザが登場するのが定番で、まあ非日常を描くのに手っ取り早かったのだろう。そして最近はCG技術のおかげで近未来などを描き易いのだろう。こういう設定が多くなるのもわからなくはない。まあ設定が似ていても、良い映画とさほどでもない映画はある。僕はこの映画を観て、結構楽しめた。いろいろな意見はあるだろうが、まあ僕が1年半ぶりに映画館に行ったという感動も含めて楽しんだという意味合いもプラスされてはいるのだが。
 で、この映画を観てて、僕は家族の不思議を思っていた。縁あって家族というのは集うわけだ。別れるケースもあるし、ずっと一緒のケースもある。では何でその縁はあったのか、正直よくわからない。自分の家族だってそうだ。なぜ奥さんと出会ったのだろう。そこには沢山の偶然が重なっていて、だから必然とは言い難い。だが偶然の積み重ねは他にも沢山あって、その中で他の偶然は家族に至らず、この偶然は家族に至っているわけで、だからやっぱり必然ということもできるのかもしれない。
 家族だけじゃなく、友人もそうだ。今日たまたま近畿の同窓会の懇親会(説明するのややこしいので割愛)があって、そこにほぼ30年ぶりに会った同級生がいた。30年音信不通なら基本他人だ。なのにそいつは会えばやはり友人なのだ。面白い。それってなんなの?疑問は尽きないけど、やはり友人なのだ。そのまま受け入れている僕の思考も、また不思議だ。
 映画の話に戻したいが、詳しく書けばネタバレになる。なので観てない人にはちんぷんかんぷんだろうが、まあそれも仕方のないこと。そして観た人にも僕の文章はちんぷんかんぷんなのだろう。それは僕の表現力の問題なので許してください。
 ラストシーンで、僕はとても不思議な気分になった。その再会は再会なのか?それを言い出したらその前の再会も再会だったのか?受け入れるとはどういうことなのか?なにを持って本物の出会いと言うべきなのか?
 しかしまあ、根源的なことを言うなら、自分と奥さんの出会いだって本物の出会いだったのかなど断言できるのだろうか?それでも今こうして一緒に暮らし、子供も授かり、長い年月をかけて、あの出会いを本物の出会いに育てているのかもしれない。だとすれば、映画の再会が外形的に本物の出会いだったかどうかなど考えることさえ無意味なのだと思う。理不尽にも思えるような出来事の積み重ねを乗り越えて、偶然を必然に変えていくことこそ家族の営みそのものなのかもしれない。そんなことを僕はこの近未来の映画に思った。
 幸せは遠くに予定されているようなものではなく、今ここに既に用意されていて、気付いたり、築いたりすることで獲得していくものなのだ。それは何も家族というものだけに限ったことではない。そんなことを思わせてくれたこの映画が、僕は結構好きだなと思った。

1ć­ł

 息子が1歳になった。昨日はそれを惜しむ気持ちでいっぱいだったけれど、誕生日を迎えれば、それはもう過去のこと。今日がやはり喜ばしい日であることを実感するばかりだ。
 今日は誕生日を祝いたいと、仕事を休んだ。奥さんの提案で、バースデーケーキは買わず、自作することに。ケーキ屋で買うと見栄えはいいが、食材が赤ちゃん向けではない。ケーキを周囲が食べて祝うより、本人に食べさせたいじゃないかと。なるほどなるほど、もっともだ。奥さんはネットのどこかでレシピを調べていたらしく、材料も準備済み。あとは、作るだけだ。僕が。ええっ、僕が??
 昔キラキラカフェをやってた頃、一応ケーキを作って出していた。だったらケーキを作るのは僕の役目だろうと。なるほどなるほど。作ろうじゃないか。作るよオレ。頑張って作った。薄切りの食パンをコップでくりぬいて同じサイズの丸いのを3枚。それをベビーダノンのジャム部分をはさんで重ねる。重ねたものに今度はベビーダノンのヨーグルト部分を塗りたくる。その周囲にベビー用チーズクラッカーを適当な大きさに切って貼付けていく。最後にイチゴを乗せれば完成だ。
 思った以上にきれいに出来た。1歳の息子に見せるとなぜか興奮。ケーキなんて知らないだろうに。あのビジュアルは本能的に興奮させる力を持っているのだろうか?で、瞬殺できれいなケーキは無惨な姿に。手づかみでイチゴをパクパク。チーズクラッカーもボリボリ。ヨーグルトを塗られた食パンはさすがにお母さんに切ってもらって食べさせてもらったが、食べ終わる時には白ヒゲ危機一髪というなんとものんきな表情に。
 普段お昼はそれほど食べないという息子。なのに今日はお昼に爆食。嬉しかったのかなあ。そういうのを見たお父さんは嬉しかったなあ。
 こういう光景は何も誕生日に限ったことではないだろう。そういうのをほとんど見ずに過ごしているお父さんも多かろう。たまには仕事安んで子供の姿を眺めようよと本当に思う。育児休暇というのは育児を労働として考え、その労働をするために必要という目的で存在しているのだと思う。それさえ父親はとれずにいることがほとんどだ。でも、労働の一部としてではなく、父親がただ子供の姿を眺めるというために育児休暇はあっていいんだろうと本当に思う。そう簡単ではないのも判るが、子供を持つ親が、その子供の成長の場面を見ずして、一体何のために生きているんだという気がする。いや本当に簡単にはいかないのはよく判っているつもりだが、素朴にそう思ったよ。
 話が逸れた。
 今日は仕事を休んで家にいたものの、朝から京都は雨で、お散歩には行けず。まあそれも仕方ないな。息子は梅雨に産まれたんだった。1年前の今日も、いつ降ってもおかしくないような雲に覆われていたことを思い出す。病院の窓から、そんな雲を眺めていたことを思い出す。記念の日の記憶というのは、そういうどうでもいいようなことが、脳に残っているというのが、ちょっと面白い。

0ć­ł

 ここ2ヶ月くらい、奥さんが「もうすぐ0歳ではなくなってしまう」と悲しげな顔で繰り返していた。僕は正直そこまでのことかと思っていたのだけれど、ここ数日、ああ、もう0歳ではなくなってしまうのかという実感に襲われていた。
 今朝、電話インタビュー取材があると奥さんが言うので、出社を遅めて昇太の世話係。ついでだから2km先にあるショッピングセンターまでお散歩した。本当の本当の、0歳時代最後の男同士二人旅だ。
 ショッピングセンターで昇太はそれなりにはしゃいでいた。おそらく明日もそう変わらずにはしゃぐのだろう。でも、その昇太はもう0歳ではない。何も違わないのだが、何かは確実に違う。0と1の差って、やっぱりスゴいのだ。
 まあとにかく、この1年よく頑張って生きてきたな昇太。明日からの1年は、昇太にとってのすべてではないのだが、今日までの1年は、昇太にとってのすべてだったわけで、そのすべてを、よく頑張った。頑張ったっていっても食べて寝てはしゃいで泣いての繰り返しだったんだが、でもまあ、体重も約3倍に増えてるし。やっぱすげえ頑張ったんだと思う。
 遅く出社した分、帰りも遅くなり、帰宅したら昇太は寝ていた。ああ、0歳の昇太よサヨウナラ。と思っていたら、寝苦しかったのか、泣きながら起きた。まだ寝ぼけ状態の昇太の背中をさすってあげましたボク。0歳最後の泣き声も愛おしかったよ。
 そんなことを書いているうちに、昇太の誕生日になっていた。でもまあ、生まれた午前7時41分までは、まだまだ昇太は0歳のままなんだということにしておこうと思う。

父の日

 6月16日が父の日。で、僕は朝から会社に向かう。日曜日だけれど、やらなきゃならないことはあるのだ。
 昨年の父の日は息子が生まれる直前で、だから今年は初めて自分が父となった父の日。その父の日に何かをもらえるというような段階ではなく、いつもと同じように早朝に睡眠たっぷりの息子に起こされる。そして今日どうしてもやっておかなきゃいけない仕事のために会社に。電車の中で「昼間のパパは光ってる、だぜ」とツイートした。そう思わなきゃやってられない。普段はパパなんて言葉は使わないのに、清志郎の歌詞だからそこはパパで。
 会社では届くはずの荷物が届かず。おかしいなと思って佐川急便のサイトを見て確認すると「10:38に不在でしたので持ち帰りました」という表示。おかしい。その時間には既に会社にいたのだ。そしてほぼ30分おきに不在票を確認しにいっていた。会社の入っているビルは休日だと1階のドアが閉まってしまう可能性があるからだ。でも今日は1階のギャラリーが営業しているようでドアは開いている。不在票ももちろん入っていない。佐川に電話して、大至急持ってこいとちょっと怒鳴る。やってきた担当ドライバーは「いつも日曜は閉まっているので、勝手な思い込みで配達しなかった」と。それで不在も入れてなかったと。なんだそりゃ。配達もせずに不在も入れずに会社には不在だったと報告する。これはもう詐欺だろ。と憤った。もう一度佐川に電話をして、会社としての正式な説明を求めた。それは月曜日に電話をしてもらうことに。
 ちょっと横道に逸れた。だがそれも父の日の出来事だから。
 で、会社を4時には退出し、出町柳へ。今日は叡山電車でイベントがあり、それに奥さんが参加することになっていたのだ。歌人の穂村弘がファンと一緒に電車に乗ってトークをするというなかなかユニークなイベントで、奥さんがファンだと知っていたので僕が「行ってきなよ」と奨めた。その間長男は僕が見る必要があるので、仕事を切り上げて2人に会いに出町柳へ。イベントに参加する奥さんと別れ、僕は長男を抱っこして帰宅。長男用のご飯を作って食べさせる。
 そんなこんなで、父の日はとても忙しかった。
 昨年の6月、僕はmixiに日記を書いた。友人まで公開設定の私的な日記だが、その中で僕は「あの子は、僕と奥さんへのプレゼントなのだ。我が家の父の日は、世間一般とは違う6月19日だった。来年以降も、我が家は6月19日が父の日でいいと思う。ま、父がプレゼントをもらうんじゃなくて、あげる側なんだけれどね。でも、もう一生分のプレゼントをもらったような気がしている。」と書いている。だからきっと僕にとっての父の日は3日後なのだろうと思う。そして今日の一般的父の日は、0歳の息子の世話をする機会をプレゼントしてもらったんだと勝手に解釈している。まあその説明も後付けでしかないんだけれども。
 さっき息子を寝かせつけた奥さんは一緒に寝てしまった。日々息子の世話で疲れているのだろう。僕はゆっくりビデオを見たりしながら、たいして内容のないブログなんかを書いて時間をつぶしている。