犬が死にました

 その犬と出会ったのは、交際中の女性の実家に挨拶に行った時のこと。そう、奥さんの実家で飼われていた白い犬とのこと。

 プロポーズした後、彼女の妹に言われたことは、お父さんは怒ると恐いので気をつけろというのと、飼ってる犬に気に入られるかどうかがカギだという2つ。僕は子供の頃から犬が嫌いなのだった。嫌いというより、恐いのだ。吠えられたことがトラウマにでもなっていたのか。道を行くペット犬でも避けて歩く。そんな僕に、恐いお父さんと恐い犬がふたつの壁として僕の前に立ちはだかったのだ。

 いざ行ってみると、お父さんはなぜか感極まって涙を流した。犬はというとまったく吠えることも無くおとなしく僕を眺めていた。泣かないはずのお父さんが泣き、なくはずの犬がなかず。壁と思っていたことは何の壁でもなく、ちょっと拍子抜けしたような気分だった。家に馴染もうと、その日の夕方犬の散歩をかってでた。人生初の犬の散歩。レトリーバーの雑種という白い犬は初対面の僕が手綱を引いてもおとなしく、淡々と夕暮れの町を歩いた。なんかやっていけそうな気がしてきた。すごくしてきた。

 そんな奥さん実家の犬が、昨晩遅くに亡くなった。13歳と3ヶ月。その日の夕方も散歩に出かけたらしい。夜は玄関先で眠るその犬は、排便は絶対に屋内ではしないらしく、排便のために庭先に出て、そのまま建物の裏で倒れていたそうだ。

 朝から向かった松阪シティーで、父は明日の出棺に向けた準備を妹と一緒に。母は娘夫婦と孫を涙で迎えてくれた。奥さんは愛犬の死に顔を見て「もっと悲惨な姿かと想像してたけれど、実際は眠ってるみたいで意外だった」と。昨晩の電話の後は「どうしていいか分からない」「行ったから生き返るわけじゃないし」と、出かけることにも消極的だったが、やはり連れ出してよかった。

 2年半前に友人が事故で亡くなり、その葬儀のために東京に行ったことがある。その時僕は「葬儀に行ったからといって生き返るわけじゃないし」と躊躇していた。往復の新幹線代もバカにならない。でもそんな僕を後押ししてくれたのが奥さんだった。僕はそれと同じことを言っただけなのだが、言って良かったし、言えて良かった。

 2歳の息子はどういうことなのかもよくわからず、久しぶりのおじいちゃん家ではしゃいで見せた。だが、帰宅途中の車に乗るとすぐに爆睡してたのを見ると、彼は彼なりに気を遣っていたのだろう。成長したなと思った。半年ぶりのおじいちゃん家で、廊下の柱で身長を測った。4.3cm伸びていた。物理的にもはっきりと成長していた。

 愛犬のココちゃんと出会ったのが今から6年11ヶ月前。ということは生涯の半分以上は知っているということになる。立場上特に涙は見せなかったけれど、僕なりの感慨は心の中にそっと持っている。