このところのこと

前回のブログが7月ということで、今が11月下旬。もう4ヶ月ぶりですよもう。

この間にあったことを全部書くなんてもう無理っす。それに全部書くことに意味があるのか。いや無い。そもそもTwitterで投稿しなくなって一体どのくらい経過したのだろうか。1年以上か。それでもまあ人生は続いているので、まあいいでしょう。SNS疲れということではないけれど、それにmusiplや通訳ガイドのアカウントでは日々いろいろ投稿しているので、別に疲れているというわけでもあるまいし。

そんなわけで、7月くらいからやっていたメインのこととしては、小学校PTAのオンラインイベント。全部中止はどうなのかという意見が僕以外から出て、もともとそのイベントの担当だった僕がシャカリキになってオンラインイベントサイトを作ったという。小学校のことなので詳細は伏せるも、PTAの各委員会や関連外部団体の人たちにいろいろと企画をしてもらい、サイトに適した形に持っていくという感じ。ただ、サイトに組み込む写真や動画や文章を面白く作ってと普通の保護者の皆さんにお願いできるわけもなく、基本的に自分で撮影しに行き、編集して、サイトを作成する。全部で24企画のサイトを作った。大変だったけれど、いろいろな人と交流できて、それはそれなりに楽しかったし意義深かった。

コロナの影響で外出もままならず。当然帰省も旅行も無く。それでも日々は過ぎて行くし、基本家派の息子にとっては出かけない夏も何の問題も無かったらしい。一歩も外に出ないで粘土作ってるような夏休み、お父さんの僕は時折PTAのオンラインサイトの件で出かけたり。それでもまあ、なんとか暑い日々は過ぎた。

10月後半にはアメリカ大統領選挙と大阪都構想の住民投票。自分には投票権もないけど、まあ、それなりにウォッチしてた。死んじゃった友人の、亡くなった日がちょうど前回の大統領選挙の直前で、そうかあ、もう4年も経っちゃったのかあと感慨もひとしお。やつはしばらくアメリカに住んでて、一時は永住権とかグリーンカードとか取ってなんて考えてたらしく、もし向こうにずっと住んでたら今も生きてるかもなあとか、ちょっと思う。それは日本の選挙より、アメリカの選挙の方が思いだすきっかけなんじゃないかとか。だって、facebookでつながってるアメリカ在住の共通の友人たちも「選挙行った」とか投稿してたし。そういう共通の友人の投票投稿が、やっぱり思いださせるよ。

せっかく取った全国通訳案内士の国家資格も、インバウンドがこんな状況だから開店休業もいいところ。ヒマになっちゃったこの時間をPTAに充てているというのが正直なところ。オッサンでPTAに時間をこれだけかけられる人はそうそういないんじゃないだろうか。それで来年度には会長をやることにほぼ決定。来年度もインバウンドが同じ状況なら十二分にやれるだろうけれど、インバウンドが回復すれば今年と同じようなわけにもいかないはず。でも、今年やってる副会長の方が実務が多いので、会長ならもう少し関わり度も少なくてもいいのかもしれない。会長職はおそらく2年。まあ頑張るとするかね。

インバウンドは、新型コロナがワクチン開発などで回復したとしても、今の経営が行き詰まる状況の中で既存のホテルや交通機関などの観光インフラがズタズタになって、人が来たくても受け入れられないという状況になってしまうのではないかと危惧している。航空会社も減便したり倒産したり。倒産しなくても減便することで解雇されるパイロットに、コロナが無くなったから戻ってきてねと言ったところで簡単じゃないだろうし。京都にはこのところ海外資本のホテルが多数完成して開業してて、それは東京オリンピックなどで需要が増えるという予測のもとで準備してきたものが完成にこぎつけたということなのだろうけれども、それらがずっと持つのか、よくわからない。GO TOトラベルで多少業績は回復していると言われてて、そりゃあそうだろうよ、インバウンドで海外旅行客が多いとかいっても、そもそも国内が85%、インバウンド客は15%に過ぎなかったのだから、例年の80%に戻ってきたといってもなんの不思議もない。やはりインバウンドを挽回するほどに国内客が戻っているわけではない。しかも、GO TOで下駄履かされてきてる客なので、それが無くなれば旅行するのかどうなのか。したくても経済的に困窮している人が増えているし、マクロでみればそういう全体的な経済の悪化は可処分所得を減らしていくわけで、可処分所得が減れば行楽に使われるお金が減るのも当然で。だから、キャンペーンが無くなれば80%に回復してたのが40%になっても何の不思議も無い。それに、コロナの第3波が来てるとか言われはじめたので、お金ある人も控えるようになってくるのだろう。

コロナについてはいろいろな人にそれぞれの考えがあるのは承知しているけれど、やはりちょっと脅し過ぎ脅され過ぎだと思っている。しかしながらどのくらい怖がるのかについては人それぞれだし、怖がっている人がいる以上、社会の規範は怖がっている人に合わせるというのも当然の話で。だから、しばらくはまたこの状況は続くのだろうと、そしてそれは仕方のないことだと、思う。その前提で、僕らは暮らしを設計していかなければならないし、その設計がそもそも無理になってくれば、その無理も何かの限界を超えたところで、ひとりひとりが政治というものをちょっとずつ考え始めるのだろう。

これからもうちょい書くようにします。そんなこと何回宣言したかわからないんだけどね。何度も反省して、それでも繰り返して、また反省して、の人生です。