友達ってなんだろう。そのことについて何度かここで書いてみては、うまくまとまらずに下書きのまま留め置かれている。何度も書くが、すべて下書き。公開できるような結論など見当たらない。
昨夜、夢を見た。引越しをすることになっていて、荷物をまとめているんだけれどもまったく収拾がつかない。そのくせ荷物は自分の車で運ぼうとしていて、どうすればいいのか判らずに、途方に暮れている。友人が2人手伝いにきてくれていて、頑張れよと励ますでもなく、かといって黙々と荷作りをしているでもなく。途方に暮れている僕のそばで、一緒に途方に暮れている。さて、どうしようかと。
彼らとはもう何年も話をしていない。どうしているんだろうか。SNS全盛の昨今、昔もそんなに話してなかったぞというようなかつての知人と容易に再会し、一応フレンドという関係になったりしている。が、一緒に途方に暮れてくれるような友人とは案外つながらないものだ。
距離感というのはひとりひとり違っていて、友達だからこういう関係であらねばならぬという決まりはない。facebookでイイねを押してくれるのが友人なのか。むしろイイねを押さずにいるのが友人なのか。多分、どちらでもないのだろう。イイねを押したからといって友人と定義すべきでもなければ、イイねを押さなかったからといって友人と定義してはいけないということでもない。先日、僕のやっているレーベルの25周年を記念したCDセット商品を出して、Twitterでもfacebookでも告知して、イイねを押してくれる人、リツイートしてくれる人は多数いるものの、じゃあ買ってくれるのかというとなかなかどうして。ではこのイイねの人たちのイイねの意味ってなんだろうねと考えたりする。もちろん、買ったから友達で、買わなかったから友達ではないという決め方はおかしい。そんなことは有り得ない。でも、イイねなのに買いはしないよというのは、何なんだろうかと。だったらむしろイイねを押さずにスルーしてくれればいいじゃないかとひねくれ頭は考えたりもする。いやホントにひねくれててすみませんが。
例えば結婚をするカップルがいて、式に呼ぶ人、披露宴に呼ぶ人、二次会的なパーティーに呼ぶ人、それぞれ人選は違うだろう。その人選はそのカップルとの親しい度合いによる。だが、呼ばれる側にも親しい度合いというものはあって、「ええ、オレを呼ぶのかよ〜、ご祝儀払いたくないな」ということだってあるだろうし、逆に、「ええ、自分を呼んでくれないの〜。大親友だって思ってたのになあ、切ないな」ということもあるだろう。そういう場合に、友達度合いというものは表面化してくるのかもしれない。ややこしいなまったく。
表面的なつながりを維持してくれるSNSによって、僕は生活の場を東京から京都に移しても、なんとか人並みの生き方をしていられるのではないかとは思う。ややこしいし、うっとうしい面ももちろんあるけれども。facebookでは相互に認定してなければフレンド関係にならず、しかも昔の同級生だったり、共通の友人が何人かいれば「お友達じゃないですか?」と余計なお世話をしてくるから、つながらないわけにはいかないけれども、Twitterはそんなことないし、片方だけでフォローするということだって可能。さらにはどちらもフォローしてないけれどもリストで読むという間柄を築くことだって可能。僕にはそういう間柄の人が何人かいます。いや、相手がホントにフォローせずにリストに入れてくれているのかはわからないけれど。多分そうだと睨んでいる。うん、多分。そういうのも、友達なんじゃないのかなあという気がする。
ちょっと前に、あ、この人アレか?と思って、facebookでフレンド申請したら、やっぱりそうで、申請承認の後で、自分も気付いてたけれどずいぶん昔なので忘れてるんじゃないかと思ってそのままにしていたというメッセージが返ってきた。覚えとるわい的な返事を出したけれど、この距離感というのも、なんかいいなと思う。ふるさとは遠くにありて思うもの、ではないが、距離が少しあって、でも完全には忘れきれないというような、そんな関係性。facebookでも「お前、誰だっけ?」と思うようなかつての同級生からはちゃっちゃっと申請がくるけれども、今こいつに申請出すのって、どうなんだっけと思うくらいに関係があった相手からはなかなか申請が来ない。もちろん僕からも申請はしない。いや、完全に忘れられているだけなのかもしれないけれども。僕だけが覚えているだけなのかもしれないけれども。
そんなわけで、僕の夢に出てきた友人は、今頃何をしているんだろうなあと、ちょっと思います。あ、1人はもう鬼籍に入ってしまっているので、土の下で眠っているだけです。Twitterでもfacebookでも相互にフォローしているのですが、彼はもうそこにはいません。千の風になってぇ〜、時々思い出すかのように僕の周りでもさまよってくれればいいかなと思ったりします。
相変わらず、僕の友達論はまとまりもなければまとめもなくて、何の結論も出ちゃいないんだけれども、まあいいや。ブログってそんなものでしょう。
(追記)
今日の友達については基本的に既に会ったことある人について書いてたのだけど、そのあとにイイねしてくれた人はいずれも会ったことない人で、なんか申し訳ないのでちょっと触れてみる。
SNSにはもちろん会ったことない人がたくさんつながっていて、そういうのを僕は「私立Twitter学園(私立facebook学園)での同級生」という位置付けにしている。同級生だから、同じクラスの人もいれば他のクラスの人もいるだろうし、放課後に一緒に遊ぶ人もいれば、同じクラスなのに喋ったこともない人もいるだろう。でも、お互いに気にしていたりするのはわかってて、なんかそういうの、嬉しいと思います。ちょっと以前に1ヶ月ほど私立facebook学園を欠席していたことがあって、久しぶりに投稿したら世界中の人が「元気にしてた」と言ってくれたりして、そういうのも嬉しかった。世界中っていっても20人くらいだけれどもな。
バンドマンに「お前らのライブに来てくれるの、最初は昔の同級生だろ?だったらファンを増やすってどういうことよ。今からまた学校に行くか?行けないだろ。だったらTwitterなんかで友達増やしたらどうだ?」と言うことがあって、それはもちろん万能の方法論ではないけれど、SNSから友人が増えるのだったら、それはそれでいいんだろうと思っている。それは「バーチャルで良くない」という人もいるけれど、昔たまたまクラスが一緒だっただけで特に会話もしたことがない同級生と同窓会で肩組んで校歌を歌うよりも、会ったことのない人と本音で話ができた方が、よっぽど友達だと思う。いやもちろんTwitterでフォローしあったくらいで本音の会話ができるとは思わんし、それはクラスが一緒になっただけの40人と全員友達になれるかというとそんなことはないというのと同じで。でも、そういう中から1人や2人くらい、生涯の友達になる可能性もある、ということで、やはり、そんなのはバーチャルだからと毛嫌いするのも違うなあと思う訳です。実際にそこからリアルに会って、今もときどきお茶したりする間柄になった人もいるわけで。そうなると、ああ、私立Twitter学園の校歌を歌っても良いかなあという気にもなるわけで。ええ、歌いませんけど…。
Twitterで以前からフォローして、この人のつぶやき良いなあと思ってた人がなかなかフォローしてくれなくて。でもそんなのはどうでもよくて、ただその人のツイートを追っていた。でもなんかのきっかけでその人がフォローしてくれて、ああ、嬉しかったなあという勢いでDM送ったら喜んでくれて。今では私立facebook学園でもご学友に。そういうのも、SNSならではのことだと思う。で、つい最近もある人のツイートを楽しみにしてて、2年越し3年越しくらいの一方的ウォッチャーだったのが、その人もなぜかフォローしてくれるようになり。だからといって今回はDMなんて送ってないのだけれども、時々、僕のまったくくだらないツイートをリツイートしてくれたりして、恐縮するやらなんやらで。なのでDMでも送ってみようかなあという気持ちも半分湧いてきてはいるものの、でもまあもうちょっとこの距離感でいいのかなあと半分思ったりもしています。
いろんな関係があって、それぞれが面白くて、で、バーチャルな学園なので、突然転校していって跡形もなくなってしまうということも過去に何度も経験していて。まあそれがバーチャル学園のそこはかとない面白さでもあるのだろうと思います。一期一会的な。今のこの何かを大切にしようかというような。
そんな感じなので、これからもみなさんどうかよろしく。